WINGS&アイロミームproject(仮)
第五章 『忘却と勇気の縁伝歌』(前編)
 放課後になると、寄り道せずに真っ直ぐ部室へと向かう癖が、最近になってつき始めていた。この新しい習慣を、俺━━━秋内 翔登はいつも楽しんでいたはずだった。  しかし、学校祭前には軽やかだった足取りが、ここ数日はどうにも重い。ふとした瞬間に、廊下の真ん中で立ち止まってしまう事もあった。その原因は、あの日の夜に錦野が告げた真実にあった。 「零浄化、か……」  開いた掌をぼうっと見つめながら、ため息をつく。  俺の中に『聖唱姫の呪い』を抑制する力があること。その力を使って、呪いにかかった人物のうち一人だけを救えるということ。そのいずれの真実も、まだ誰にも話せていない。話せば、きっとアイドル活動どころではなくなる。俺が『浄歌聖唱(ジョーカー・セッション)』を使えば、全員が死ぬよりも、ある意味残酷な結末を迎えてしまうことになるのだから。その事実を告げたらきっと、彼女たちの瞳から希望は消え失せてしまう。 「……って、何ネガティブになってんだ、俺」    頬をパシパシと叩く。こんなの俺らしくない。  WINGSの活動を通して、誰よりも近くで彼女たちのパワーを貰っていた俺が、こんな顔してちゃ駄目だよな。 「よし!」  気持ちを切り替え、ダッシュで部室へと向かう。細かい事は後で考えよう。とにかく今は、次の活動について考えて━━━ 「きゃっ!?」   「へ?」 ━━━ドンッ!!  丁度、階段に差し掛かる手前で、誰かとぶつかってしまった。後方へとバランスを崩し、盛大に尻もちをついてしまう。 「いってて……ごめん、大丈夫?」  左手で腰をさすりながら立ち上がり、ぶつかった相手に声を掛ける。まだ衝撃が抜けきっていないのか、視界がぼやけて相手の顔がよく見えない。 「いたた……あ、えと、大丈夫です! すみません……」  ぶつかってしまったのは、どうやら女子生徒だったらしい。彼女はパンパンとスカートを払いながら立ち上がると、突然何かを思い出したかのようにキョロキョロと足下を見回し始めた。何か落としたのだろうか……? 彼女の動きに釣られるように、俺も足下へと目をやってみる。  ……と、階段の隅っこに、何やら黒っぽいものが落ちているのが見えた。近づいて拾ってみると、それは黒い縁の丸眼鏡だった。なるほど……彼女はきっとこれを探していたのだろう。 「……はい、これ」  レンズに触らないよう注意しながら、眼鏡を彼女に差し出す。 「へ? ……あぁ! あった、よかったぁ……!」  彼女は、ありがとうございますを連呼しながら何度も頭を下げた。それから、ポケットから出した眼鏡拭きでレンズを拭いて、ゆっくりと眼鏡をかけ直す彼女の様子を、俺はただぼんやりと眺めていた。   「あの……私の顔に何か……?」 「あ、いや、その眼鏡似合うなーと思って。 なんかこう、知的な感じで可愛いと思うよ」  言ってから、あ……と我に返る。いくら無意識とはいえ、初対面の相手に何言ってんだ俺!?  慌てて弁明を試みる俺だったが、目の前で、湯気が出そうな程に顔を真っ赤にした彼女が、手をブンブンと振って俺の声を遮った。 「な、なななな何ですかいきなり!? か、可愛いなんて……前はそんな事言ってなかったじゃないですかぁっ!!」 「あ、その、ごめん! つい無意識で……って」  言い訳を考える俺の頭の中で、何かが引っかかった。照れて慌てふためく彼女をなんとか落ち着かせつつ、俺は彼女に問いかける。 「あの……俺、君にどこかで会ってたっけ?」 「…………あ」  その言葉に、彼女は動きをピタリと止めた。眼鏡の向こうにある瞳が微かに揺らぎ、彼女はそのまま目を伏せる。 「そう、でしたね……すみません。 えと、今のは気にしないで下さい!」   「え……?」  妙に引っ掛かりを覚える台詞だったが、でも、実際俺は彼女に会うのは今が初めての筈だ。それとも、どこか遠くから見られていたとか……?   ━━━キーン、コーン、カーン、コーン…… 「あっ!? もうこんな時間かよ!?」  清掃終了、及び放課後のスタートを告げるチャイムが響いた。今頃部室では、稲垣が目をつり上げながら待っていることだろう。 「ごめん、俺そろそろ行かないと……!」  彼女のことが分からなかったのが少し気がかりだが、こればっかりは仕方ない。 「あ……部活、ですよね? はい、頑張って下さいっ!」 「あぁ、ありがとう。 えっと……」  そういえば、まだ名前を聞いていなかった。せめてそれだけでも……と思い、名前を尋ねるが、 「い、いえいえ! その……名乗るほどの者ではありませんからっ!」  と、やんわりと断られてしまった。名前すら教えてくれないとは……結構消極的な子のようだ。 「……それでは、私もそろそろ失礼させて頂きますね」    彼女はペコリと頭を下げた後、くるりと身を翻して階段を下りていく。彼女の背中で、見慣れない霞んだ色のマントと、魔女の衣装みたいな帽子がぶら下がって揺れていた。  あ……と俺が声をかけようとした時、彼女は階段の折り返しのところで立ち止まった。何だろう? と俺が首を傾げていると、彼女はゆっくりと顔を上げ、窓から射す白い日の光を背にして、言った。 「色々と、ありがとうございました。 私、皆さんのこと、ずっとずっと応援してますからっ! ……さようなら」 「え……?」  俺が聞き返す間も無く、彼女はそのまま光に溶けるように姿を消した。 「今の言葉って……」    俺は、彼女が最後に言ったその言葉の真意を掴めなかった。しばらく階段の前につっ立っていたが、つぐみ達を待たせている事を思い出して、慌てて俺もその場を後にする。  廊下を駆ける俺の脳裏には、光を反射して淡く輝いていた彼女の銀色の美しい髪が焼きついて、ぼんやりとその影を残していた。      ~~~ 「すまん、ちょっと色々あって遅くなった……って、何やってんだ?」  飛び入るように部室に入った俺は、夏燐が持つタブレット端末に群がるつぐみ達四人を見て、拍子抜けした。 「遅いっ! ……と言いたいところだけど、見ての通り、まだ打ち合わせは始まっていないから安心して良いわよ」    苦笑いをしながら、詩葉がつぐみ達の方を指す。吸い寄せられるように、自分も彼女たちの裏にまわってタブレットを覗き込んだ。 「これは……アイドルのライブ?」 「そーだよ。 ちょうど、『ミラアイ』の決勝大会の映像が解禁になってね。 皆で優勝した『ガイア』のパフォーマンス見てたって訳」   「み、みらあい……? がいあ……?」  聞き慣れない単語の連続に、俺は目を点にしていた。そんな俺の様子を見ていたつぐみが、横目で俺を見ながら大きなため息をつく。 「はぁ~……翔ちゃんってば、ミラアイもガイアも知らないの? そんなんじゃ、私たちのプロデューサーなんて務まらないよっ!」   「うぐっ……」  どこぞの副会長みたいな圧で叱られてしまう。帰宅後は、マンガやゲームばかりにふける事が多いため、こういう"若者の間で流行ってるモノ"みたいなのにはかなり疎い。食事の時間についているニュース番組ぐらいしか視聴しない俺は、当然、昨今のアイドル事情など知る由も無いのだった。   「……ミライアイドルコンテスト。 通称ミラアイ。 全国で活躍するアイドルグループ達の登竜門とも言うべき、由緒ある大会。 ……ちなみに、私と華ちゃんも中学の時にこの大会に出場してる」 「へえ、そんな大会があるのか……」  岳都がグイッと俺の前に突き出してきたスマホの画面を見てみると、そこには『ミライアイドルコンテスト公式』と題して、割としっかりした公式ホームページがあった。  企画説明の欄によると、年一回、冬場に行われている大会らしいが、その開催は既に三十回を越えていて、応募総数は最高で二万人を上回ることもある、との事だった。こんな凄い大会があったとは……   「それで、今年度の大会で優勝したのが、この『ガイア』っていう三人組のグループなんだって~。 去年に続いて二連覇らしいよ、すごいね~」 「こないだ朝のニュース番組にもゲスト出演してたぞ! 今最もブレークしてるアイドルNo.1は、間違いなくガイアだよな!」  ガイアか……と呟きながら、ポチポチとスマホで検索をかけてみる。  『ガイア』。今から一年半前にデビューした高校生アイドルユニット。『天島プロダクション』とかいう割と有名な事務所出身の、超実力派アイドルらしい。ミラアイ二連覇を機に、今後シングルリリースやテレビ出演などが期待されているのだとか。   「あ、見て! ガイアのスペシャルメッセージも公開されてるよ!」  つぐみの一言で、全員がまたタブレットの周りに集まった。俺もコソッと画面を覗き込む。そこには、トロフィーを抱えて手を振る三人の美少女が映っていた。 「皆さんこんにちは。 私たち━━━」   「「「ガイアです!!!」」」    画面の中央で、ガイアのリーダーらしき人物が微笑む。黒髪をハーフアップにした、清楚な感じの少女だ。 「皆様こんにちは。 城島ルイヤ(じょうしま るいや)です。  この度は、このような名誉ある大会で優勝を飾ることができて、本当に嬉しく思います。 これもひとえに、応援してくださったファンの皆様や、関係者各位のおかげだと思っています。 本当にありがとうございます!」 「んもぉ、るいるいは相変わらず真面目だにゃあ~。 私たちは二連覇してるんだよ?   ま、それもこれもぜ~んぶ、このみりみりの可愛さと天才さがもたらしたモノなんだけどねっ♪」 「はいはい、みりみりすごーい」   「ちょっと!! りんりん相槌適当すぎじゃない!?」 「まーでも、二連覇ってのは確かにありがたいよねぇ。 皆の応援、ちゃんと届いてますよー。 サンキューね」  そんな具合に、三人の和気藹々としたトークが繰り広げられていた。  どうやら、リーダーの子が城島ルイヤ。ちょっとぶりッ子的なキャラの子が百田 美莉香(ももた みりか)。どこか気だるげな様子の子が橋下 凛(はしもと りん)というらしい。流石、プロのアイドルグループなだけあって、皆キャラクターがしっかりしてるし、パフォーマンスも目を引くものだった。 「これが、ガイア……」  改めて、アイドルとは何たるかを思い知らされる。  最前線の、プロの世界で活躍するようなアイドルともなれば、これぐらいのものでなければならないのだろう。俺たちは学園内での活動が中心だから、彼女たちとはそもそも世界が違う。それでも、同じ"アイドル"として見てみれば、やはりその差は歴然だ。 「…………やっぱり、プロはオーラが違うよね」    そう呟くつぐみ。どうやら同じことを考えていたようだ。  その場にいた全員が、ガイアのことを"テレビに出るようなスター"として見る一方で、"WINGSと同じアイドル"として捉えているようだった。月とすっぽん……とまで言うのは言葉が悪いかもしれないけど、でも、同じアイドルとして彼女らを見た時、どことなく「悔しい」と思ってしまうのだ。……それが、惑聖恋(マッドセイレーン)で伝わってきたつぐみの感情であるかどうかは定かではないが。 「……確かに、ガイアはすごい。 実力も、実績も、私たちとは比べものにならない」  画面に背を向けて、岳都が呟いた。疑い用のない事実に、全員が目線を落とす。 「でも……」  そう言葉を繋いで、岳都は机の反対側へと移動した。顔を上げた全員の視界に入るように。 「私たちには、私たちなりの持ち味がある。 それを、これから磨いていけば良い。 今はまだ追いつけなくても……でも、いつか必ず、ガイアと同じくらい輝ける日が来るはず」    自信たっぷりなその瞳に、俺たちは自然と勇気づけられていた。  かつてプロと同じステージまで上り詰めた彼女だからこそ、自分たちの現状をしっかりと見つめ、その上で、今為すべきことをちゃんと理解することができているのだろう。岳都の"天からの声"にはよくビックリさせられるが、彼女が時折見せる冷静かつ的確な助言にも、いつも感服させられる。 「……と、天からの声が申しておりましわぷっ!? な、何してんの」 「だってぇ、がっくんのおかげですっかり気持ちが明るくなったんだもん! ありがと、がっくん~♪」 「分かった、分かったから。 ぎゅーってしながら頭を撫でるのは止めて」    さっきまでのガイアへの盛り上がりはどこへやら。岳都を抱き締めるつぐみに、皆がワイワイと群がる。そう……俺たちWINGSは、こういう明るい感じでなくちゃな! 「……あ、そういえばさ。 昨日翔登が話してた新メンバー探しについてなんだけど」  ふと、夏燐が思い出したかのように話を切り出す。そういえば昨日、「近いうちに五人目のメンバーを探そう!」って皆に言ったんだっけ。   「新メンバーねぇ……。 『聖唱姫の呪い』を一点に集めようという秋内君の気持ちも分からなくはないけれど……でも、あまりその事に拘りすぎるのは良くないと思うわよ?」 「そうだねぇ。 それに、私は今の四人でも充分いいチームになってると思うな~」  稲垣と乃木坂が、新メンバー探しについてそれぞれ意見を述べる。他の皆も二人の考えに近いようで、俺だけが新メンバー探しに熱意を持っている格好になってしまっているようだった。 「でも……」  それでも、俺は諦めきれなかった。 「WINGSは、五人じゃなきゃ駄目だと思う。 呪いで苦しんでる人がまだあと一人いる、ってこともそうだし、なにより、俺たちが"WINGS"って名前を名乗ってる以上は、伝説どおり五人組でやっていかなきゃいけない気がするんだ」 「翔登……」  皆を幻滅させてしまっただろうか。呪いや都市伝説を覆す!……ってずっと豪語してた俺が、こんな風に呪いの観念に囚われているなんて。    (でも……)    義務でも、使命でもない。でも、WINGSは"五人"じゃないと駄目だ。そんな気がしてならなかったのだ。   「……ねぇ、翔ちゃん」  消え入りそうな声でつぐみに名を呼ばれて、ハッとした。彼女は、どこか悲しげな目で俺のことを見つめていた。 「その……翔ちゃんはさ、私たち四人だけじゃ、不満なの……?」 「い、いや! そういう意味じゃなくて……」 「じゃあ、何で……?」    いつになく迫ってくるつぐみに圧されて、口ごもってしまう。「五人でWINGSにしたい」という俺の望みは、裏を返せば「今のメンバーじゃ力量不足だ」と言っているようなものだ。つぐみが戸惑いを露にするのも無理はない。でも、どう答えれば良いものか……  と、俯いて困っている俺に、夏燐が助け舟を出してくれた。   「……まぁ、伝説どおり云々の話はともかくさ。 つぐみみたいに呪いで困っている人を救うことは、何も間違ったことじゃないでしょ?」 「それは、そうかもだけど……」 「あんまり感情的になりすぎると良くないよー。 ほれ、翔登も"そんなつもりじゃない"って言ってるんだし」  そう言って、チラリと俺の方に目をやる夏燐。それに誘導させられる形で、どこか不安げなつぐみの目線が俺へと向けられる。俺は、頭を掻きながら「悪い……」と謝罪した。 「……でもま、翔登の方にも問題はあるよね。 そこまで"五人"に拘るんなら、その五人目を探すための算段ぐらいは持ってて欲しいんだけど?」    立場を変えて、今度は少し疑いの色を持った目線を向けてくる夏燐。  そうだよな……問題は、『聖唱姫の呪い』を持つ五人目の人物をいかにして探すのか、だ。まだWINGSが三人だった時にも似たような話をした記憶があるが、その時は偶然にも、呪いを持っていた岳都が自ら俺たちの元へと来てくれたのだ。  しかし、そんな偶然が二度も続く筈がない。せめて、『聖唱姫の呪い』について詳しい人とかが居たら━━━ 「……あれ?」  思考がそこまで至った時、ふと俺はある事に気づいた。  ……呪いに詳しい人、知り合いに居なかったっけ?  確か、俺たちが初めてつぐみにかかっている呪いの事を知った時、色々とバックアップというか、情報提供をしてくれた人が居たはずだ。最近めっきり会わなくなったために忘れていたが、その人ならきっと、呪いにかかった人物を探すための手掛かりをくれるに違いない……! 「……そうだよ! オカルト研の、あの人に協力してもらえば良いんだ!」 「オカルト研の?」    ピンと来ていない様子の面々。……というか、俺もしばらく顔会わせてないから、名前がパッと思い出せない。えっと、確か…… 「……櫻井さんだ!」  そう、オカルト研の、眼鏡かけてた人! 彼女は学園にまつわる都市伝説について調べていたし、つぐみや詩葉の呪いについて情報をくれたりもしていた。彼女に聞けば、残された呪いについても分かるだろう。そして…… (俺の零浄化(ゼロ・ジョーカー)についても何か知ってたら……)  呪いを解く鍵である"コレ"が、伝説として残ってない筈がない。もしかすると、彼女は『浄歌聖唱(ジョーカー・セッション)』とは別の方法を知ってたりするかも。そんな淡い期待を抱きつつ、しかし顔には出さないようにする。 「櫻井さん……?」  首を傾げる乃木坂。そうか、まだ直接には会ってないのか…… 「オカルト研の櫻井さんだ。 ほら、つぐみとか夏燐は知ってるだろ?」  と、つぐみに尋ねる。二人は、四月の頃に彼女にお世話になってるから、もちろん知って━━━ 「━━━ううん、始めて聞く名前だよ?」   「……は?」  冗談とかではなく、つぐみは本気で首を傾げて困っていた。  始めて聞いた? ……いや、そんな筈はない。というか、友達にあだ名とか付けまくる程に、人の名前と顔を覚えるのが得意なあのつぐみが、櫻井さんの事を忘れる訳…… 「夏燐も、って……アタシも知らないよ? そんな子」   「いや、何言ってんだよ……! 呪いの事を聞きにオカルト研の部室行って、そこで逢っただろ!」 「うーん……んな事あったっけ?」 「生徒会の職務で何度かオカルト研を訪ねた事はあるけど、私もそんな名前の生徒は知らないわ……」 「そんな……」  なんで……なんで皆、櫻井さんの事を忘れてるんだ!?  いや、"忘れてる"どころの話じゃない。まるで、皆の記憶から櫻井さんの事だけが抜け落ちているかのような…… (……あれ?)  その時、俺は俺自身の記憶にも異変が生じていることに気がついた。 (櫻井さんの下の名前って、何だっけ……?)  必死に思い出そうと頭を捻るが、全く以て思い出せない。    自分のクラスにいる別の櫻井との混同を避けるため、かつては下の名前で呼んでいた筈なのに、それが全然頭に出てこない。自分でも不思議なくらいだった。 (そういえば、つぐみがあだ名とか付けてたような……)  些細な事からヒントを探し、必死に思い出す。そうだ……確か、彼女の下の名前は━━━     「━━━そうだ、絵美里さんだ!! 櫻井 絵美里(さくらい えみり)さん! これなら分かるだろ!」  フルネームをあげて、つぐみ達の反応を窺う。しかし、返ってきた返答は俺の期待していたものではなかった。 「だから、そんな人知らないってば! 翔ちゃん、なんか話ごまかそうとしてないっ?」   「……」  言葉を失った。ここまで来ると、もう異常だ。自分以外の誰もが、絵美里さんの事を忘れている。  ……いや、もしかすると自分も、断片的にしか彼女の事を思い出せていないのかもしれない。あるいは、もうどこかで出会って━━━ 「━━━あ」  そうだ、さっき階段でぶつかったあの子……!   (もしかして、あの人が絵美里さんだったんじゃ……!?)  どこかで出会ったことがあるかのようなその子の口ぶり。そして、自分の中にあったぼんやりとした記憶。やっぱり、あの子が……! (……じゃあ、あの「さようなら」の意味って…………)  何か嫌な予感がする。もしもこの異変が、彼女自身の手によって引き起こされたものだったとしたら。もし、彼女に何らかの呪いの影響が現れているのだとしたら。  ……絵美里さんが、危ない。 「ちょっ!? いきなりどうしたの翔登!?」  夏燐が呼び止めようとするが、構わずに部室を飛び出す。早く、早くこの異常事態の真相を突き止めないと……!      廊下で喋る生徒たちを掻き分けるようにして、ひたすらに走る。  向かっているのは、絵美里さんに初めて出会った場所である、オカルト研究部の部室。しかし、それがどこにあったかという記憶すらあやふやなものになっていた。 (もしこのまま見つからなかったら……)  頭の中で渦巻く妙な焦燥感が、俺の歩幅を広くさせた。しらみ潰しにフロアを回ってでも、必ず見つけだしてやる! そんな思いに駆られ、階段を二段跳ばしで進んでいく。 「━━━はーいストップ。 そない慌てて走ってたら怪我するで?」  と、階段を登りきったその先で、聞き覚えのある声が俺を呼び止めた。 「早見会長……」   「うん? ……あぁ、誰や思たら秋内君やないの。 どないしたん? えらい慌ててるみたいやけど」  太陽の光を透き通らせて輝く金色の髪をなびかせ、聖歌高の生徒会長━━━早見 聖子(はやみ せいこ)が微笑みかける。生徒会の腕章をつけているということは、見回りか何かの途中だったのだろうか。   (そうだ、会長なら生徒会つながりで何か知ってるかも……!)  呼吸を整えつつ、俺は会長に絵美里さんに関する色々な事を尋ねてみることにした。 「あの、会長……オカルト研究部の部室って、どこにあるか知ってますか?」 「オカルト研の? それやったら、確かこの棟の一番上の階にあった思うよ」    良かった、オカルト研の部室すら誰も知らない……なんて事になったらどうしようかと思ったが、それは大丈夫そうだ。  オカルト研に何か用事? と尋ねる会長に対し、 「ええ、ちょっとそこの部員に用事があって。 ……ちなみに、オカルト研の部員に、どんな子が居たかはご存知ですか?」  え? と、一瞬訝しげな顔をしながらも、会長は顎に手を置いて、 「ええと、部員は確か二人やったやんねぇ。 一人は、工藤さんゆう一年の子で……あれ? もう一人ってどんな子やったかいな……?」 不思議そうに何度も首を捻る会長。やっぱり、絵美里さんについての記憶だけが抜け落ちているみたいだ。   「うーん、ちょっと思いだせへんわぁ……堪忍な?」 困ったように笑う会長に「いえいえ」と返し、さっき教えてもらった通りに棟の最上階へ向かおうとする。 「━━━そういえば、『聖唱姫の呪い』持ってる子をもう四人も集めたらしいやんか。 ……一体、何を企んどるん?」 ゾクリ、と寒気のするような声が、背筋に突き刺さる。思わず振り返ると、そこにはもう、さっきまでのほんわかした雰囲気の会長は居なかった。鋭い会長の目つきが、俺の息を詰まらせる。 「あんまり零浄化(ゼロ・ジョーカー)の力を過信せえへん方がええよ。 ……どう足掻いたって、災厄が起こるんは避けられへんのやし」   「……知ってたんですね、零浄化の事」 「そら、生徒会長やからねぇ。『聖唱姫の呪い』の事知ってる人はようけ居るかもしれへんけど、零浄化の事知ってる人はそない居らん思うよ?」  あっけらかんと答える彼女の態度が、俺に警戒心を抱かせる。 「……あぁ、ウチに何か情報聞こう思てたんやったら、堪忍な? 大方、秋内君も零浄化の事は錦野先生に聞いたんやろけど、ウチもあの先生が知ってる以上の情報は持ってへんさかい」  そう言って、優しく微笑む会長の真意は、最早俺には分からなかった。俺に「何を企んでいるのか」と問い質してきた彼女の方が、よほど「何を企んでいるのか」分からない。  彼女は敵なのか、味方なのか、それとも…… 「秋内君が考えてる事、当てたげよか? 呪いを持つ子を近くに集めて、零浄化の力でその子らぁの負担を軽減しながら、その間に解決策を探す。 ……こんな感じと違う?」 「……ええ。 だから今、その"五人目"かもしれない人に会いにいこうとしてたんです」   「ふぅん、上手くいったらええね。 ……一応忠告はしとくけど、その子を味方につけるんは難しい思うよ? 何せ━━━」   そこで、ふつと言葉を切る会長。どうしたのだろうと、登りかけていた階段を一段だけ降りて、彼女の表情を窺おうとする。 「……あれ、あの子って確か……でも……まさか……やとしたら今のは……!!」    ブツブツと、会長が難しげな表情で独り言を呟く。と、次の瞬間、彼女が今までに見せたことの無いような真剣な表情をこちらに向けてきた。 「秋内君には、"かもしれない人"ゆう心当たりがあるんやね?」 「え、えぇ……」 「そうか。 ……ずっと注意はしとったつもりやったけど、いざ本気出されたら手も足も出ぇへんね」  どういう意味ですか……? と俺が訊ねるよりも前に、会長はくるりと体の向きを変えて俺の方を見た。 「結論から言うけど、ウチは今、前々から知っとった筈の"その子"の事を綺麗さっぱり忘れてしもてるみたいやわ。 恐らく、今"その子"の事を認識できてるんは、秋内君だけや」   「え……」 「彼女の呪いは、縁伝者(エンデンジャー)。 昔のWINGSで、最も知名度が高かったメンバーの呪いや。 この呪いは、他者の感心・興味を左右する。 相手に自分の存在とかイメージを強く印象づけることが出来る、って感じやね。 ……そんで、この力を応用すれば、逆のことも起こせるんよ」   「逆のこと……」 そうか……絵美里さんは、その"縁伝者"の力を逆向きに作用させて、"相手が自分の事を意識しなくなる"ような状態にしたんだ! だから、誰もが彼女のことを忘れてしまっていたのだろう。 「印象操作って程度の力の筈なんやけど、まさか記憶にまで作用するとはね……ホンマ叶わんわぁ」    ため息をつく会長。なぜ、絵美里さんはそれほど強大な力を持っているのだろう? 彼女の呪いは、他と性質が異なるのだろうか? そんな風に考えていた俺は、すぐ後に発せられた会長の言葉を聞いて、愕然とした。 「━━━縁伝者(エンデンジャー)の子は、五人の中で一番早うに呪いを発症したんよ」    「…………え?」 「秋内君が呪いの事を知ったんは、和田辺さんが呪いにかかったのがきっかけやんな? 詩葉ちゃんは、それよりも前に呪いを発症しとったし……それから後は、秋内君が知ってる通りやね。 ……でもな、縁伝者はそれよりもずっと前に、その力に目覚めてたんよ」  どういう、事だ……?  だって、俺が呪いの事を知った時からずっと、絵美里さんは俺たちをサポートしてくれていた。呪いにかかっているなんて素振り、全く見せなかったのに……!  そう思ってすぐに、待てよ……? と俺の中に嫌な猜疑心が渦巻いた。 本当に、そんな素振りを一度も見なかったか……?  あの時も、別の時も、もしかして……!? 今になって、彼女の呪いの影響ともとれるような様々な言動がフラッシュバックする。        『あ、あの……どうして私の名前を?』 『オカルト研の……あぁ、そんな子もいたっけな』 『私はアイドルなんて無理ですから! 他を当たって下さいっ!!』 『それから……あの子も居たぞ? あの……オカルト研かなんかの……誰だっけ?』 『アイドルになるのは無理ですけど……でも、応援しますから!』     『色々と、ありがとうございました。 私、皆さんのこと、ずっとずっと応援してますからっ! ……さようなら』 「全部、絵美里さんは知ってて……!」 「絵美里さん、か……そういえば、そんな名前やったような気するわ」  そう呟く会長の声には、どこか悔しさのような感情が見え隠れしていた。まるで、彼女に手を差し伸べられなかった事への自責の念を抱くように。   「秋内君」  会長に名前を呼ばれ、背筋に緊張が走った。ゴクリ、と唾を飲む音が向こうにも聞こえてしまいそうだった。 「今、絵美里さんの事を認識出来てるんは、世界中で秋内君だけや。 ……秋内君しか、あの子を救えへんの。    ……だから、頼むで」 「分かりました」  絶対に、絵美里さんを見つけ出してみせる。そう、改めて決心した俺は、会長の言葉を胸に、再び階段を駆け上がっていった。 「━━━あ、最後にもう一つだけ、ええやろか?」  と、会長に再び呼び止められる。階段を登り切る少し手前で立ち止まり、慌てて振り返る。 「どうかしました?」 「あぁ、ゴメンな? 大した事やないねんけど…… 舞ちゃ…………岳都さんは、元気にやっとる?」 「? ええ、今ではもうすっかり皆と馴染んでます」 「そう……なら、良かったわ。 ゴメンな、引き止めて。 さぁ、早よ絵美里さんの所いったげて」  そう言うと、彼女はスタスタと廊下を歩いて行ってしまった。  一体、何だったのだろう……? 少し気になるが、それよりも今は絵美里さんのことだ。くるりと、再び方向転換をして階段を駆けていく。日の光を反射して白く輝く廊下の床を蹴って、俺は、オカルト研の部室へと急ぐのだった。     つづく
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