WINGS&アイロミームproject(仮)
第六章 『交錯と決意の水簾歌』(後編)
3月に入り、生徒会室は閑散としていた。  この学校では、生徒会選挙は毎年5月頃に行われる。よって、会長に選ばれた者は、卒業ギリギリまで任期があるのだ。  「……もうすぐ、この学校ともお別れやね」  トントン、と生徒会資料を整理しながら、早見はポツリと呟いた。  この学校での生活は楽しかった、と彼女は思っていた。確かに、生徒会の業務は大変だったし、何より、ある事情で錦野という教師に手を貸さなければならなかったのは、本当に酷だった。  ……しかし、それでも呪いを受けた後輩たちのサポートをするのは全然嫌じゃなかったし、むしろ楽しかった。それに、彼女たちが『WINGS』としてアイドル活動をすると言い出した時には、本当に運命的なものを感じた。本気で彼女たちを応援したいと思ったし、実際、そうしてきたつもりだった。  三年生になってからの、たった一年足らずの間の出来事のはずなのに、早見の頭の中は、WINGSとの記憶でいっぱいになっていた。    「このままハッピーな気分で卒業したかってんけど……そう上手いこといかんみたいやねぇ……」  彼女の手には、天島プロダクションから送られてきたFAXの用紙が一枚。今日とその一週間後、ガイアのPV撮影のために学園の敷地を使用させて欲しい……という旨が書かれた紙だった。  最初に電話を受けた時、早見は、『嫌がらせだな』と直感でそう思った。全国的にも有名で、CDも出しているようなアイドルグループが、何故わざわざこの学校をロケ地に選ぶ必要があるのか。……そんなの、天島の差し金に決まっている。そう思ったのだ。 しかし、まさかその天島本人が此処に来るとまでは想定していなかった。彼女の顔を見た時の、あの手が震えるような感覚が、今もまだ残っている。  「一体、何のために……」  本当は分かってるくせに、彼女はそう彼女に問いかけたくて堪らなかった。あれから三年も経過した今になって、どうしてちぃちゃんは私の前に現れたのか。一体、何が目的で━━━      ━━━コンコン。  不意に、生徒会室の扉がノックされた。我に返った早見は、慌てて資料を棚に戻し、深呼吸を一つ挟んでから、扉の向こうに声をかけた。  「どうぞ。 鍵は開いとるさかい、入ってええよ」  放課後に生徒が尋ねてくるのは珍しい事ではない。今は自分のことは棚に上げて、生徒会の仕事に専念しよう。そう気持ちを切り替えるのと同時に、ガチャリと扉が開かれて生徒が中へ入ってきた。  「……失礼します、会長」  「秋内、くん……?」  そこに現れたのは、アイドル研究部の秋内 翔登と、その他のメンバー達だった。夕暮れ時の生徒会室に、オレンジ色の夕日の光が淡く落ちていた。      ~~~    「……失礼します、会長」  俺たちは、放課後に皆で生徒会室を尋ねることにした。昼間にあった事について……会長本人の口から色々と聞きたかったからだ。 稲垣の予想通り、会長は部屋で一人作業をしていた。しかし、扉を明けて目に飛び込んできた彼女は、どこか上の空状態だったというか……なんか、いつになくボーッとしているように感じられた。 「秋内、くん……?」 会長は、俺たちの姿を見て少し驚いているようだった。が、流石は会長と言うべきか、すぐにいつもの毅然とした態度に戻り、  「こないして皆で押し掛けてくるなんて珍しいなぁ。 で、どないしたん? 生徒会に頼み事?」    「いえ、私たちは会長に話があって来ました」 話を切り出したのは稲垣だった。彼女は、メンバーの中で一番会長のことを心配していた。ずっと会長のもとで一緒に仕事をしてきた身なのだから、そう思うのも当然だろう。 「聞かせて下さい。 会長がこの学校に来るまでに……天島さんと何があったのか」    「私も、聖子さんの事は"水簾御前"としてししょーと一緒に活動してた時の事だけしか知らない。 だから、聞かせて欲しい。 ……どうして、私たちの前から急に姿を消したのかを」 「……」 稲垣、岳都の二人に詰め寄られてもなお、会長は固く口を閉ざしてニコニコしているだけだった。そこまでして、彼女は自分の過去を話したくないというのだろうか? 『大方、ウチに黙って転校したんが後ろめたいから~とか、そんなんやろ? ホンマ、聖子は昔から変わらんなぁ』 天島さんが言っていたあの言葉。黙って転校したとか、それを後ろめたく思っているとか、そんな今までに聞いた事すら無かった会長にまつわる過去が、あの言葉には集約されている気がした。彼女の物憂げな表情の裏に隠された真意も、きっとその過去に関係している筈なのだ。 「会長……何か言って下さい!」 俺の言葉にすら、会長は答えようとしない。黙秘権を行使してきたようだ。 となると、彼女に真実を話してもらうには━━━      「稲垣……」 彼女に説得を頼もうと声をかけたその瞬間、此方を見てきた稲垣と偶然目があった。俺からお願いするまでもなく、稲垣は自分に任せて欲しいと目で訴えかけていた。そのアイコンタクトを信じて、俺は何も言わずに引き下がる。会長の心を動かせるのは、稲垣しか居ない……! 「……会長」    静かに、稲垣が会長に歩み寄る。俺たちは、そんな彼女の背中を後ろからじっと見守った。 「……私は、いつも笑顔でテキパキと生徒会の業務をこなす会長を、心から尊敬していました。 いつも落ち着いていて、優しくて、たまにイタズラっぽい所もあるけど……でも、私や皆から頼られる存在でした」    でも……、と稲垣は言葉を続ける。 「……今の会長の笑顔は、どこか寂しそうに見えます」 「っ……」 ピクリ、と会長の肩が微かに動いた。夕日が雲に隠れたのか、室内が僅かに暗さを帯びた。 「会長は、かつて論理狩(ロンリー・ガール)で苦しんでいた私に、ずっと寄り添ってくれましたよね。 寂しさに苛まれていた私に、手を差しのべてくれましたよね。 孤独だった私を会長が助けてくれた事が、私にとってどれだけ救いだったか……今でも、その感謝の気持ちは忘れていません」  会長は、黙って稲垣の言葉を聞いていた。さっきまでの作り笑いではなく、真面目で真剣な表情がそこにあった。    「……だから、今度は私の番です。 会長の寂しそうな顔を見ると、私まで胸が痛くなるんです。 だから、お願いします。 もし私たちに何か出来る事があるなら……会長の寂しさを埋める方法があるのなら、それを試させてください!」 終始、稲垣は会長の瞳から視線を外さなかった。稲垣の呪いである論理狩(ロンリー・ガール)の力が働いたのか否かは分からない。ただ、そんな事を抜きにしても、稲垣の言葉は真っ直ぐに響いて、皆の心を震わせたようだった。きっと、この思いは会長にも届いて━━━   「……はぁ」 ため息が、会長の口から漏れた。その物憂げな吐息に、俺は僅かながら不安を覚える。  まさか、駄目だったのか……? そう思って声をかけようとした直前、会長はゆっくりと椅子から立ち上がって、大回りで長机の前へ出てきた。   「……詩葉ちゃん、ずるいわぁ。 そんなん言われたら……ウチだって、詩葉ちゃんに甘えたなってまうやん」 「会長……」 コツン、と会長はその頭を稲垣の肩に預け、そっと寄りかかった。まるで稲垣が姉で、会長がその妹になったかのようだった。今までに見せたことの無い表情で稲垣にすり寄る会長を、俺たちは少しビックリしながら見つめていた。……特に、身体を寄せられた方の稲垣は、目を丸くして固まっていた。 「会長……」 が、会長が自身の素直な気持ちを表現してくれたことが嬉しかったのか、稲垣は穏やかな笑みを浮かべて、彼女の背にそっと手を回した。 「……う~ん、やっぱりまだ発展途上って感じやなぁ。 柔かいんは確かやけど」 「え……って、ちょ!? ど、どさくさに紛れて何をしているんですかっ!?」 けたたましい声と共に、稲垣が突然会長を突き放した。何事かと思ってよく見ると、会長はニヤニヤと笑いながら両手を怪しく動かしていた。  「詩葉ちゃんが無警戒で近づかしてくれる事なんて、滅多にないやん? ええ機会やし、おっぱいの一つでも触っとこ思て~♪」  「貴女は……貴女という人はっ……!」  拳を握りしめ、プルプルと下を向いて震える稲垣。その顔の赤らみは、恥ずかしさなのか、それとも怒りなのか……。俺たちが苦笑いを浮かべる中で、岳都はただ一人、興味深そうに会長の方を見つめ、  「おぉ。 昔はししょーにセクハラされる側だった聖子さんが、まさかこんなにキャラ変してたとは。 ゆるふわお姉さん的な所は変わらないけど、ししょーの意を次いで余裕ありげなチョイS属性をムグゥッ!」  「舞ちゃ~ん……? いらん事は言わんでええんよ~?」  笑顔のまま岳都を押さえ込む会長が、ちょっとだけ怖く見えた。でも、今までずっと謎に包まれていた彼女の素性が次々と明らかになっていく様子は、見ててちょっと面白いというか、一気に親しみやすさが増したような、そんな気がした。  「……で、ちゃんと話してくれるんですよね?」  「あぁ、ごめんごめん。 ウチこういう真面目なん苦手やさかい、堪忍な?」  両手を顔の前で合わせ、可愛らしく謝ってみせる会長。その間も、稲垣は胸を触られた事を激しく抗議して、つぐみと乃木坂に押さえられていたが、会長はその様子さえも笑顔で見つめていた。    「さてと、何から話したらええやろ……? ウチが昔、ちぃちゃんと一緒にアイドル活動してたんは、もう聞いたやんな?」  「はい。 でも、具体的にどんな感じだったかまでは……」  うーん……と、口元に手を当てながら考え込む会長。昔の記憶を色々と思い起こしているのだろう。  「そうやねぇ……ウチが初めてちぃちゃんと出会うたんは、中学生の時やったかな。 そん時は、ウチって結構大人しい子やったさかい、友達も全然おらんかったんよ」  窓の外にぼんやりと視線をやりながら、会長は語る。    「そんなウチとは反対に、ちぃちゃんはめっちゃ元気な子でな。 今まで話しもせえへんかったウチにいきなり声かけてきてん。 『君めっちゃ可愛えな! なぁ、ウチと一緒にアイドルやらへんかっ?』って」  苦笑する会長。聞くところによると、その時はちょうど学校の文化祭準備期間だったらしく、天島さんは、ステージで一緒に歌を歌うパートナーを探していたのだという。『天島プロダクション』の社長である父の影響を受け、幼い頃からアイドル業に興味を持っていたのだそうだ。  「最初は、絶対イヤや! 言うて断ってんけど、なかなかちぃちゃんが引き下がらんくて……。 で、しゃーないから一緒にステージで歌ったんよ。 それが『水簾御前』の始まりやね」  「私と華ちゃんが、商店街で水簾御前を見たのは?」  「うーん……多分、結成して一年経ったぐらいの時と違う? その頃は、地元の色んなとこで活動させて貰とったし」  そういえば、岳都がダンスを始めるきっかけになったのは、商店街で見たアイドルグループのパフォーマンスだった、って言ってたな。……まさかそれが会長と天島さんのユニットだったなんて、その時は思いもしなかったけど。  「初めはめっちゃ恥ずかしかってんけど、やってる内に楽しなってきてな。 ちぃちゃんとも、だんだん打ち解けてきてん。 それこそ、舞ちゃんと華ちゃんらぁが声かけて来た頃には、ウチもちぃちゃんに便乗して先輩風吹かしとったぐらいやし」  「そんなに楽しくやっていたのに、どうして……」  そう尋ねたのは、乃木坂だった。聞きづらい内容……でも、俺たちが一番気になっていた核心が、その事についてだ。話を振られた会長は、少しだけ苦い表情を浮かべながら、笑った。  「……事情があってん」  ぼやけた言い回しに違和感を覚えつつも、俺はその先に踏み込む事が出来ず、黙って会長が口を開くのを待った。  「水簾御前の活動が活発になって、大会にも勝ち進んで、まさに"これからや"っていう時期の、その最中に……ウチは、ちぃちゃんに黙って姿を消した」  ゴクリ、と誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。オレンジ色の夕日が窓から差し込み、会長の手元だけを照らしている。  「ホンマに、急やった。 家族以外には、転校の事なんて誰にも話してへんかったさかい、いきなり姿眩ましたみたいになってな」    「……聖子さんは、ある日突然レッスンに来なくなった。 それ以降は、ししょーが一人で私と華ちゃんの面倒を見てくれたけど……聖子さんが別の街に引っ越したって知ったのは、華ちゃんが事故で死んだ後だった」  「そう、だったんだ……」  淡々とした岳都の言葉に、皆が目を伏せた。特に会長は、その目をぎゅっと固く閉じて、辛そうにしていた。  「その、事情というのは……?」  「うん……言うてしまえば、ただの"お家騒動"みたいなモンやねんけどね」  そう言って、ふぅ、と重く息を吐く会長を、俺たちは静かに見つめる。    「早見家はな、京都に代々伝わる"早見流"ゆう日本舞踊の家元なんよ」    「えっ……」  家元……つまり、日本舞踊に代々携わってきた家系って事か。京都人らしいはんなりした感じや、気品のある振舞いから、お金持ちの家の人なんだろうなー、なんて思ってはいたけど、本当に由緒あるお家柄の人だったとは……。  これには、俺やつぐみ達だけでなく、稲垣や岳都も驚いていた。    「早見流は、代々長男か長女が当主を引き継ぐ決まりになっとるんよ。 で、当主になった子は、指定された音楽学校を卒業せなあかんっていう暗黙のルールがあんの。 それが、聖歌学園高校って訳やね」  「そういえば、聖歌高の設立に早見家も携わっていたって、学校沿革に記載されていたような……」    「そうそう。 いわゆるスポンサーみたいな感じやった訳。 それもあって、早見家は聖歌学園とは繋がりが深かったんよ」  んー、と、会長は思い出したように生徒会室の一角にある本棚へと手を伸ばし、一冊の分厚いファイルを手に取り、パラパラと捲って見せた。会長が指差したページを覗き込むと、それは学校法人の関係者名簿だった。そこには確かに、早見という名字の人が記載されている。  「では、会長は早見家の長女だったという事ですか?」  稲垣の質問に対し、会長は首を横に振った。  「ウチには、お兄ちゃんがおるんよ。 6歳年上の、早見 光男(はやみ みつお)ゆう人が」    「えっ……!?」  知らなかった。まさか、会長に兄が居たなんて……。 これにも、稲垣と岳都は驚きの表情を見せていた。今まで誰にも話していなかったのだろう。  「早見流の次期当主になるんが確定しとった光男さんは、小学生ぐらいん時から、世俗的な世界から距離を置くよう厳しくしつけられてな。 実を言うと、ウチもあんまり会うた事はないんよ」  「とってもmaestosoな環境だったんですね……」  「そうやね。  ……それで、光男さんはルール通りに聖歌高に入学した。 そのまま良い成績を修めて卒業し、正式に早見家の次期当主となる……筈やった」  「筈……?」  何か引っ掛かる言い回しに、夏燐が食い付いた。会長は、コクリと小さく頷いてから、    「光男さんはな……今から丁度6年ぐらい前に、精神病を患ってしもてん。 それで、とても次期当主として舞踊が出来る状態やなくなってしもうたんよ」  「えっ……」  話が思わぬ展開に進み、俺は困惑してしまった。6年前という事は、光男さんが丁度聖歌高を卒業したぐらいの時期って事か。これから早見流を担っていくという時になって、どうして……。  「原因は……うん、ウチも知らんねんけどな。 ただ、先代をはじめ、早見家のお偉いさんらぁはえらい焦ったらしいわ。 なんとかして光男さんに次期当主になって貰わなあかん言うて、色々と手尽くさはったらしいんやけど……結局、光男さんは日本舞踊の世界に復帰できんかった」  「そんな……」  なんとも悲痛な話だと思った。会長が苦笑いを浮かべる度に、俺たちはどんな顔をして良いか分からず、目を逸らした。  「その後は……何となく分かるやろ? 本来後継ぎとは何も関係あらへん筈のウチに、白羽の矢が立った。  ……そう、ウチが急遽、次期当主に選ばれたんよ」  息を飲んだ。そんな事ってあるのか……と、自分の事じゃないのに歯噛みしたい気持ちになった。伝統ある日本舞踊の家に生まれた早見会長は、ただその家に生まれたというだけで、伝統という名の重荷を背負わされたのだ。    「じゃあ、ししょーや私の前から急に姿を消したのは……」  「……うん。 両親は、ウチがちいちゃんと一緒にアイドル活動やってたんを知っとったからね。 早めに引き離して、日本舞踊の道に進ませよう思たらしいわ」  「そんな……でも、それじゃ会長の自由がっ……!」  「これでもまだ緩い方やで? "本格的に日本舞踊の型学ぶんは、聖歌高を卒業した後でええ"って事になっとるし、高校生活自体はウチの好きにしてもええって言われとるしな」  ただ……と、会長は続ける。  「聖歌高への転校は確定事項になっとったさかい……アイドル活動を存続したいってワガママだけは、通して貰えへんかったんよ」    「でも、お別れを言うための猶予ぐらい、あっても良かったんじゃ……!」  「当初はえらい慌てとったさかい、そこまで手が回らんかったんやろね。 ウチも、早見流の重鎮である両親に歯向かうような事は出来ひんかったし」  その言葉を最後に、皆が口ごもってしまった。運命とは、時に残酷なものだ。"家の事情"だけで、ここまで会長の人生は歪められてしまったというのか。彼女はただ、平和に楽しくアイドル活動をしていただけだというのに……。  「その話、天島さんには……?」  「うん、事情はちゃんと話したよ。 ……ウチが直接言うた訳やないけど」  皮肉めいた口ぶりで、苦笑いを溢す会長。彼女が顔を曇らせるのと同時に、窓の外の日がまた陰を成した。どんよりと、重苦しい空気が俺たちを包む。  「……はい! ウチのしょーもない昔ばなしはもう終わり!  ガイアとその関係者は、来週また撮影の為に来はるらしいから、今度は揉め事起こさんように気ぃつけや? ……ウチも、極力出て来おへんさかい」  「……」  和やかな会長の笑顔が、この時ばかりは曇って見えた。  会長は、本当にそれで良いと思っているのか? 自分に嘘をついて、無理矢理納得しているんじゃないのか? 考えれば考えるほど、会長の笑顔が悲しみに上塗られた虚勢のように感じてしまう。  ……いや、むしろ会長は、ずっとそんな悲しみを背負い続けて、その上で必死に笑っていたんじゃないだろうか? だとしたら、今までの笑顔は……。俺たちの前で穏やかに振る舞っていた彼女の笑顔は、全部━━━  キーン、コーン、カーン、コーン……    居心地の悪い沈黙を破ったのは、部活動の終わりを告げるチャイムだった。皆がその場に立ち尽くす中で、チャイムの余韻と外の生徒らの声だけが室内に響く。    「……さ、もうすぐ完全下校時刻やで? こんな所で辛気臭い顔して突っ立っとらんと、早よ帰る準備しいや?」  「ま、待って下さい!」  考えるよりも先に、叫んでいた。  このまま何も言わずに帰るなんてできない。でも、何を言えば良いのかも……分からない。皆や会長に見つめられる中、俺は━━━グッと瞳を閉じて、言った。  「会長は……会長は、本当にそれで良かったんですか?」  「っ……」  きっと、此処に居る誰もが同じ疑問を抱いていたと思う。会長が今の状態を本当に良しとしているのか……もしかすると、後悔しているんじゃないか、と。  「……嘆いたって、もうしゃーないやろ?」    ポツリと呟くように、会長の口から漏れた言葉。さっきまでの取り繕ったトーンとは違う、どこか寂しげなその言葉に、俺たちはまた胸を締め付けられた。  「ウチがやらな、早見流を継げる人は誰も居らんようなってしまう訳やし、ちいちゃんもその事情を知っとる。  ……だから、あがくような真似したってどーしようもあらへんかったんやし、体裁だけ見れば、何も悪いことなんて無いはずやろ? だからこれで……」  「体裁なんてどうでも良いです!」  その叫びに、自分でもビックリしていた。今まで、呪いを抱えてきた仲間たちと関わってきた経験が、俺を動かしているのだろうか。会長の儚げな笑顔を見て俺は、心から"彼女を苦しみから救いたい"と、そう無意識のうちに思っていたのだ。  「俺が聞いてるのは、会長がどう思ってるかです! 結果がどうとか、仕方ないからとか、そんなのどうだっていい!  俺は……俺たちは、会長の本心が聞きたいんです!」  「秋内君……」  一歩前へ出て、真っ直ぐ会長の目を見る。    呆気に取られたような表情の会長。その淡い水色の瞳の奥は、まるで━━━    「━━━涙で塗り固められた虚像の目」  「岳都……?」  スッと俺の横を通り抜けて、岳都が会長の目の前に立った。グッと顔をもたげて会長を見上げながら、彼女は言う。  「……天からの声が告げている。聖子さんは、心の奥底で泣いている。 運命を嘆いている。  ……というか、天からの声を聞くまでもなく分かる」  「そんな、事……あらへんよ……」  「私の目を見て」  ずずいっ、と迫ってくる岳都に、会長は圧されていた。が、やはり簡単に態度を変えることはないらしい。  「……分かった。 なら、言葉を変える」    そう言って、スッと身を引く岳都。今度は何をする気なのだろう……と、皆が岳都の方に意識を向ける中、彼女はおもむろに頭を下げ、  「お願い、聖子さん。 ししょーと、もう一度ちゃんと話して。 それから、ちゃんと仲直りして。  ……これは、私や華ちゃん、それから、WINGSの皆からのお願い」    「っ……!!」  それは、驚くほどにシンプルなお願い。  しかしその言葉は間違いなく、葛藤で揺れ動く会長の心を突いただろう。目を見開いた彼女の瞼に、うっすらと涙が溜まっているのが見えた。  「会長……もし、貴女が本当に早見流の当主となって、これから先、日本舞踊に専念するというのなら……天島さんたちと会えるチャンスは、今しか無い筈です。 今動かないと、貴女はこの先一生後悔し続ける筈です。 私は……そんな会長の姿、見たくありません」  「詩葉ちゃん……」  岳都の隣に並び立つようにして、稲垣が前に出る。その凛々しい目は、生徒会業務に励んでいる時の彼女と同じだった。    「私もっ!」  その声は、つぐみが発したものだった。  「私も、会長には後悔して欲しくないです! 会長は今までに、私たちのこといっぱい応援してくれたし、何度も助けてくれた。 ……会長のサポートのおかげで、私たちは今、毎日楽しくアイドル活動がやれているんです」  「だからこそ、私たちが受け取った思いを……アイドル活動へのフォルテッシモな思いを、会長さんにも持っていて欲しいです」  「……過去は、なかったことには出来ません。 だったらせめて、美しい形のまま残しませんか? 決別でもなく、忘れるでもなく……"楽しかった思い出"として胸に刻み続けるために」  「皆……」    WINGSのメンバーが順々に前に出て、会長に自分の思いを告げていく。そうして最終的には、俺と岳都を中心に、全員が横並びに立つという異様な光景が生まれていた。皆が真剣な眼差しで、真面目に、会長に訴えかけていた。それをじっと見つめていた俺は、なんだか胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。    「……お願い、聖子さん」  岳都が頭を下げる。それに合わせるようにして、俺たちも全員頭を下げた。  どうだろうか……と、少しだけ顔を上げ、チラリと会長の顔を見やる。と……… 「━━━そんなん……そんなんずるい。 ずるいわぁ!」  会長は、ボロボロと涙を溢れさせながら、その場に泣き崩れていた。  今までずっと悠然と振る舞って、笑顔を絶やすことのなかった会長が、感情をむき出しにして泣いている。初めて見る会長の姿に驚く俺たち。彼女は、涙で濡れた顔を両手で覆いながら、  「ウチだって、このままちぃちゃんと曖昧な関係のまま別れたない……! ちぃちゃんとの思い出を無かった事になんて、そんなん出来る筈ないやんかぁ……!」  「会長……」  止めどなく溢れる涙が、夕日の光を反射しながら、会長のブレザーの袖口を濡らす。でも……と、彼女は震える声で言葉を続けた。  「今更、何言うたって遅いやん……。 あと数日で卒業や言うのに……ウチ、ちぃちゃんに何話したらええの……?」    弱々しく呟く会長。そんな彼女に対し、俺たちは咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。数年もの間ずっと悩み続けてきた彼女を、一体どうやって救えば良いのだろうか。救いたい気持ちは高まるばかりだが、それでも、具体的にどうすれば良いのか、俺はすぐに思い付くことが出来なかった。  ……ただ一人、真っ直ぐな瞳をした岳都を除いて。  「大丈夫。 天も私も、聖子さんの味方」  「舞ちゃん……」  顔を上げる会長にそっと手を差し伸べる岳都。皆の視線が集まる中、岳都は決然と言った。  「私に、考えがある」    ~~~       聖歌高校、卒業式前日。  式の準備なんかも終わり、卒業生以外の生徒たちは皆、もう既に帰宅している。そんな、人の少ない時間帯を狙って、千穂たちは聖歌高に訪れた。  今日の予定は、新曲のジャケット用の写真を何枚か撮るだけ。なので、高校の方々の邪魔にならないよう手っ取り早く用事を済ませて帰ろうという魂胆だ。そう、『早く帰ろう』と千穂はひたすら自分に言いきかせていた。    前回、捨て台詞のように聖子に言い放った『ええ歓迎してな』という言葉。それが、何故か彼女の脳裏から離れなかった。  別に、本当に手厚く歓迎して貰いたい訳じゃない。 ……ただ、せっかく三年ぶりに親友と出会えたのだから、もう少し話したい。それくらいの権利は、あっても良い筈だ。……そんな、子供みたいな我が儘が、ずっと千穂の心を苛んでいた。  「……プロデューサー? どうかしましたか? なんだか浮かない顔をしていますけど……」  「ん? あぁ、ちょっち考え事してただけや」    車から降りてすぐに、ルイヤが心配そうに千穂の顔を覗き込む。いつもは陽気なキャラで通している千穂も、此処に来るとどうしても複雑な感情が渦巻いて顔が強張ってしまうのだ。自分が指揮するアイドルの一人にそれを見抜かれてしまう程に。  「ほな、後はスタッフの指示に従ったらええし。 一応時間はようけ取って貰っとるけど、迷惑にならんようちゃっちゃと済ませて引き上げんで。 ええか?」  「「「はい!」」」  返事と共に、ガイアの三人はスタッフの後を追って校舎へと入っていった。学校の責任者への挨拶も、スタッフが代行してくれるだろう。    「……よし、ほな終わるまで待っとくか」    本来、プロデューサーである千穂は、撮影に付き添ってその様子を見守るのが仕事だ。が、今回は全てスタッフに一任した。……学校の中に入るのが、嫌だったからだ。  「……」  振り返ることもせず、千穂は静かに車に戻る。後は、撮影が終わるまで待つだけだ。  「━━━ちいちゃんっ!」    が、その予定は、たった一声の、聞き覚えのある学生の声で瓦解することとなった。  「……聖子?」  ゆっくりと振り向く千穂。予想通り、そこに立っていたのは、かつての千穂の親友……早見聖子だった。  「……なんや、今度はちゃんと挨拶でもしに来てくれたんかいな?」  冗談っぽい雰囲気で話しかけるが、聖子は答えない。ただ、この前のように驚きと戸惑いで言葉を発せずにいる……といった風ではない。むしろ、その瞳は真っ直ぐに千穂を捉えていて、彼女の真剣な気持ちを示していた。  「……来て」  「は? いきなり何言うて……って、おい! 何やねん急に! ちょ、待ちいな!」    いきなり腕を掴んだかと思うと、そのままズイズイと千穂の腕を引いて、校内へと入っていく聖子。千穂は、訳も分からないまま手を引かれて進んでいく。来客用の駐車場には、ドアが開けっ放しになった車だけが取り残されていた。   ~~~    「━━━ちょ、もう、何やねんホンマ! 何とか言いーや!」    無言で千穂の腕を引っ張りながら、聖子は校舎内の空き教室へと彼女を連れ込んだ。卒業式前日という事もあってか、教室内は綺麗に清掃がなされていた。当然のことながら、室内には聖子と千穂の二人だけしか居ない。  「ったく……話あるんやったら直接言やええやろ。 なんでこんなトコ連れてこられなアカンねん……」  「理由は一つ。 ……ちいちゃんに、お願いがあったから」  「……はぁ? お願い?」  ゾワリ、という嫌な予感が千穂の胸の中を蠢いた。それでも、千穂は強がった笑みを浮かべる。  「……はいはい、言わんでも分かるわいな。 どーせ、『あん時勝手に居なくなってごめんなさい。ウチのこと許してー』とか、そんなんやろ? 今更そんな事で……」  言い終わらない内に、聖子はずいっと千穂との距離を詰めた。驚いて反射的に身を引きそうになる千穂の腕を、聖子がグッと掴んで引き寄せる。二人は、互いの息が重なり合うぐらいまで近づいていた。  「ウチと、もう一度だけ一緒に歌って欲しい。 ウチと、ちいちゃんとで……もう一度、『水簾御前』として」  「っ…………」  一瞬、千穂は言葉を失った。目の前でじっと千穂を見つめる聖子。その瞳は真っ直ぐで、疑いようもないくらい真剣なものだった。  ……だからこそ、千穂の中では、泥のように苦い感情が沸き上がってきた。    「……今更何言うてんねん」  もう、ヘラヘラした態度で誤魔化し続ける事は出来なかった。千穂は、千穂の中で渦巻く感情に掻き乱されるかのように、冷静さを欠いていった。  「元はといえば、聖子が悪いんやろ! 何の相談もせんと急にどっか言って……ほんで、三年経って会うてみたら、"また一緒に歌って欲しい"? アホ抜かせ! そんな虫のええ話あるか!」  「うん……うん……ウチだって分かってるよ、そんな事。 やから、三年間ずうっと……後悔してた」  「……っ!」  まくし立てるように声を荒らげる千穂だったが、聖子の瞳に浮かぶ涙の粒を見た途端、急にその威勢を失って黙りこんだ。  聖子は手の甲でそっと涙を拭うと、教卓の裏へと回り込んだ。そして、ガサゴソと紙袋のようなものを漁って何かを取り出し、千穂の前に掲げた。それを見た千穂の目は、大きく見開かれた。  「それ……水簾御前の衣装……」  コクリ、と聖子は頷く。  「舞ちゃんとその友達が、協力して作ってくれたんよ。  ウチらの為に。 ……もう一度歌いたいっていう、ウチの身勝手な願いの為に」  「な、んで……」  「細かい話は後回しや。 ……ウチだって、ちいちゃんに話したい事いっぱいあるし、謝りたい事もいっぱいある。 ……でも、言わんとく。 その代わりに、ウチの想いをぜーんぶ歌と踊りに込める。  ……だからお願い。 ウチともう一度だけ、歌って……!」  「…………」  千穂は黙っていた。生徒のいない校舎の静寂が、より克明なものとなって二人を包む。聞こえるのは、風が微かに窓を叩く音だけだった。    「……はぁ」  その静寂を、千穂は自ら破った。スタスタと、感情を誇張するように足音をたてながら、聖子に近寄っていく千穂。そして、聖子の手から、かつて自分が身に纏っていた衣装をむんずと掴み取ると、  「……一回だけや。 しゃーないから、聖子のワガママに付き合うたる。 ……文句は、歌の後でたっっぷり言わして貰うさかい、覚悟しいや?」  「ちいちゃん……!」    聖子の顔がぱあっと明るくなるのに合わせて、千穂はニヤッと笑った。  「言うとくけど、ウチはもうプロの世界の人間や。 パフォーマンスは全力で、楽しんでやらして貰うでな。 ……そんな鈍った身体で、ちゃんとウチに付いてこれるんか?」  「お気遣いどうも。 ……でも、水簾御前のパフォーマンスはちゃーんとウチの身体に刻み込まれとるさかい、そうそう忘れへんよ」  「ほう、相変わらず口だけは達者やな。 ……ほんなら、見して貰おか」  「望むところや」  言い争う二人は、しかし、今まで見せたこともないような笑顔だった。掃除されてすぐの窓に付いた水滴の数々が、降り注ぐ光を反射させて、キラキラと煌めいていた。    ~~~  体育館は、卒業式の準備が整えられているために使用できない。そこで俺たちは、校舎の二階にある多目的室を即席のステージとしてセッティングした。なるべく、体育館でWINGSがパフォーマンスをした時と同じような雰囲気が出るように、機材やライトも準備した。会長と天島さんのため……その一心で、皆が一生懸命準備に励んでくれたのだ。    ガラガラッ、と音がして、水簾御前の二人が入ってくる。俺たちが拍手と共に迎えると、天島さんはビックリしたような表情で、  「なんやこのセット!? ……てか、観客おるとか聞いてへんし! ほんで、お前らは何で此処におんねん!?」  天島さんが指差した先。そこには、俺たちと一緒にちゃっかり観客として座るガイアの三人が居た。  「WINGSの皆さんに招待されたんです。 特別なライブをやるから観て欲しい、と」  「まぁ、まさかプロデューサーが出てくるとは思ってなかったけどねー」    「私たちも、プロデューサーが昔どんな風に歌って踊ってたのか見てみたいし! ……あ、でも、あくまで最強のアイドルはみりみりですけどね~♪」  そう言って笑う三人。撮影の合間に声をかけてみたのだが、事情を話すと、三人とも「是非!」と声を揃え、仕事を一時中断してまで観に来てくれたのだ。  最初は、高圧的な人だな、と良い印象を持てずにいたけど、今は違う。会長と笑い合って、ガイアの三人に見守られて……つくづく、天島さんは皆から愛されている人なんだな、という事が分かった。  「あぁ……俺、今ガイアのすぐ隣に座ってんだよな……」  「わ、私……夢を見てるんでしょうか……?」    「はいはい、江助もエミリーも、ライブ始まる前からヘヴン状態になるなー」  観客の準備はOK。後は、水簾御前の二人を待つだけだ。    「……いくで、ちいちゃん?」  「……おう、いつでもええで」  目でサインを送り合う二人。そのタイミングを見計らって、バックに控えていた稲垣が曲を流した。  辺りが暗くなると同時に、ライトが足元から二人を照らす。落ち着いた和風のメロディが会場に流れると、そこは、水簾御前のステージと化した。      「麗らかに~ 花を咲かせる桜の枝は~♪  幾重にも~ 道を分かち果ては一輪~♪」    「過ぎ去りし~ 時の漣描く斑模様~♪  慈しむ~ 君の瞳茜艶やか~♪」      誰もが皆、思わず「おぉ……」と声を漏らしていた。それほどまでに、二人の歌声は優美で、その動きは洗練されていて、綺麗だった。    「あぁ~ 風花はらは~らと~♪  頬霞め~ ふぶく~度~♪」    "水簾御前"という名前にふさわしい美しさがそこにあった。三年間というブランクを全く感じさせない動きは、プロであるガイアの三人をも魅了していた。    「淡く胸~に~、色を落とす~♪  君の~、面影は~何処に~♪」      「「天つ風~♪ 我~が想い~♪ 届く~のな~らば~♪  吾の故へ~と~、どうか~♪」」  「……私、分かった気がします。 何を目標にアイドルやっていけば良いか、って事」    水簾御前の歌が続く中、ポツリとつぐみが呟いた。その声に、俺と、隣にいたルイヤさんが反応する。  「私はやっぱり、自分自身が楽しむ事と、周りで応援してくれる皆を楽しませる事を大切にしたいです。  そりゃ、プロの人からすれば甘っちょろい、抽象的な目標かもしれないけど……それでも、その思いは忘れちゃ駄目だと思うんです!  会長の……聖子さんと千穂さんの歌を聴いて、そう思いました」  ルイヤさんは、つぐみの言葉を聞いてコクリと頷いた。つぐみの意志を全て汲み取ったかのように。  「なら、その思いは絶対に忘れないで下さい。 皆さんがアイドルとして活動していく上で、その思いはきっと皆さんの……いえ、WINGSの軸になる筈ですから」  「はい! ……それから私、この気持ちがどこまで通用するのかも試してみたいです。 ……だから、私たち『ミラアイ』に出ます! そして、ガイアと戦いたいです! それが、私たちの新しい"目標"です!」  「つぐみっ!?」  目線は水簾御前の方へと向けたまま、しかし強い意志を持った声で、つぐみはそう宣言した。最初はビックリしたけど……でも、今のつぐみ達ならできる気がする。ガイアの三人や天島さん、そして会長から教わった様々なことが、きっと彼女たちを強くしてくれる筈だ。    「「瀬をはやみ~、ひ~とひ~らの~、花びら~が溶~ける~♪  泡沫へ~♪」」      「……ええ、それじゃあ待っています。 いつか、『ミラアイ』のステージで会いましょう!」  「はいっ!」  「「ゆらゆ~ら揺れて~儚く~♪  水桜~♪」」  拍手喝采が室内にこだまする。皆が立ち上がって二人を讃えた。ステージの上で息を切らす水簾御前の二人は、しかし満面の笑みであった。      「クソッたれ……ホンマ、クソッたれや……!」  曲が終わるや否や、その場に膝をつく天島さん。そこへ、隣にいた会長が真っ先に駆け寄った。  「ちいちゃん……?」  「聖子に言いたい事いっぱいあった筈やのに……文句もアホほどあった筈やのに! 一緒に歌った途端、全部どーでも良うなってしもた。  クソッ……なんでこんな胸の中スッキリしとんねん……ホンマ、クソッたれや……!」  「……うん。 ウチ、今最高に幸せ。 二人で一緒に歌えて、幸せや……!」  ステージ上できつく抱き合う二人。その目には大粒の涙が浮かんでいたが、しかし、二人とも最高の笑顔を見せていた。  「すごい……みりみり、プロデューサーのこと見直しちゃったかも……!」    「いやぁ、あんなの見せつけられちゃったら、余計に逆らえないよねぇー……」  「本当に素敵でした! プロデューサー、早見さん……! 最高のステージをありがとうございます……!」  パチパチと、自然に拍手が沸き起こる。かくいう俺も、天島さんや会長の涙に貰い泣きしてしまいそうになっていた。    「ホンマに……お前らは調子ええな、こんにゃろうっ!」  ガバァッ! とガイアの三人へと飛びかかる天島さん。その様子は、"プロデューサーとアイドル"というよりはむしろ、"仲の良い姉妹"のように見えた。あははっ、と幸せそうな笑い声が部屋にこだまする。  「会長」  「聖子さん」  天島さんの方を見て微笑んでいた会長のもとへ、稲垣と岳都の二人が近づいていった。  「最後の最後まで、会長には教えられてばかりでした。 ……でも、今はそれを誇りに思います。 本当に、ありがとうございました!」  「華ちゃんも、きっと天で喜んでる。 私も、ししょーと聖子さんがまた笑顔になってくれて嬉しかった。 だから、ありがとう」  「……お礼言わんなんのはウチの方や。 詩葉ちゃん、舞ちゃん、それからアイドル研究部の……ううん、WINGSの皆。 ホンマに、ホンマにありがとう……!」  今なら、確信を持って言える。俺たちの目の前で、目に涙を浮かべながら何度も「ありがとう」と呟く彼女の笑顔は、紛れもなく、彼女の心からの笑顔だ。    「会長」  稲垣と岳都の間を通って、俺も会長の前に立つ。  「今まで、俺たちの事色々とサポートしてくれてありがとうございました。 俺たち、これからも全力で活動続けていきます!  だから、ちょっと早いですけど……卒業、おめでとうございます」  俺がそう言うのと同時に、周りから温かい拍手が沸き起こった。卒業式は明日だけど、もう会長は聖歌高を去ってしまうのかと考えると、やはり少し寂しい。……でも、だからこそ、俺たちがちゃんとやっていかないと。会長が安心して舞踊の世界で頑張っていけるよう、俺たちが聖歌高を引っ張っていくのだ。  「うん……ありがとう。 ウチも、遠くから応援しとるさかい、頑張りや?」  「はい、ありがとうございま━━━」  お礼を言いかけた俺の視界が、突然何かに遮られた。  ……いや、何だこの感触は? 温かくて、柔らかくて、ほのかに甘い香りが……  ……って、    「ええええぇぇぇ!!?」  俺が叫ぶよりも前に、つぐみたちが声を揃えて叫んだ。  俺は、真正面から会長に抱きつかれたのだ。  「え……えぇ!? ちょ、あ、あの、何を!?」  「んふふー♪ 秋内君への、ウチからのお礼や♪」  「お礼って……!」  チラリ、と後ろへ目をやると、皆の視線が突き刺さった。ニヤニヤと眺めている者、呆れ顔の者、ジト目で怒ってるっぽい顔……様々だ。    「会長っ、あの、もう分かりましたから離してっ……!」  そう言って抵抗するものの、会長は全く俺を離そうとしない。それどころか、更に寄りかかるように、俺の肩に顎を乗せて……  「━━━そのままの姿勢で聞いて」  「……っ!?」  耳元で、俺にしか聞こえないように囁く会長。その声を聞いた瞬間、混乱していた俺の頭がスッ……と水を打ったかのように冷静になった。  緊張感を走らせるトーンのまま、会長は俺に衝撃的な真実を告白したのだ。  「━━━ 一つだけ、教えとくな。 ウチの兄、早見 光男さんは、秋内君より一つ前の…………先代の、零浄化(ゼロ・ジョーカー)の持ち主やった人や」  「……え…………」    理解が追いつかない内に、会長の身体がスッと離れた。会長の温もりが消えると共に、頭もキンと冷えたような感覚だった。  「翔ちゃん……翔ちゃん! なにボケーっとしてるわけっ?」  「え……あっ」  我に返って振り向くと、つぐみが口をへの字に曲げてこちらを睨んでいた。よく見ると、つぐみ以外のメンバーも、どことなくムスッとした表情でこちらを見ている。  「あっはは! あれは聖子なりの愛情表現やでな、大目に見たってや」  「そ、そうだよ! 今のは会長が急に……」  そう弁解するものの、つぐみは尚ご立腹な様子で、  「デレデレしちゃって……もう翔ちゃんなんか知らないっ! ふんっ!」  困り顔を浮かべる俺だったが、頭の中はそれどころでは無かった。さっきの会長の言葉が、渦を巻くように反芻していた。  『早見 光男さんは……先代の零浄化(ゼロ・ジョーカー)や』    (会長のお兄さんが……そんな、まさか……)  次々と疑問が沸くものの、会長にその先を訊ねることは出来なかった。天島さんと喋りながらニコニコと笑う会長。そして、ふと俺の視線に気づくと、彼女は微笑んだまま、  「ほな、ね。 ……後のことは、よろしく頼むわな」  「「「「「……はいっ!」」」」」  茫然と立ち尽くす俺の代わりに、WINGSの五人が返事をした。笑顔の溢れる放課後の小さなステージの中で、ただ一人、俺だけがモヤモヤとした感情を胸のうちに残されることとなった。      END
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