WINGS&アイロミームproject(仮)
第七章 『崩壊と約束の宿命歌』(前編)
 「……限界だ」  机に両肘をついて、男はため息混じりに呟いた。ギシ……と椅子が軋む音が時折響く以外、この部屋は物音が一切しない。せいぜい、男のため息と、彼の前に立つ女の悩ましい息づかいとが聞こえるばかりだ。  「指示されたプレイはちゃんと全部試したんですよ? それでもダメだった、って事はつまり……もう貴方のヤり方じゃイけないって事なんじゃないんですか? 校長先生?」  「黙れっ! お前が……お前がこうなるように仕組んだんだろう!」  「あら……言い掛かりも甚だしいですわ」  ふぅ……と自身の爪に息を吹き掛けながら、女は━━━錦野 小雪は微笑む。    「何度も言いましたよね? 零浄化(ゼロ・ジョーカー)の運命は覆せないって。 最後には必ずバッドエンドが待っている……そういうシナリオなんです」  「……」  男は何も答えない。組んだ手に顎を乗せて、白くなった髪の際からじわりと汗を滲ませながら、彼は錦野を睨みつけた。  「あん♪ そんな反抗的な目で見られたら、ゾクゾクしちゃいます」  「反抗? ……私はこの学校の校長で、君はただの教師だ。 どちらが上の立場か、ちゃんと分かっているんだろうな?」  「御言葉ですけど……私は、下よりも上の方が興奮するタチなので」  「ふざけるのもいい加減にしろっ!」  ダンッ! という鋭い音が室内にこだました。男が机を叩いたのだ。程なくして、部屋はまた静寂につつまれる。男は、またため息をついた。  「……最後のチャンスだ。 もう時間は残されていない」  神妙な面持ちでそう言うと、男は━━━滝沢 真彦(たきざわ まさひこ)は、徐に立ち上がり、錦野を制するようにして告げた。    「……アイドル研究部を、潰せ」  ~~~  「━━━いや~、新歓ライブ大成功だったね!」  「新入生の盛り上がりもフォルテッシモだったね~♪」  「春休み返上して練習してきた甲斐があったな」  4月。あっという間に春休みが終わり、聖歌高は入学式を迎えた。今年は、例年よりも新入生が多かったらしく、体育館は人でいっぱいになっていた。WINGSの人気が影響してる……なんて噂も聞いたが、実際どうなのかは分からない。  ともあれ、入学式は無事行われた。校長のスピーチやら先生の紹介、学校の紹介なんかが終わると、次に『部活動紹介』が行われる。そこで、俺たちアイドル研究部は、『新入生歓迎ライブ』と題して、過去の曲を使ってパフォーマンスをしたのだ。  結論から言うと、ライブは大成功だった。式中の厳かな雰囲気とは打ってかわって、皆がワアアア! と大きな歓声と共に盛り上がってくれた。新入生たちからの拍手喝采が、体育館の外にいた俺の所にまで聞こえてきた程だ。      こうして、大盛り上がりのライブを成し遂げたWINGSのメンバーと俺たちは、満足感に溢れた顔つきで部室へと帰っていた。  「さ~て、ライブも一件落着した事だし、部室でパァーっとプチ打ち上げしよーっ!」  「こら、部室を私物化しないの」  「まぁまぁ、今日ぐらいは良いんじゃないですか?」    そんな、和気藹々とした空気のまま部室へ戻ろうとする俺たちだったが……  「━━━つぅぅぅぐぅぅぅみぃぃぃ先ぱぁぁぁぁぁい!!!!」  ドドドド……という不穏な音がしたと同時に、聞き覚えのある台詞が迫ってきた。嫌な予感がする……そう思って振り返った時には、もう遅かった。  「ぐほぉっ!?」    「つぐみせぇーんぱいっ!♪」  「うわぉっ!? もぉ、ももっちってば相変わらずなんだから……」  ちょうどつぐみの前に居た俺を容赦なくタックルで突き飛ばしてつぐみにダイブしたのは、欅 桃子だった。彼女が所構わずつぐみに抱き付くのは、もはや皆にとっても見慣れた光景になっている。  鈍く痛む腹部と尻とを押さえながらヨロヨロと立ち上がる俺をよそに、桃子さんはつぐみにベッタリだった。  「んふふー♪ やっぱりつぐみ先輩の温かさとモチモチ感は堪らないです~♪」  「やっ、ちょっと! 変なトコ触らないの!」  「……で、アンタは何しに来たわけ?」  夏燐に首根っこを掴まれ、ようやくつぐみから桃子さんが引き剥がされる。あぁ~! と情けない声を上げて手を伸ばす桃子さんとは対称的に、つぐみはホッとした様子で胸を撫で下ろしていた。  「違うんですって! 今日はつぐみ先輩の成分を吸収しに来ただけじゃなくって、ちゃんとした報告があって来たんですっ!」    つぐみの成分って何だよ……という俺のツッコミを無視して、桃子さんはポケットから一枚のカードのようなものを取り出した。目を凝らしてよく見ると、そこには"会員証"と書かれていた。  「これは……?」  「ついに……ついに設立が叶ったんですよ! WINGSの、ファンクラブの設立が!!」    「ファン、クラブ……?」  「……フヒッ……そう、前から非公式に存在してはいたけど……先日、正式なファンクラブとして、の様式が、完成したんです……」  「うわっ!? いつの間にそこに居たんだよ、ビックリした……」  知らぬ間に俺たちの背後に居た人物は、絵美里さんと同じオカルト研究部に所属している、工藤 冬美さんだった。相変わらず覇気のない感じの彼女だったが、その手にも、桃子さんが持っていたのと同じ会員証が握られていた。  「ファンクラブねぇ……翔登、知ってたの?」  「いや、全く……」  普通、こういうのってWINGSの関係者に許可とったりするものじゃないのか……? 少なくとも、俺が許可を出してない時点で、WINGS公認とはならないんだが……。 まぁ、そういう話を持ち出すと、また桃子さんに色々言われそうなので、"黙認"ということにでもしておこう、と自分の中で勝手に結論をつけた。  「で、見てくださいこの会員番号っ! 私はファンクラブの初期メンバーだったんですけど、敢えて……敢えて入会のタイミングをずらして! そしてこの番号を手に入れたんですっ!」  桃子さんの会員証に書かれていた数字は『293』。これに一体何の意味が……?  「293……すなわち、つ(2)ぐ(9)み(3 )! この番号を手にした私は、もはやつぐみ先輩と一心同体なんですよ!」    「あー……な、なるほどねぇ~……」  これには、流石のつぐみも引きつった笑みを返すしかなかったらしい。他のメンバーも、苦笑いを浮かべたりため息をついたりしている。桃子さんは間違いなく、一番熱烈なつぐみのファンと言っていいだろう。……まぁ、熱烈すぎるのが問題なんだけど。    「ちなみに、会員番号1番は冬美ちゃんなんですよ!」  「マジかよっ!?」  「フヒッ……そう。 私が、ファンクラブのリーダー、です……。 それで……ァ……今日は、会員の皆さんを連れてきた……」  そう言って、チョイチョイと廊下の左手側を指す工藤さん。その方向へ目をやって、俺たちは思わず口を開けた。  廊下の窓の向こう側に、ものすごい人だかりが出来ていたのだ。その規模は、この前ガイアが来た時に比べれば少ないものの、それでもすごい数だ。人だかりの中には、先程入学式を終えた新入生の姿もちらほら見受けられる。  「今日入学したばかりなのに、もうファンクラブに入ってる子がいるの……!?」    「みたいですね……それにしても、こんなに私たちのファンが……」  と、皆で揃って感動していた時だった。  人だかりの中から、小柄な子が一人トコトコと此方に駆け寄ってきた。おでこの上のほうでチョコンと束ねられた髪が、走る度にピョコピョコと揺れている。  「━━━初めまして、先輩方っ!♪」    少女はそう言うと、礼儀正しくお辞儀をした。すると、それに合わせて後ろにいたファンクラブの会員らもペコリと一斉に礼をした。まるでウェーブのようなその光景に、つぐみ達の口からも「おぉ……」という声が漏れる。  「私、今日から聖歌学園高校の生徒になります、松本 明菜(まつもと あきな)です。今日は、会員内の新入生を代表して、私から挨拶をさせて頂こうと思いまして!」  「は、はぁ……」  グイグイ来る子だなぁ……なんて心の中で思いながら、俺たちは彼女の━━━松本さんの挨拶とやらを聞くために、ちょっとだけ列を整える。  「実は私、入学する前からWINGSの噂を聞いてたんです! それで、憧れのWINGSさんと同じ学校に入りたい! って、その一心で受験勉強も頑張って、それでこの学校へ来たんですっ!」  「あ、憧れ……憧れかぁ……えへへ……」  早速、隣でつぐみがニヤケはじめている。 ……まぁ、『WINGSに憧れてウチの学校に来た』なんて聞かされて、嬉しくない訳がない。俺も、自然と口角が上がりそうになるのをなんとか抑えているような状態だった。  「私だけじゃありません。 今日ここに集まってくれた全ての人が、WINGSのファンなんですよ」  その言葉と同時に、後ろにいたファンの皆が口々にWINGSへの愛を叫び始めた。すごい熱気だ。 ……ただ、一番大きな声を出して叫んでいたのは、桃子さんだったが。  「私たち、WINGSの皆さんの活動をずっと応援していきます! だから、これからも素敵な歌と踊りを、私たちに見せて下さいねっ!」  「皆……」  明菜さんの言葉と、ファンの皆の声援に心を打たれる俺たち。一瞬、ウルッときそうになるほどに、この声援は響いた。  今まで一生懸命活動してきてよかった……そう、心から思える。チラリと隣に目をやると、つぐみ達も皆、瞳をうっすらと潤ませて、感極まった表情で立っていた。五人のそんな姿を見ることができたのも、俺にとっては最高に嬉しい。"WINGS"という名前を掲げて活動してきたことが、最高に誇らしかった。      「……よし!」  ファンの歓声が止まない中、つぐみが何かを決意して顔を上げた。惑聖恋(マッド・セイレーン)の力が作用したのだろうか、他のメンバーも皆、いつの間にかキリッとした顔立ちに変わっていた。  「ねぇ、翔ちゃん。 今、この場で何か出来ないかな……?」  「この場で……?」  うん、とつぐみが頷く。いまいちピンと来てない俺に、絵美里さんが……いや、絵美里が説明を加えた。  「こうして、ファンの皆さんが一堂に介してくれる機会なんて、中々ないと思います。 ……ですから、私たちと、ファンの皆さんとの距離が近い今この状態だからこそ出来る何かをしたい……ファンの皆さんの気持ちに、何かしらの形で応えたい。 私やつぐみさん、他の皆さんもきっと、同じ思いだと思います」  詩葉、音色、舞、そしてつぐみの目が、絵美里と同意見だと語っていた。お礼を言われて終わるんじゃなくて、ちゃんとお返しをしたい。そういう思いが、メンバーの中で共通意識として共有されていたのだ。  ついさっき新歓ライブを終えたばかりなのに……。 馬鹿だな、なんて思う反面、すごく嬉しかった。そして……俺も、つぐみ達と同じ気持ちになっていた。  「よし……それじゃあ、感謝の気持ちも込めて、何かやろう!」  「やったあ!!」  嬉しそうに跳び跳ねるつぐみ。そうは言っても、プランも何もない状態だしな……何をしようか……?      「曲はさっき披露したばっかだし……握手会とか、か……?」  あんまり思い付かなかったので、とりあえず思い付いたことを口に出してみる。握手会なんて行ったこともなければ、見たこともない。だから、あれがどういうシステムで機能しているのか、俺には分からない。流石に無謀だろうか……? そう思って、別の案を考えようとすると……  「握手会かぁ……うん、悪くないと思う!」  「ファンの皆とゼロ距離で語り合える。 今日は入学式のみで時間もたっぷりあるし、良い案」  意外にも、つぐみ達はノリ気だった。実際、握手会ならファンの皆も喜んでくれるだろう。しかし、あまり後先考えずの発言であった為、本当に大丈夫か……? と、俺は少し面食らっていた。  でも……  「握手会ですかっ!!? いやったあああ!!!」  「お、元気がよさそうだし、桃子にゃ列整理とか手伝って貰おうかな。 私は、他の暇そうなソフト部部員引っ張ってくるから」    「えぇ!? 何でですか! 私が最前列で最初につぐみ先輩と握手できる筈じゃ……!?」  「貴女はいつも握手以上のことしているでしょう……。  ……それにしても、これだけの人数になると、ソフト部だけでは足りないかもしれないわね。 私、生徒会役員と風紀委員に応援を頼んでみるわ」  「あ、じゃあ俺が会場設営やるよ! ……まぁ、あくまで簡易的な感じだけど」  「皆ぁー! 素敵なサプライズありがとぉーっ! 私たちも、皆にお返ししたい……! だから、突然だけど今からWINGSの握手会を行いまーす! ちょーっと準備に時間がかかるかもしれないけど、待っててねー!」  ……正直、驚いた。  誰が何を言ったでもなく、各々が役割を分担して握手会の準備に取りかかっていた。それは、まるで熟練の職人同士の動きのようだった。皆が阿吽の呼吸で、テキパキと動いている。……たった一言、俺の「握手会をやろう」という思いつきのために。  「……皆、ありがとな」  「うん? 翔ちゃん、何か言った?」  「いや、何でもない。 俺も列整理手伝うよ」  言い出しっぺの俺がボーッとしてるのも忍びないし、俺も仕事を見つけて握手会の準備を進めた。人でごった返していた渡り廊下の外に、どんどん列が形成されていく。ファンの皆は勿論、準備に勤しむつぐみ達もが楽しそうに笑っていた。……そんな光景が、ただただ嬉しかった。  「あのWINGSと握手できるなんて、夢みたい!」  「俺、入学初日から夢叶っちゃったよ……!」  ガヤガヤと、新入生たちからそんな声が聞こえてくる。列整理を手伝っている最中、俺はつぐみ達以上にニヤニヤしていた事だろう。……ただ、この喜びを俺たちの中だけで完結させてはいけない。キチンとファンの皆に還元しないと!  そう自分を鼓舞した時だった。  「…………ん?」  列の最後尾から、さらに数十メートルほど離れた場所にある花壇の奥。そこに、ポツリと佇む一人の少女の姿があった。  膝下まで伸びた白い髪、それと同じくらい白くて綺麗な肌、小柄でどこかか弱さを感じさせるその姿。……何故かは分からないが、不思議と目を惹かれるような、そんな魅力を内に秘めた少女だった。  「……」  ほとんど無意識的に、俺はその少女の方へと歩み寄っていた。長く白い前髪が、彼女の片方の目を隠している。が、もう片方の目は此方を向いており、真っ直ぐに俺を捉えているようだった。  「あの……もしかして、君もファンクラブの子?」  おずおずと、そう声をかける。新入生、だよな……? でも、制服が少し使い古されてるような気もするし、見た目だけではハッキリと判別がつかない。  「…………」  彼女は無言のまま、ただ此方をじっと見つめている。  「えと、今からWINGSの握手会やろうと思ってるんだけど、もし良かったら……」  「…………WINGS?」  それが彼女の第一声。楽器の音のような、透き通った声だった。  「うん、WINGSの。 ……あ、もしかして知らない?」  仮にこの子が新入生なら、WINGSのことを知らない可能性もあるだろう。そう思ったのだが、彼女はふるふると首を横に振り、  「……知ってます。 空の輝きは果てしなくスカイブルーで、天使の羽は、境界線のぼやけた雲よりもハッキリと、その白を切り取ったよう」    「……はい?」  「……いえ、すみません。 お気になさらず」  いや、めちゃくちゃ気になるんだが……。 独特な話し方をする点で言えば、どことなく岳都に似てる気もする。しかし、彼女の言葉はどこか詩的というか……ただ、そこにどんな意味が込められていたのかは分かりかねた。少なくとも、彼女が変わった人であるという事は分かる。  「……えと、握手会は来ないのか? や、別に強制してる訳じゃないけど」  改めてそう誘ってみるが、彼女はまたもや首を横に振った。  「私は遠慮しておきます。 無色透明な壁によって隔てられたdestinyは時に、歌うことを忘れた小鳥のように残酷なもの……」    「……よく分からないけど、まぁ、もし興味が出てきたら覗いてみてよ。 俺は、列整理に戻るから」  取りつく島もない……って訳じゃないが、無理に握手会に参加させるのも気がひけたので、俺は彼女を置いて列整理に戻ることにした。列の先頭で、つぐみ達が早速握手会を開始しているのが見える。この様子じゃ、もう手伝うような事は残ってないかな……。 まぁとりあえず、さっさとつぐみ達の元へ戻ろう━━━  ━━━パシッ!  ……俺の右手首に、ひんやりと冷たくて柔らかい感触があった。振り返ると、さっきの白髪の少女が俺の手を掴んでいた。  「ショウトさん……少しだけ、お時間良いですか?」    「え……」  突然のことに頭が回らず、俺は何も言えずにただポカンとしながらつっ立っているしか出来ずにいた。  俺に何か用事が……? というか俺、この子に自分の名前言ったっけ……?  そうこう考えている俺の前に、彼女は黒い光沢のあるカードの束を突き出してきた。  「これ……タロットカード?」    コクリ、と彼女は小さく頷く。どうやら、俺に「1枚引け」と促しているらしい。  「……」  何故急に……なんて思いながら、適当に束の真ん中少し手前を漁り、カードを1枚引き抜く。裏返すとそれは、「THE DEVIL」と書かれたなんとも不吉そうなカードだった。  「……やっぱり」  「え?」  ボソリ、と彼女はそう呟くと、俺の手からカードを抜き取り、絵柄を此方側に向けてから真っ直ぐに俺の目を見つめた。  「……気をつけた方が良いです。 目を背け続けてきた運命と対峙するカウントダウンが、もう始まっている。 正位置の悪魔が、貴方のスパイラルに警鐘を鳴らしています」  「どういう事……?」    「ターニングポイント、です。 崩壊を乗り越えて、ショウトさん自身の運命と向きあって下さい。 ……それを伝えたかっただけです」  そう言って、彼女は再びカードを俺に手渡した。カードに描かれた悪魔は、厭な目つきで此方を見ている。対して、両端に描かれた裸の男女の方は、どちらも虚ろな表情をしていた。    「あの、これって━━━」  顔を上げると、そこに白髪の少女の姿は無かった。    「えっ!?」    ビックリして辺りを見渡すが、彼女の影すら見当たらない。辺りには人が隠れられるような場所はないし、第一、俺は彼女がどこかに移動した気配を全く感じなかった。ゾクリ……と、悪寒が背中を駆け抜ける感覚に、俺は思わず小さく身震いをした。  「崩壊を乗り越えて、運命と向きあう……」  ただ一人残された俺は、「THE DEVIL」のカードに目を落として、彼女が遺した言葉を繰り返した。ポツリ、と手の甲に小雨が降りかかる。空には、いつの間にか薄暗い雲がかかっていた。  ~~~      「━━━それでね、WINGSで『ミラアイ』に出場したいなって思ってるの!」  新入生歓迎会でのライブと、急遽行われた握手会。それらを大成功で締めくくった俺たちアイドル研究部は、翌日の放課後も、張り切って打ち合わせに臨んでいた。  議題は、『今後の目標について』。そして、その話題を切り出したのはつぐみだった。  「ミラアイ……って、あのミラアイですかっ!?」  「全国から数千組ものアイドルユニットが参戦する大規模な大会。 そして、その戦いを制し、現在二年連続で頂点に君臨しているのが、言わずと知れた『ガイア』。  ……あの絶対王者に挑むという事?」  「うん! もう約束したんだ、ルイヤさんと。 『ミラアイの決勝戦で会おう』って!」  ……ああ、そうか。そういえば、俺たちが水簾御前のステージを見てた時、つぐみはルイヤさんと話をしていたんだっけ。どうやら、つぐみは本気で『ミラアイ』へ出場するつもりらしい。  「いや……そりゃ出られたらスゴいだろうけどさ、そもそもあれって倍率めちゃくちゃ高いんじゃないの? 全国からアイドルユニットが応募してくるんでしょ?」  「確か、一次審査がビデオ選考で、二次審査が地方別の実技審査だったっけ~?」  「そう。 その二次審査を通過したアイドルが、"ブロック代表"としてミラアイに出場できるの」  やはりミラアイには一定の関心があるのか、メンバーは皆応募や選考のシステムを熟知しているらしい。俺なんてつい最近まで知らなかったってのに……。  「……でも、その一次審査が厳しいんですよね? 聞くところによると、一つのブロックに約1000件ほどの応募があって、審査に通るのは僅か50組ほどだとか……」  絵美里さんの言葉と共に、皆が苦い顔をする。確率的には、ちょうど2%か……そんな狭き門を通り抜けられるものなのだろうか。皆の不安な気持ちが、ひしひしと伝わってくるようだ。  ……たった一人、不敵な笑みを浮かべるつぐみを除いて。    「つぐみ? なにニヤニヤしてんのさ……?」  「フッフッフ……。 実は、今日集まってもらったのは他でもない……これを見て貰いたかったからなの!」  声高らかにそう言って、つぐみは鞄から茶封筒を取り出し、更にそこから一枚の紙を出して、バンッ! と机の上に置いた。皆がそれを囲うようにしてその紙を覗き込む。そこに書かれていたのは━━━  「ミライアイドル一次審査通過のお知らせ…………って、えええええぇぇぇ!!?」  皆から一斉に驚愕の声があがった。いや、驚かない方が難しいくらいだろう。ついさっきまで、ミラアイの一次審査はめちゃくちゃレベルが高い、って話してたんだぞ!? なのに、こんな事って……!?    「な、ななななな何でWINGSが一次審査を通過してるんですか!? そんな、え、いつの間に!?」  「あ、貴女これ詐欺とかじゃないでしょうね!? あるいは、悪質なイタズラとか……!?」  「ししょーの事務所で、どこかのグループがとってたのを少し見たことはあったけど……それが……目の前に……マジか……」    「ぷ、prestoな報告すぎてビックリしちゃったよぉ……!」  皆も、いつにもない感じで慌てている。部室内は、軽いパニック状態となっていた。そんな中つぐみは、お知らせの紙を掲げて、  「実はね、皆に内緒で春休みの間に応募してたの。 江ちゃんに相談して、審査に出すビデオを編集して貰ったり、応募用紙に必要事項記入したりして」  「「江助ッ!!」」  俺と夏燐が、ほぼ同時に江助の方に振り返る。当の本人は、いやぁ……と頭を掻きながら笑い、  「俺もビックリしたんだけどさ、和田辺も本気っぽかったから断れなくて……。 あ、一次審査通ったってのは、俺も今初めて知ったんだぞ!」    能天気な江助の様子に、夏燐と二人でため息をつく。周りの反応から察するに、どうやら応募したことを知っていたのはつぐみと江助の二人だけらしい。  「ミラアイの一次審査は、実のところ、合格者の定員は決まっていません。ビデオを見た審査員が、即決で合否を決めるのだそうです。なので、一次審査の申込期間は非常に長く設定されていて、期間内にすぐ合否が出るという方式になっているみたいです」  「なるほど……って、今大事なのはそこじゃなくて!」  封筒に同梱されていたパンフレットを見ながら熱弁する絵美里さんには申し訳ないが、今はミラアイの選考方式はどうでもいい。どうして、つぐみが俺たちに何の相談もせずミラアイに応募をしていたのか、そこが問題なのだ。  「二次審査までは充分時間があるから良いものの……どうして私たちに何も言ってくれなかったの?」  「見たところ、翔登Pすら知らなかったっぽいし」  皆の視線が、一斉につぐみの方へと向けられる。つぐみは、手にしていた紙をそっと机に置くと、  「……皆のことを信じてたから、かな」  「……え?」  曖昧な答え方をするつぐみに対し、誰も真意を汲み取った人は居なかったらしく、皆がキョトンと小首を傾げていた。  「皆をビックリさせたかったから、ってのも勿論あるよ! ただ、皆に何も言わず勝手に応募しちゃったのは申し訳ないなって思ってる」  でもね……と、つぐみは真っ直ぐに顔を上げて続ける。  「春休み期間は、皆新歓ライブのことでいっぱいいっぱいだったから、皆に負担をかけたくなかったの。  ……正直に言うと、もし一次審査が不合格だったら、ミラアイへの応募は無かったことにするつもりだった。応募したって事も言わないまま、キッパリ諦めるつもりだったんだ」  「つぐみ……」  「……でも、私信じてたの! 天島さんには0点つけられちゃったけど……それでも、今の私たちならやれるって。 皆なら、一次審査通過を喜んでくれるって。 ミラアイに向けて、皆でまた力を合わせて頑張れるって!」    つぐみは、いつも俺たち皆の心を突き動かす。驚きとか戸惑い、不安にかられていた筈の俺たちの心は、いつの間にかやる気に満ち溢れていた。  つぐみの為にも、皆の為にも……そして、今まで積み重ねてきた時間が無駄じゃないって証明する為にも、ミラアイに全力で挑みたい! 俺たちの気持ちは、もう一つになっていた。  「だからさ……皆で一緒に、ミラアイに向けて頑張ろう! そして、決勝の舞台まで行っ    「━━━あらあら。 御大層な夢語りしてる所悪いんだけど、そんなの100%無理よ~?」  ……つぐみの声を遮ったのは、卑しく、重く、悪意に満ちた女の声だった。誰もが意表を突かれたように、バッ! と部室の入り口を向く。そこにあったのは、扉の縁に背を預けて不敵に笑う、あの女の姿だった。  「貴女は…………錦野、先生っ……!」  「ハロ~♪ 久しぶりね、皆新学期の性活はエンジョイしてる?」  錦野小雪。  かつて、音色の呪いを歪曲して彼女に伝え、彼女を絶望させたことのある女。  その一件で、俺たちは皆コイツの事を忌み嫌っていた。現に、錦野の声がしてからというもの、部室内の空気は一転して殺気だったものに変化していた。  「何……しに来たんですか……?」  「んもぉ、そんな怖い顔しないでよ。 ゾクゾクしちゃうじゃない♪」  相変わらず、奴の言動はいちいち人の神経を逆撫でする。つぐみ、詩葉、夏燐、そして俺の四人からキッと強く睨まれてもなお、錦野は飄々としていた。  「……私たちは、自分の夢に向かって進もうとしてるんです。 先生に口を出される筋合いはありません」  「あらあら……あと一年ちょっとしたら死ぬっていうのに、お気楽ねぇ?」    「こいつっ……!」  感情的になり、錦野に詰め寄ろうとする夏燐を、つぐみと二人で止める。その様子をクスクスと笑いながら見ていた錦野は、チラリとつぐみの方に視線をやると、  「ところで……一つ質問良いかしら? 貴女、皆を信じてたからミラアイへの応募のことは黙ってた、って言ったわよね? でも……普通に考えたら、部を束ねているプロデューサーには話しておくのが筋でしょう? なんで彼にも黙ってたの?」  「そ、それは……」  つぐみが口ごもる。何か、別の理由でもあったというのだろうか……?  「その……翔ちゃん、最近ずっと元気ないっていうか……何か話しても上の空で、それで……」  つぐみに言われて、ハッとする。    俺は春休みの間、ずっと考え事をしていた。新歓ライブに向けて皆が頑張っていたのに、ずっと何かに囚われたかのようにボーッとしていたのだ。  ……いや、実際に俺は囚われていたんだと思う。卒業式の前日、会長が残した"あの言葉"に。   『━━━ウチの兄、早見 光男さんは、秋内君より一つ前の…………先代の、零浄化(ゼロ・ジョーカー)の持ち主やった人や』  あの言葉が、ずっと気掛かりだった。  会長は、俺に何を伝えようとしたのだろうか? 会長の兄はどんな人で、どういう経緯で精神病を患ったのだろうか? ……彼は、誰かを救ったのだろうか?    考えても答えは見つかる筈もなく、結局俺は、春休み中もずっとその事ばかりに気を取られていたのだ。  ……でも、まさかそのせいで、つぐみに余計な心配をかけてしまっていたなんて……。 つぐみの悲しそうな顔が、ズキンという胸の痛みと共に脳裏に焼きついた。  「ほらね? それって、『皆を信じてたから』って理由と矛盾しない? 貴女は、秋内君のことが信用できなかったから、黙ってたんでしょう?」  「違う……そんなこと、ない!!」  グッと両手に力を込めながら、つぐみは抗議していた。  「あぁ、そう。 ま、貴女がどんな持論で心を自慰めていようが、どーでも良いんだけどね。  何せ……」  錦野はそこで一度言葉を切ると、俺の方を見てニヤリと笑った。その瞬間、ゾクリ、と悪寒が俺の背中を駆け巡った。  「貴女たちのプロデューサーは、貴女たちのこと信用してないですものね」  「は…………?」  何を……言ってるんだ?    俺が、つぐみや皆の事を信頼していない筈がない。    俺は皆の事を信じてる!  それなのに、何でコイ━━━    「━━━まだ隠してるんでしょう? 零浄化(ゼロ・ジョーカー)の事。 我慢してないで早くイッちゃえば良いのに」  「っ!?」  心臓が止まるかと思った。錦野は、俺がずっと言えずにいた『零浄化』という言葉を、つぐみ達の前で平然と口にした。  「ぜろ、じょーかー……?」  困惑した様子のつぐみ達。俺と、事情を知っている絵美里以外の皆は、訝しげな顔で俺に視線を注いでいた。タラリ、と耳の横から冷や汗が流れ落ちる。  「ふぅん……その様子、やっぱり知らないのね。 じゃ、教えてあげる。 零浄化(ゼロ・ジョーカー)は━━━」    「止めろッ……!」  咄嗟に、俺は錦野の方へと走り出していた。冷や汗を垂らしながらも、俺は流行る気持ちを何とか抑えて、その錦野の口を塞ごうと手を伸ばし━━━  「悪いけど……食い気と往生際の悪さとを履き違えて貰っちゃ困るわねぇ?」  「ムグッ!?」 ヒラリ、と、いとも簡単に俺の手をかわした錦野は、逆に俺の口をむんずと掴み、そのまま無力化させてしまう。  「零浄化っていうのは、貴女たちが持ってる聖唱姫の呪いと同じ力よ。 他の呪いの力を抑えこむことができて……呪いそのものを浄化する事もできる。 彼はね、前からそういう力を持っていたのよ」  「「「「えっ……!?」」」」  皆からどよめきの声があがる。    「気づかなかったの? 貴女たちみたいな呪われビッチちゃん達が、普通の人間と同じような幸せな生活なんてできる筈ないのに」  「の、呪いを浄化できるって……?」  音色からの問いにも、錦野はあっけなく答える。  「ええ、この子と一緒に浄歌聖唱(ジョーカー・セッション)を行えば、呪いは完全に浄化されるわ。 ……ただし、一人だけね♪」  「そんなっ!?」  「……私たちのうちの一人だけしか、助からないってこと……?」  皆が言葉を失った。ようやく錦野の手から解放された時には、俺を含め、誰も何も言えない状態に陥っていた。  「零浄化のおかげで、はた迷惑な存在である貴女たちは仮りそめの人間的生活を営むことができた。 でも、貴女たちのうちの四人は、その零浄化によって見殺しにされる。  ……あん♪ 超刺激的なシチュエーションじゃない?」  「お前……いい加減に━━━」  パシッ……!  再び錦野に突っかかろうとした俺の手を掴んだのは、つぐみだった。つぐみは、深く俯いていて、こちら側からはその表情をうかがい知ることが出来なかった。……ただ、俺の手を掴むつぐみの手は、小刻みの震えを伴いながらも、力が込もっているように感じられた。  「……翔ちゃんはさ、ずっと知ってたの?」  「え……?」  「その、零浄化とかいう呪いの力を持ってるって事……翔ちゃんは、知ってて私たちに黙ってたの?」  「っ!?」  言葉に詰まってしまう。零浄化の力を介してもなお、つぐみの抑えきれない負の感情がこちらに流れ込んでくるようだった。  「違うんだっ! 俺はただ……」  「その反応……先生が言ってる事はデタラメじゃない、って事ね」  「翔登……」    皆の視線が突き刺さる。俺がたじろぐ中、つぐみだけは唯一、俺ではなく床に視線を落としたまま立っていた。  「あら? ミラアイへの応募の事を黙っていた自分の罪は棚にあげて、秋内君ばかりを責めるの? そんなユルユルの騎乗プレイじゃ、アタシは満足できないけどねぇ」  「貴女は黙ってて!!」    強く叫ぶつぐみの声にすら、錦野は動じない。  「ま、無理もないわね。 貴女たちは彼から信頼されてなかったどころか、全員見殺しにされかけていたんですもの♪」  「違うっ! 俺は━━━」  「━━━何が違うのっ!?」  その叫び声は、俺のほぼ眼前で響いた。つぐみは、俺の胸ぐらを掴むような格好で、見開いた目をこちらに向けてきた。今までに見たことのないようなその表情に、俺は言葉を失ってしまう。  「どうしてそんな大切な事私たちに黙ってたの!? 一人で解決したいから? 話すような事じゃないから? ……どっちにしたって、私たちを信用してなかった事には変わりないじゃん!!」    「つぐみ……」  「……ねぇ、私たちチームじゃなかったの? 皆で呪いを解くために協力して、アイドルを目指して……そんな信頼できる仲間同士じゃなかったの!?」  「つぐみ! 落ち着いてくれ、俺は……」  興奮状態のつぐみを引き離そうと、彼女の手を振り払う。……が、それがまずかった。  つぐみはそのまま、身体から全ての力が抜けたかのようにヨロヨロと後ろへ下がると、ガタッと膝から崩れ落ちた。  「……もういいよ」  その微かな声が、俺の心を抉る。皆が茫然と見つめる中、つぐみは机の上に置いてあったミラアイの合格通知へと手を伸ばし━━━━  「━━━私、WINGS辞めるっ……!」      ━━━グチャグチャに丸めて、ゴミ箱へと放り投げた。  「つぐみっ……!」  間髪入れずに、つぐみは部室を飛び出した。ガタンッ! という激しい扉の音と共に走り去るつぐみは、ボロボロと涙を溢しながら駆けていく。  「つぐみちゃんっ……!」  すぐさま、音色がつぐみの後を追って部室を出た。その様子を、俺は唖然としながら見つめることしか出来ずにいた。  「……この様子……もしかして、惑聖恋(マッドセイレーン)の副作用かしら……」  ボソリ、と聞こえた錦野の独り言に反応する余裕すら、俺には残っていなかった。激しい後悔と恐怖、焦燥感ばかりが募る。  「どうして、こんな事に……」    「どうして? ……そんなの決まってるでしょ」  声がした瞬間、俺はグワッと両肩を掴まれ、近くの壁へと叩きつけられた。痛みを堪えながら目を開けると、そこには鬼のような形相で俺を睨む夏燐の姿があった。  「アンタがつぐみの信頼を踏みにじったからだろうが!! つぐみはアンタのことずっと信じて……アンタの為にアイドル活動続けてたようなモンなのにッ!! なのに……!」  ガッ! と、力一杯夏燐に凪ぎ払われ、俺は為す術なく床へと倒れる。夏燐は、肩で息をしながら俺と錦野を一瞥すると、そのまま無言で部室を去っていった。  「天からの声が告げている。 ……このままじゃ、とてもじゃないけど活動は続けられない」  「同感ね。 会長から後を託されて、ファンクラブからも背中を押されて……なのに、こんな惨めな幕引になってしまうなんて……残念だわ」  「悪ぃ、翔登。 ……俺も、今はお前の事信じてやれない」  「……」  夏燐の後に続くように、舞が、詩葉が、江助までもが部室を出ていった。  部室には、言葉を失って立ち尽くす絵美里と、ニタニタ笑う錦野と、無様に倒れ伏す俺だけが取り残された。  「……任務完了、ね。 これで、WINGSは事実上壊滅状態。 あの人のシナリオ通りだわ」  クルリと身を翻し、錦野は一人悠々と立ち去ろうとする。俺は、ヤツの背中を追うことすら出来なかった。    「何で……何で、こんな酷いことするんですか……?」  絞り出したかのような絵美里さんのか細い声が、錦野の足を一瞬だけ引き止めた。ふふふっ……と妖しい笑みを浮かべながら振り返る錦野は、俺を見下しながら、最後にこう告げた。  「ごめんなさいね。 それもこれも全部……オトナの事情よ」          つづく
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