WINGS&アイロミームproject(仮)
第七章 『崩壊と約束の宿命歌』(後編)
……あれから一週間が経過した。  今、部室に出入りする者は俺しか居なくなった。ワイワイと騒がしかった筈の部室は、ひどく寂れた様相になっている。  「……」  椅子に腰かけて、なんとなく天井を見上げる俺。明かりがないとこんなにも暗く霞んで見えるのか、と初めて気づかされた。    ふと思い出して、制服のポケットに手を突っ込んでみる。そこには、以前白い髪の少女に貰った『悪魔』のタロットカードが、しわくちゃになって入っていた。彼女のあの予言は……ある意味、最悪の形で現実となってしまった。  「つぐみ……皆……」  堪えきれず、目から涙が溢れる。どうしようもない後悔と自責の念が、繰り返し俺を襲った。  ━━━ガチャッ。  そんな時、不意に部室の扉が開かれた。ぼんやりとした意識の中で、ゆっくりと首を横に傾ける。そこに立っていたのは……  「ね、いろ……?」  「やっぱり、ここに居たんだね」  儚げに微笑みながら、彼女は━━━音色は、ゆっくりと俺の方へ歩み寄り、そのまま隣に腰かけた。    「どうして、ここに……?」  「だって、私はアイドル研究部の部員だもん。 ここに来てもおかしくないでしょ?」  それに……と言葉を続けながら、音色はそっと俺の手の上に自身の手を重ねた。  「心配だったから、翔登くんの事。 あれから皆会話が無いし、翔登くんはずっと顔色が悪かったし……」    そりゃ、あんな事があったんだから当然だ。……そう毒づきかけたが、音色にそんな愚痴をぶつける訳にはいかないので、代わりに違う質問を投げかける。  「音色は……失望してないのか? 俺は、お前たちに零浄化のことを黙ってたのに……」  自分でも驚くほどに、俺の声には覇気がなかった。音色は、俺の質問を受けてゆっくりと首を振り、  「私は、翔登くんの事信じてるよ」  ハッキリと、そう言った。  「だって、私たちの中の一人だけしか救えないとか、呪いを打ち消すとか、それを皆に打ち明けるのって、すごく勇気がいる事だと思うから。 それに私は、翔登くんは悪意があって黙ってた訳じゃないって思ってる」  「音色……」  聖母のような彼女の微笑みは、荒みきっていた俺の心に潤いを与えてくれた。信頼も、味方も、未来も全部失ったと思っていた俺にとって、彼女のその言葉はこの上ない救いだった。  ……でも、  「……いや、錦野が言ってた通りだよ。 俺は、皆を信じていなかった」    「翔登くん……」  それでも俺は、自分を責めずにはいられなかった。  「救えるのが一人だけだと分かれば、皆はきっと"譲り合う"。 『私は死んでも構わないから、他の誰かを助けてあげて』。 ……皆がそう言って、生きることを諦めてしまうんじゃないか、って疑ってたんだ」  「でも、それは……」    「それに……アイツが言ってたように、この事が皆にバレたらどうしようって、皆から非難されるのを恐れてたのも事実だ。 怖くて、勇気が出なくて、ずっとウジウジしてたんだ、俺は……」  言いたくなかったのに、結局、音色の前で弱音を吐いてしまった。考えれば考えるほど、頭の中はネガティブな感情によって埋め尽くされていく。それを、どうしても抑えられなかった。  音色は、困った顔をして俺を見ている。ああ、また俺はメンバーの笑顔を奪ってしまった……。こんなんじゃ駄目だ……こんなんじゃ……俺……  「WINGSのプロデューサー、失格だ……」    「━━━そんな事ないよっ!」  いつになく大きな声で音色が叫んだので、俺はビックリして目を見開いた。音色がこうやって声を張り上げるのは、彼女がWINGSに入る直前の、あの時以来だった。  「翔登くんは……翔登くんは誰よりも私たちのこと考えてた! アイドル活動も、呪いのことも、全部翔登くんがいたから皆乗り越えられたんだよ……!」    音色は、潤んだ瞳で俺を見つめながら、なおも強い口調で続ける。  「私も、私以外の皆も、翔登くんが頑張ってくれてたってことちゃんと知ってるもん。 だから、そんな事言わないで……con brioになってよ……」  「でも……」  「私は信じてるよ。 だって私、翔登くんのこと━━━」      「━━━あら、二人して傷の舐め合い? なら、舌先は優しくソフトに這わせて焦らすのがコツよ♪」  「っ!?」  音色の言葉をいとも容易く遮って、一人の女の声が響く。その声がした瞬間、俺の中にとてつもない戦慄と憎悪とが沸き上がった。すぐに声の方へと目をやると、そこには案の定、錦野 小雪がニヤリと笑いながら立っていた。  「随分静かになったわねぇ。 廃れた山道沿いのホテルみたい」  「……帰ってくれ。 俺はもうお前の顔なんか見たくないんだ」  「やぁん怖い♪ その言葉、惑聖恋たちがそっくりそのまま貴方に体現してるんでしょ? 皆からフラれちゃって可哀相~」    「テメェ……!」  怒りじゃない。俺は明確に"殺意"レベルの感情で以て立ち上がった。そして、固く握りしめた拳をそのまま錦野に向かって振りかざし━━━音色にその腕を掴まれた。  「駄目だよ翔登くん! 今手をあげたら……本当に戻れなくなっちゃうっ!」  「っ……!」  既のところで腕を下ろす。  ドクドクと、体が熱くなっているのを感じながら、なんとかその興奮を抑えようと努める俺に対し、錦野は相変わらずの笑みで、  「うふふっ、ちゃんとガマンできて偉いわね♪」  「先生……何をしに来たんですか……?」  尋ねる音色の声は、僅かに震えていた。錦野はほんの少しだけ沈黙すると、ふぅ、と小さく息を吐いてから再び妖しい笑みを浮かべた。  「お詫びよ。 この間は貴方にヒドいことしちゃったから、そのお詫び。 要するに……貴方にもう一度希望をあげようと思ってね」  あくまでも高圧的な態度は崩さずに告げる錦野。その言葉の真意は分からない。ヤツは一体何を企んでいるんだ……?    「……どういう意味だ」  「簡単なことよ。 貴方だって、このままWINGSを崩壊させたくないでしょう?」  「ふざけんな……誰のせいでこうなったと思ってんだ!!」  「もぉ、ガッつかないの。 冷静さを欠かない事も大事なテクの一つよ」  錦野はそう言って笑うと、人差し指をピンと立てて続けた。    「私はね、ある方からの命令で貴方たちアイドル研究部を潰すように言われてたの。 で、私はそれを実行した。 『形式的に部活を潰しても意味がない。 内部分裂を誘発させれば、彼らは二度と立ち上がらないだろう』ってね。 あの方は、今回の結果にとても満足してたみたい」  「あの方って……?」    「それは……大人の事情で言えないわ♪」  クソッ……また"大人の事情"かよ! でも、こんな事でいちいちイライラしていても仕方がない。俺は、一度小さく深呼吸をした。  「……それで? まさか、『私は命令に従ってただけなので許してください』なんて言いに来た訳じゃないだろうな?」  「あら、いくら私でもそんなみっともない真似しないわよ。尤も、許しを乞う気なんてこれっぽっちも無いけど」  フフン、と笑う錦野の顔がいちいち癪に触る。俺は、もう一回だけ深呼吸をして再び気持ちを落ち着かせた。  「要するに……その人は今油断してるって事。 絶望的すぎる今の状況をひっくり返せば、アイドル研の結束は確固たるモノになる。 外部介入が出来なくなるくらい、貴方たちの絆を強くできるチャンスなのよ」  「……だから、今の状況でどうやって立て直せば良いのかを聞いてんだよ!」 痺れを切らしてそう叫ぶと、錦野はまたニヤリと笑い、舌なめずりをした。  「それも簡単なことよ。 ここにあの子たちの盗撮写真がある。 それであの子たちを揺すればいいわ。 もしくは……袖の下とか?」  「……アンタに期待した俺が馬鹿だった」  話にならない。俺はため息混じりに錦野から目を背けた。  「……あら、残念。 せっかく知恵を貸してあげたのに」  挑発的な態度から転じて、見下すような呆れ声でそう呟く錦野。何が気に入らなかったのかは知らないが、奴の知恵を借りるなんて、こっちから願い下げだ。コイツは……俺たちの邪魔をして楽しんでるだけだ。  「……じゃ、私は用がなくなったから帰るわ。 せいぜい頑張ってね」  そう告げて、錦野は踵を返してドアの方へ向かい━━━    「━━━待って下さいっ!」  その声は、背を向けた錦野の向こう側から聞こえてきた。必死な様相のその声は、聞き覚えのある人のものだった。  「え、絵美里、ちゃん……?」  「……あら、この期に及んで何の用かしら?」  絵美里? なんで、絵美里がここに……?  俺が彼女に問いかける間もなく、彼女はゆっくりと息を吐いてから、  「……私は、約束を守れませんでした。 翔登さんが皆さんに真実を話す時には、私がちゃんと説明をして皆さんの誤解を解くって……そう約束したのに、出来ませんでした」  「絵美里……」  絵美里は、絵美里なりに責任を感じていたのだ。錦野が話すよりも前から、俺の零浄化について知っていた彼女は、確かに『私から皆さんに説明しますから』と言っていた。でも、状況が状況だったし、弁解の隙もなかったのだから、彼女が約束を守れなかったのは仕方がないことだ。  でも……それでも彼女は、苦しんでいたのだ。それを自分の罪として負い、悩んでいたのだ。    「だから、せめて少しでも翔登さんに償いたくて……それで、調べたんです」  「調べた、って……?」  一度、眼鏡を外して目尻に溜まっていた涙を拭ってから、絵美里は一冊の本を開いてこちらに見せた。 それは、古びた卒業アルバムだった。  「今から6年前……かつて聖歌高の生徒だった人物      ━━━錦野 小雪さんについて」    「…………え?」  俺は、無意識に音色と目を見合わせていた。    錦野が……聖歌高の卒業生……?  そんなことってあるのか……?  「……へぇ、貴女って見かけによらず悪趣味なのね。 で、どこまで調べたの?」  「6年前、聖歌高の卒業生は320名でした。 ……しかし、それは全員ではありません。卒業予定だった生徒のうち4人が……不幸な事故で亡くなっているそうです」  「4人って、もしかしてそれ……!?」  コクリ、と絵美里は頷いた。      「錦野先生がいた代にも……聖唱姫の呪いがあった。    そして━━━その呪いに見舞われた内の一人が……錦野先生、あなただったんですよね?」    「なっ……!?」  錦野が、聖唱姫の呪いに……!?  息をすることすら忘れて茫然とする俺たちの前で、錦野はなおも澄ました顔をしていた。  「6年前、同じくこの学校の生徒だったという方からお話を伺ったんです。  先生はかつて、音色さんと同じ、安断手(アンダンテ)の呪いにかかっていたんですよね?『錦野さんは色々な人から好かれていた。 彼女を見ていると、誰もがドキドキしたんだ』と、その方は語っていました」  「……とんだプライバシーの侵害ね。 でもまぁ、とりわけ否定するような事は何もないわ」  ふぅ……と重くため息をつく錦野。俺は、絵美里の言っていたことが未だに理解できずにいた。    錦野が、呪いにかかっていた……? しかも、音色と同じ安断手(アンダンテ)に……?  疑問が次から次へと頭に浮かぶ。でも、混乱しているせいか、言葉がうまく出てこない。俺は、息遣いを荒くして錦野の背中を見つめることしか出来ずにいた。  「先生が……私と同じ呪いに……」  「ええ、そうよ。私には、貴女の気持ちが手に取るように分かるの。 惨めで、残酷な運命を嘆く貴女の気持ちがね」  くるり、と身を翻した錦野は、音色の側へ歩み寄った。音色の喉元をスウッと撫で上げ、蔑んだような目で見下ろす。その顔には影が差していた。  「だったら……なんで、あの時音色にあんな事をッ……!」    「待って下さい翔登さん! ……先生の今までの言動にも、きっと訳がある筈です」  コホン、と咳払いを一つしてから、絵美里はおもむろに手に持っていた卒業アルバムを開いた。そして、パラパラとページを手際よく捲りながら、  「何故、聖唱姫の呪いにかかっていた筈の先生が、今ここに居るのか。  それは、先生の呪いが『浄歌聖唱(ジョーカー・セッション)』で浄化されたからです。 ……先生は6年前、翔登さんと同じ"零浄化"を持つ人物によって救われた。 けど、それは……」  「……そう。 それは、私が望んだ結末じゃ無かった。 だって、私が生き残る代償に、呪いにかかってた他の子の命が奪われたんだからね。 それで生き永らえたって……私はちっとも嬉しくなかった。  ……私は、零浄化を死ぬほど恨んでいるの」  錦野の口調からは、おどけた調子が消えていた。静かな、しかし強く激しい怒りの感情が、彼女の周囲を渦巻いているようだった。  が、俺にはそれ以上に気にかかる事があった。  6年前。その数字を、以前どこかで聞いた気がするのだ。  「━━━あ」  その瞬間、俺の脳裏にあの言葉がフラッシュバックした。卒業式の前日、早見会長が俺にそっと囁いた、"あの言葉"。それが示す意味が、今、絵美里によって語られた事実とリンクした。……リンクしてしまった。  「…………早見、光男」  「ッ!?」  その名をボソリと口にした瞬間だった。錦野が、鬼のような形相でグワッと此方を向いたかと思うと、そのまま胸ぐらでも掴むかのような勢いで迫ってきた。  「先生っ!?」  「……ごめんなさいね。 その名前を聞くと、虫唾が走るの」  息を飲んで茫然とする俺と音色。その裏で、絵美里はボソリと、  「やはり……6年前の零浄化の持ち主というのは━━━」  「━━━早見 光男。    貴方たちが気に入っていた、あの生徒会長の兄よ」  やっぱり、そうだったのか……!  予想はついていたけど、信じ難い。会長の兄がどんな人だったのか分からないから、想像のしようもないのだが、それでも疑問は次々に浮かび上がってくる。  「呪いについてやけに詳しかったのは……」  「当然、自分が過去に経験済みだったからよ」  「もしかして、今までも会長さんと裏で繋がってたんですか……?」  「正解。 ……あの娘とは、ちょっとした"契約"を交わしていたからね」  「じゃあ、聖子さんは全部……」  「知ってたでしょうね。 ま、あの子がそれについてどう思ってたかは知らないけど」  質問攻めにも、錦野は飄々と答えていく。  でも……それでも、俺はどうしても理解できない事があった。  「なぁ、錦野先生━━━」    ゆっくりと息を吐き、俺は錦野に問いかける。  「なんで……どうしてWINGSを引き裂いたんだ? 俺たちが憎かったからか? 呪いを引き起こしたくなかったからか? それとも……」  「……私は、ただ楽しんでただけよ。 あの方の命令に乗じて、貴方たちが苦しむ姿を見て楽しむために━━━」      「━━━それは、多分違うと思います」  答えたのは、音色だった。  えっ? と同時に振り向く俺と錦野に、音色は優しく語る。  「ずっと思ってたんです。 ……先生の瞳、なんとなく翔登くんに似てるな、って。 何か目的があって、その為に一生懸命奔走する……そんな瞳をしてる気がするんです」    「音色……」  正直、信じられなかった。  錦野に酷いことを言われて、WINGSを引き裂かれてもなお、音色は錦野を憎んだりしなかった。錦野をも、音色は優しく包み込んだのだ。懐の広さとか、そういう話じゃない。もっと大きな何かを、音色は持っているのではないかと、俺はこの時思い知らされた。    「……知ったような口聞かないでくれるかしら? 貴女みたいな処女に何が分かるって言うの?」  それでも、錦野は折れようとしない。しかし、その顔に笑みはなかった。  「私も、先生のことを調べている中で、音色さんと同じことを考えました。 ……先生は、何か方法を模索してるんじゃないか、って。  私たちを試して、観察して、時には試練を与えて。 ……そうしていく中で、何か道を探しているんじゃないか、と」  「っ……!」 その時、明らかに錦野の表情が変わった。それは、罪を暴かれた子猫のような。……いや、正体がバレた狐のような。なんとなく、そんな感じがした。  だからだろうか。さっきまで腹が煮えたぎる勢いで錦野のことを憎んでいた筈なのに、その気持ちがスーッと消えていった。奴が、音色や皆と同じ"被害者"だったのだと知って、彼女を憎む理由が俺の中で消え失せてしまったのだ。  「……なぁ、音色」    「……うん。 任せて」  俺が要件を伝える前に、音色はもう動き出していた。彼女はゆっくりと錦野の目の前まで歩いていくと、そのまま錦野の手をそっと握った。  「ちょっと貴女、いきなり、何、を……」  「……アンタが一番よく知ってるんだろ? 安断手(アンダンテ)について」  音色は、他人の心拍数を操る力を持っている。当然、気持ちが昂っている錦野も、彼女に触れられただけで、心が落ち着いた筈だ。  「……先生。 俺は正直、まだアンタを許せてはいない。音色や、つぐみにしてきた事。 ……アンタにどんな過去があったのかは知らないけど、それは許されない行為だ」  「……」    でも……という俺の言葉に、錦野はピクリと小さく反応した。  「もしも……もしもアンタが、俺と同じように呪いを何とかしたいって思ってるのなら。 呪いにかかった人を救う術を探したいと思ってるのなら! ……もう、こんないがみ合い止めないか? 俺たち、協力して道を探すことは出来ないか?」    「なっ……!?」  錦野の目が見開かれる。俺のこの言葉を、錦野は予想できなかったのだろう。……正直、俺も俺自身がこんな事を言うなんて、数分前までは想像だにしていなかった。  「私は賛成ですよ。 先生なら、私たちのことをlargoに引っ張っていってくれるような気がするから」  「先生には、呪いに苦しめられたという過去がある。 だからこそ、先生にしか分からないこともたくさんある筈です。  ……お願いします。 私たちに、力を貸して下さい!」  「っ……!」  錦野は、困惑していた。ヤツが思い描いていたシナリオは完全に叩き潰された。なぜなら、彼女にとって敵役であった俺たちが、手を差しのべてきたのだから。  目を見開き、パクパクと口を動かしながら固まる錦野。最後の一押しを……と思い、俺は一歩距離を詰めようとした。  その時だった。    「━━━私からも、お願いします!」  その声は、絵美里の後ろから聞こえてきた。  どこか懐かしいようなその声に、皆が目を向ける。      「つ、ぐみ……」  目を見開く俺たちの前で、つぐみははにかみながら立っていた。よく見ると、つぐみの後ろには詩葉や舞、夏燐、江助も居た。  「あ、貴女……どうして此処に……!?」  「えへへ……私たちが連れて来ちゃいましたっ!」  声と共に、ドアの影からひょっこりと桃子さんが現れる。そして、彼女に続くようにして、WINGSのファンクラブの面々がゾロゾロと顔を出した。  「つぐみ先輩がWINGS辞めるって言ったと聞いて、居てもたってもいられなくて。 ……私、先輩方がウジウジしてるトコなんて、みたくありませんからっ」  ニシシッ、と笑いかける桃子さん。つぐみも、釣られて困ったように笑っていた。  「ももっちにさ、"さっさと仲直りしてください!"って怒られちゃったよ。 だから、ここに来た。 ……それで、全部聞いた。  ……本当は、私まだ先生のこと好きになれないです。 先生がしたことも、まだ許せてない。 ……けど」  つぐみは、そこで一度言葉を切って、俺の方へ近づいてきた。  「……WINGS辞めるって言っちゃった事とか、翔ちゃんに強くあたっちゃった事とかは……すごく後悔してた。 あれは先生のせいとかじゃなくて、単純に私のせいだから。 あの時の事、今すぐにでも謝りたいっ! ……そう、心の中ではずっと思ってたのに、なかなか言いだせなかった」  「つぐみ……」  「……あのね、翔ちゃん。 私、嫌だったんだ。  翔ちゃんまで呪いにかかってた、って事とか、助けられる人が一人とか、それもあるけど……それ以上に……翔ちゃんが一人で苦しんでたのに、それをずっと黙ってたのが嫌だった。 翔ちゃんの苦しみを見過ごしてた自分が、嫌で嫌でしょうがなかった……!」  「何言ってんだ……お前が俺と一緒に苦しむ必要なんて━━━」    「必要あるよっ!」    つぐみの目からは、ボロボロと涙が零れ落ちていた。  「私たち、チームでしょ……? だったら、皆で一緒に悩もうよ……皆で一緒に考えようよ……。  お願いだから……翔ちゃん一人で抱え込もうとしないでよ……!」  「っ……!」  俺は、いつも一人で抱え込んでた。  呪いに苦しむつぐみ達に、これ以上負担をかけないようにと、無意識に彼女たちを遠ざけていた。  でも、それが……それ自体が、つぐみ達を苦しめていたのだとしたら……。  「俺は馬鹿だ……大馬鹿だっ……! ……ごめん、ごめんなつぐみ……! 俺……!」  「……ううん、私の方こそ、ごめんね……! ごめんね……!」  額を合わせ、二人で大声で泣きじゃくる。子供の頃、一緒になって泣いた時の記憶が甦る。そうだ……あの時からずっと、俺たちは"二人で"苦難を乗り越えてきたじゃないか。長らく忘れていた感覚が今、水を打ったかのように鮮明に思い起こされた。  「……錦野先生」  ゴシゴシと、袖で涙を拭ったつぐみは、そのまま静かに振り返った。そして、静かに錦野と対峙する。錦野の表情は、つぐみの頭に隠れて俺からは分からなかった。  「先生も、前に私たちと同じ苦しみを味わったんですよね……?  なら、一緒に救われませんか? 悲しい過去の呪縛から、もう解き放たれて良いんじゃないですか?」    「……」  「……翔ちゃんならきっと、その手伝いをしてくれると思います。 だから、先生も私たちに協力して下さい。 そうすれば━━━」  「━━━もう止めて」  ピン、と張り詰めた錦野の声が、つぐみの声を遮った。  「私ね、そういうの大嫌いなの。 あなた達みたいなのが見せる青春群像劇みたいなヤラせ芝居が。  ……でも、不思議よね。 どうして……」    その時、俺たちは気づいた。  ……錦野の声が震えていることに。  「……どうして、こんなに胸を打たれなきゃいけないのかしら……」  そこにはもう、敵意ある錦野の姿はない。 ただ、目を真っ赤にして静かに泣く大人の……いや、大人のフリをした女の子の姿があるのみだった。  「先生……!」    「……元々、これ以上貴女たちの邪魔をするつもりはなかったの。 あの方の命令ももう期限切れだしね。 ただ……」  涙を拭った錦野は、音色の手をあっさりと振り払った。そして、その手をポン、と音色の頭の上に置いた。  「……まさか、ここまでやられるとは思ってなかったわ。 今まで怨みや妬みばかり抱え込んでた自分が、バカみたい。 ……完敗ね」    見つめ合う錦野と音色。二人の顔には、ほんの少しだけ、笑顔があったように見えた。  「でも……私は、私のスタンスを崩すつもりは無いわ。 だから、あなた達に許して貰おうだなんて思ってないし、許しを乞う気もない」  錦野は次に、つぐみの方へと歩み寄っていった。ジリ……と僅かに警戒するつぐみに錦野が差し出したのは、しわくちゃな一枚の紙きれだった。  「でも……貴女たちの不出来な青春群像劇に免じて、協力はしてあげるわ。 これは、私自身の目的の為でもあるしね」  「これって……」  つぐみの手元を覗き見る。  しわくちゃな紙の正体は、ミラアイの合格通知だった。    ……そう。 あの日、つぐみがぐちゃぐちゃに丸めて投げ捨てた、あの合格通知だ。  「それ……なんでお前が持ってるんだよ!?」  「さあね、私にも分からないわ。 ……でも」  錦野の笑みは、いつもと同じ不敵なものに戻っていた。  「大事なものなんでしょ? ……だったら、もう手放したりしちゃダメよ」  「……はいっ!」    部室の外で見ていたファンクラブの子たちから、パチパチパチ……自然と拍手がわき起こった。拍手に包まれるようにして、つぐみ、詩葉、音色、舞、絵美里、夏燐、江助、俺……そして錦野が中心に集まる。そこに、絶望や悲しみは無かった。皆が、今まで以上の笑顔を浮かべていたのだ。  「もう一度、出発しましょう。 皆で、WINGSとして」  「はい! 皆さんと一緒に……これからも!」  「私もついていく。 ……もう、離れたりなんかしない」  「また皆で……vivaceにアイドル活動頑張ろうねっ!」  合格通知をキュッと握りしめて、つぐみが顔を上げる。決意に満ちたその瞳が、思いが、俺たちを一つにした。    「私……やるよ! もう一度WINGSとして、ミラアイに向かって!  だから……皆も一緒に行こう!」  皆で頷き合う。誰が何と言うでもなく、全員が手を前に差し出した。  そして━━━  「いくよ! WINGSっ!」  「「「「「フラーイ! ハーイ!   スカーイ!!」」」」」      ~~~  「クソッ!」  滝沢校長は苛立っていた。彼の手には、『さようなら』という文字と、キスマークが付いた紙きれが握られている。  WINGSの雲行きが怪しくなった時は、よくやってくれたと錦野を見直した。 ……しかし、まさかあそこから再び団結するとは、滝沢も夢にも思わなかったのだ。錦野と滝沢との協力関係は、今、完全に崩壊した。  「時間がない……このままではまた……」  「━━━ご愁傷さま。 ま、こうなった以上、内部分裂狙いはキツいんじゃない?」  校長室のソファに寝転がってスマホを眺めながら、少女は気だるそうに呟いた。  「まー、私もアレちょっとウザいと思ってっからなー。 てか、私ああいうクソみたいな青春ごっこ大嫌いなんだよねー。 反吐が出るっつーか」  「……実の孫に頼る気などない。 これは私の問題だ」  「あっはは! 別に私、おじーちゃんの手助けするために動いてんじゃねーし。 まー、なんかこう、いー感じに潰したいなーって感じはあんだけどさ」  ピョンッ、とソファから飛び降りて、彼女は歪んだ笑みを浮かべた。  「……下手に動くのは止めるんだぞ。 お前が問題を起こせば、私の体面にも関わる。    ……分かっているな? 明菜」  「はいはいうっさいな。 分かってますよー」  その言葉を最後に、少女はそそくさと校長室を後にした。ただ一人、残された滝沢校長は、疲れた顔でため息をついた。  「私がどうにかするしかない……」  暗い校長室に、滝沢の呟きが小さくこだまする。彼の机には、塔の描かれた西洋風の小さな絵が飾られた写真立てがあった。古びたそれを眺めながら、彼はまた息を吐くのだった。  ~~~  「……結局、あの子は何だったんだろう?」    アイドル研究部の部室へ向かう途中、俺は上着のポケットに入っていた悪魔のカードを眺めていた。四月の新歓ライブの後に、謎の白髪の少女から貰ったものだ。  彼女の予言はある意味的中し、WINGSには難が訪れた。しかし、俺たちはそれを乗り越えて、再び団結することが出来た。もしかしたら、このタロットカードは、そんな未来すらも見据えていたのかもしれない。  「……もうこれは要らないな」  ヒラリ、と悪魔のカードを窓から投げ捨てる。この先、きっと苦難は幾度となく訪れることだろう。WINGSを取り巻く大きな壁にぶつかったりする事もあるかもしれない。  ……でも、もう怖くなんかない。    俺たちは、一つだ。  苦難も、壁も、皆で乗り越えてみせる……! あの日、俺たちはそう決心したのだ。    「オッス、皆! 今日も頑張って活動するぞ!」  ガラガラッ! と勢いよく扉を開けて、部室に入る。さぁ、これからまた次のイベントに向けて頑張、って……い、く…………  「━━━あら、随分遅かったわね? ダメよ、遅い子はよっぽどのテクがなきゃ嫌われちゃうわ」  「え……な、んで……」  目の前には、あたかも当然といった顔で部室の席に座り込む錦野の姿。そして、周りからそれを訝しげな目で見つめるつぐみ達。なんだこれ……一体どういう状況なんだ?  「……あぁ、そういえばまだ貴方にも言ってなかったかしら」  組んでいた足を戻して立ち上がり、錦野は俺の前に一枚のプリントを突きつけた。  『アイドル研究部への通知』と書かれたそのプリントの文を目で追っていく。そして、"顧問"というワードが出てきた辺りで、俺は思わず「まさか……」と声を漏らしていた。ゴクリ、と唾を飲む俺の前で、錦野はいつものように妖しい笑みを浮かべていた。 「今日から、アイドル研究部の顧問を務めることになったの。 約束通り、貴女たちをサポートするためにね。 そういう訳だから……よろしくね、秋内クン?♪」    「えええええぇぇっ!!?」  部室に俺の叫び声がこだまする。  ……波乱は、どうやら今始まったばかりのようだ。      END
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