WINGS&アイロミームproject(仮)
第十章 『熱意と先制の涙救歌』(前編)
   「はい次サードいくよー!」  「お願いしますっ!」  カキーン! という爽快な音がグラウンドに響く。サードのポジションについていた背丈の低い女子生徒は、砂埃が舞う中を懸命に走り抜けてゆく。そうして、その手をグッと伸ばしながら跳躍し、見事にフライの球をバシッと掴んだ。「ナイスー!」という掛け声が響いて、その子は嬉しそうに笑っていた。  聖歌高のだだっ広いグラウンドの、約4分の1ぐらいの面積の中で、女子ソフトボール部は放課後の練習に勤しんでいた。部員は、ざっと見て20人程度。皆が真剣な顔つきで練習に参加している。そんな、汗水を流して青春を謳歌する女子たちの様子を、俺、秋内 翔登はフェンスの向こう側からボーッと眺めていた。  「……今日も遅くなるっぽいな」  ポツリと、独り言を呟く。大勢居る部員らの中で俺は、たった一人ピッチング練習に励む一人の女子生徒の方へと視線を注いでいた。  「あぁーっ、また覗き魔が来てる! 何してるんですかケダモノっ!」    と、突然フェンスの端からそんな大声が聞こえた。ドドドドド……と迫ってくる足音に、俺はため息をつく。  「あのさぁ欅さん……いい加減このやり取り飽きたから。 何回目だよこれ」  「先輩がそーやってつぐみ先輩のことをイヤラシー目で見に来るから、私がこうして護衛してるんじゃないですか!」    彼女の名は欅 桃子(けやき ももこ)。俺たちの後輩で、その"つぐみ先輩"が大好きだからという理由だけで、つぐみと同じソフトボール部に所属しているという少女だ。彼女は、俺がソフト部の様子を見に来るたびに必ずいちゃもんを付けに来るのだ。  「てか、覗き魔なら他にいるだろ? ほら、つぐみのファンとかが向こうにビッシリ」    「あの人たちは、前に一回顧問の先生がビシッ! と叱って以来、ちゃんと節度持って見学してるから大丈夫です。 それよりっ! 私からすれば先輩の方が要注意人物なんですっ!」  「いやそれお前個人の話だろ……」  一向に話を聞かず、ギャーギャーと騒ぐ欅さん。そんな彼女に頭を抱えていると、その背後から助け船が出された。  「もぉー、またやってるし。 二人とも飽きないね」  フェンス越しにかけられた声。いつの間にかピッチング練習を終えていたその少女……和田辺 つぐみは、ため息混じりに俺たちを見ていた。  「いや、別に好きでやってる訳じゃないっつーの」  「聞いて下さいよつぐみ先輩! この人、毎日毎日つぐみ先輩のことをイヤラシー獣のような目つきで見てるんですよ! つぐみ先輩も気を付けた方が良いです!」  「だからぁ、翔ちゃんはそういう人じゃないってずっと言ってるでしょー」  「でもっ! 先輩のそのほんのり汗で湿った首もととか、短パンの裾から覗く細い足とか、ユニフォーム越しでも分かるその豊満な胸とか! 練習着の時点でこんなに扇情的なのに、アイドル衣装時のあの露出の高さとなれば、男が黙ってる訳ないじゃないですか!」  「いや、そんな事考えてるのももっちだけだから! っていうか、普段どんな目で私のこと見てるの!?」  「はぅあっ!!?」    「相変わらずだな……」  いいから早く練習戻りなよー、というつぐみの声で、欅さんはようやく俺から離れてグラウンドへと戻っていく。はぁ……と軽くため息をつくつぐみに、俺はさっき自販機で買ってきたスポーツドリンクを手渡した。  「おぉ、ありがと。 まー、何というか……ももっち、根は良い子だからさ、その……あんまり怒らないであげてね」  「ほんのり汗で湿った首もと……ふむ…………」  「っ!? ちょ、翔ちゃんまで変な目で見ないでよ! もう!」  バッ! と両手で自分の体を抱きながら、顔を赤らめるつぐみ。今まで意識することがなくて分からなかったが、ソフト部の練習に勤しむつぐみの姿は、なんというか、普段俺が見ている"学生のつぐみ"や"アイドルのつぐみ"とは違う印象だな、と感じた。彼女のソフト部歴は、WINGSの活動歴よりも長い。やはり、それなりの風格というものが出てくるのは当然なのだろうか。  土で汚れたユニフォームの裾が、風に煽られてヒラヒラと揺れている。その使い込まれたユニフォームやグローブを見ると、つぐみが普段、どれだけ真剣に練習に励んでいるのかということが窺える。そりゃそうだ……彼女は今、大事な試合に向けて必死に練習をしているのだから。 ギラギラと照りつける日射しをいっぱいに受けるグラウンドを眺めながら、俺は、つい一週間ほど前にアイドル研で起こったある出来事を思い出していた。  ~~~  「━━━━WINGSの活動をしばらく休ませて欲しいっ!?」  ある日の放課後。いつものように練習を始めようとした矢先、つぐみと夏燐の二人が突如立ち上がって、そんなことを言い出した。当然、俺や他のメンバー達は皆、口をポカンと開けて言葉を失っていた。  「皆、私がアイドル研とソフトボール部とを兼部してるのは知ってるよね……? 実は、そのソフト部のインターハイが近づいててね、もうすぐ地区予選が始まっちゃうの」  「ウチの部はほら、私立の音楽高校だからぶっちゃけ弱小なワケ。 んで、出場できるちゃんとした大会なんてのは、夏のインターハイの地区予選ぐらいしか無いのよ。 加えて、アタシ達ももう三年生だし、この大会を最後に引退しなくちゃいけない。 だから、言ってみればこの地区予選は、私たちソフト部三年の集大成ってこと」  ま、例年地区の準々決勝とかで負けちゃってんだけどねー、と夏燐が乾いた笑いとともにつけ加える。しかし、つぐみはその間ずっと俯いていたし、他のメンバーも皆、苦い顔をしながらそれぞれ視線をまばらに泳がせていた。ソフト部にとってそれが大事な時期であるということは分かっているものの、他のメンバーは皆、快く了承することが出来ないのだ。なぜなら……  「……分かってるよ、皆が言いたいこと。  ……『ミラアイ』の二次予選も、もうすぐだもんね」  ピクリ、と皆の肩が震えた。つぐみは、皆が密かに危惧していたことをちゃんと理解しているらしかった。  『ミラアイ』。全国の新人アイドルグループたちが集い、トップを決める大会。その二次予選が、三ヶ月後に迫っているのだ。  つぐみが独断で応募し、奇跡的に一次の書類審査を突破したWINGS。しかし、二次審査では実際に審査員の前でパフォーマンスを披露しなければならない。曲はどうするか、フォーメーションはどうするか、それまでにクリアしておかねばならない課題は何か……そういった細かいことを、グループ皆で煮詰めておこう、という大事な時期だったのだ。皆が頭の中で考えていながらも、口に出せなかった話題……それを、つぐみは自分の口から切り出した。  「でもねっ! 二次予選自体は三ヶ月先だし、インターハイと被ることは絶対に無いから! それに、インターハイが終わってソフト部を引退した後には、すぐに復帰して皆と一緒に練習する! 多分一ヶ月弱ぐらいになっちゃうかもしれないけど……でも、私一生懸命やるから! 皆に迷惑だけはかけないようにするからっ!」  誰も、つぐみが口からでまかせを言っているなどとは思っていないだろう。けれど、今回のつぐみの提案は流石に少し無謀すぎると感じた。インターハイだって楽じゃない。大会で死闘を繰り広げた後にすぐさまWINGSの練習だなんて、負担が大きすぎる。今までずっとソフトボールとアイドルを両立してきたつぐみではあるが、それでも今回のケースは訳が違う。正直……乗り気はしない。  ううむ……と考え込む中で、俺はふと横目で音色の方を見た。  「音色は……どう思う?」  「へ? わ、私?」  彼女はつぐみの親友だし、つぐみの心情を感じとってくれる筈。そんな淡い期待を込めて質問を投げ掛けてみるも、音色はあたふたした様子で困っていた。  「うーん……私は、つぐみちゃんの意見を尊重してあげたいけど……でも、他の皆は……」  不安そうな面持ちで、辺りを見渡す音色。これは、個人の問題ではなくWINGSというチームの問題だ。そう考えれば、音色が一人で決断を下せないのも無理はない。ちょっと酷な質問をしてしまったかな……そう思っていた時だった。  「あの……私も、音色さんと同意見ですっ!」    声をあげたのは、絵美里だった。彼女は、目を伏せる音色に寄り添うようにして隣に並び立ち、ハキハキとした声でそう言った。すると、それを皮切りとして、他のメンバー達からも意見があがる。  「つぐみ氏のポテンシャルを考えれば、特に心配するようなことはないと思う。 天からの声も、大丈夫って言ってる」  「チームのことを考えれば賛同しかねるのだけれど……でも、つぐみさんなら難なくこなしてしまうんじゃないか、って、そう思ってしまう自分がいるのよね。 ……ただし、練習のリカバリーは自己責任ですからね?」  「皆……!」  つぐみに笑顔が戻る。……どうやら、最初から皆の中で意見は一致していたらしい。そういうことなら、俺もつぐみの提案を拒む必要は無いだろう。  「WINGSだって、ソフトボールだって、両方お前のやりたい事なんだろ? ……だったら、臆せず自分の好きなように頑張れば良いよ。 ひとまずは、目の前にある大会目指して頑張ってこい!」  「翔ちゃん……! うん、ありがとっ! 私、どっちも全身全霊で頑張るよ……!」  決意に目を輝かせるつぐみを見ていると、何だか俺の方まで嬉しくなってくる。笑顔のままで音色や皆のもとへ駆け寄るつぐみの背中を目で追う途中、ふと、夏燐と視線がぶつかった。夏燐もにこやかな表情をしてるだろうか……そんな俺の予想は外れた。夏燐は、口端で笑顔を装いつつも、どこか物憂げな表情でつぐみを見ていたのだ。  「……夏燐? どうかしたのか?」  「へっ? ……あぁ、いや別に。 こーなるのは何となく予想してたけど、こっから忙しくなりそうだねー。 つぐみがぶっ倒れたりしないよう、アタシがちゃんとサポートしてやんないと」  やる気よりも不安の方が勝っている、といった感じの夏燐。俺は、そんな彼女の様子にほんの僅かながら違和感を覚えたのだが、「まぁ、大会が終わってしまえば不安も晴れるだろう」と適当に判断し、深くは考えないことにした。つぐみのことは、夏燐に任せておけばきっと大丈夫だろう。    「じゃあ……私はしばらく、ソフト部の練習の方に集中するね! 頑張って良い結果残してくるから……!」  つぐみの力強い宣言に、皆がコクンと頷いた。皆がつぐみのことを信頼しているのが分かるようだった。そうして俺たちは、つぐみ抜きで練習をするにあたってどうするか……それを考える会議を早速始めるのだった。  ~~~  ……あれから一週間。俺は日課として、部活に励むつぐみの様子を見に来る傍ら、アイドル研であった出来事や話し合いの中身などを伝言する役割を担い、毎日放課後にグラウンドを訪れていた。まだまだぎこちない部分はあるものの、アイドル研の練習も、特に問題なく進んでいる。見る限りでは、ソフト部の練習も順調そうだ。インターハイの地区予選は、もう来週にまで迫っていた。  「あれから、どう? そっちで何か進展あったりした?」  「ん? そうだなぁ……前話してた新曲については、まだ皆で振り付けを練ってる段階だ。 後はまぁ、普段通りだよ。 既存の曲を繰り返し練習したりして……あっ、そうだ」  "曲の練習"という話題にすっかり気をとられて、危うく忘れるところだった。キョトンとした顔で首を傾けるつぐみに手招きし、俺は彼女の耳元に顔を近づけた。  「ふゃっ!? ちょ、ちょっと何……!?」  「━━━━『聖唱姫の呪い』の件。 今日、工藤さんの『降霊堕(コールレーダー)』で、また新しい人とコンタクトがとれたんだ。 ……園田 和良(そのだ かずら)さんっていう、初代WINGSメンバーの一人なんだけど」  「っ……!」  カキーン! という音が、すぐ側で響き渡る。それに釣られるように視線を動かすと、俺の隣では、つぐみが僅かに顔を強張らせているのが見えた。  今日の放課後、工藤さん本人の提案で、『降霊堕』を発動させてみようという話になったのだ。以前、絵美里がこの力で初代WINGSの和田 翼(わだ つばさ)という人の霊とコンタクトを取ったことがあるという。その時に、"七つ目の呪い"の存在も耳にしていたというのだ。ただ、和田さんの霊と話したのは、絵美里ただ一人だけ。松本の一件と重なってややこしくはなったものの、結局、本当の"七つ目の呪い"ついての詳しい情報は得られていない状態なのだ。  そこで、あの日以来俺たちは、工藤さんの体調が万全である日に限り、『降霊堕』で霊を呼ぶチャレンジをしていた。"七つ目の呪い"のことを知っているであろう和田さんを呼び寄せるのが理想だ。でも、他のメンバーで呪いのことについて知ってる人がいる可能性も否めない。そんな藁にもすがる思いで、『降霊堕』による降霊を繰り返していたのだが━━━━  「……園田さんは、呪いについては何も知らないみたいだった。 『聖唱姫の呪い』の元になっている怨念は、もともと怨念そのものが意志を持って分離したようなモノらしくて……その、『降霊堕』で呼び寄せてる霊とその怨念とは別物らしいんだ。 だから、有力な情報は得られなかった……」  「そっか……うん、そりゃまあ仕方ないよ。 呪いって、人が死んだ後に生まれるのが普通だもん」  あはは、と笑うつぐみの眼には、どこか諦観的な色が見えた。そんな簡単に呪いのことが分かる筈ないもんね……と、そう言っているようにも取れる。  「ごめんな……」  「別に謝らなくても良いって! むしろ、私が居ない間にもちゃんと調査とか進めてくれてるって事でしょ? だったら、私は皆にお礼言わないとじゃんか!」  と、つぐみは笑ってみせる。強いな……と改めて思った。その強さに、俺や他のメンバー達は、幾度となく救われてきた。だから、今度こそ俺たちがつぐみのことをサポートしてやらないと……!  「━━━━はい、織姫と彦星の面会タイムしゅーりょー。 つぐみ、そろそろ練習戻るよー」  つぐみの背後から間延びした声が聞こえてくる。夏燐だった。声を聞いた瞬間、俺たちは互いにバッ! と勢いよく距離をとった。  「いやいや、そんな露骨に警戒しなくても良いじゃん」  「だって……かりりんいつも私たちが話してるとからかってくるんだもん……」    「勘違いするなよ。 俺はただ、『聖唱姫の呪い』のことについて話してただけだ」  「とか何とか言って~。 本当は心の中で、『つぐみのユニフォーム姿を毎日拝めるなんてラッキー♪』とか思ってんじゃないの? ん?」  「んぐっ……!?」  図星を突かれた訳じゃない。ただ、いつもと違うつぐみの姿に新鮮味を感じていたのは事実だ。夏燐は、稀にこういう鋭い一面を見せる時がある。何となく見透かされてる気がして、俺は意識に反してみるみる顔を赤くしてしまう。  「おやおや? これは言い得て妙かにゃ~?」  「う、うるせぇよ! とにかく、用件は伝えたからな! 俺はもう行くから……!」    ほとんど逃げるように、俺はつぐみの顔も見ずにその場を後にした。後ろで二人が何やら話しているようだが、気にしないことにする。……ま、ちょうど練習再開のタイミングだったっぽいし、良かっただろう。  そうして俺は、部室で振付の練習をしているであろう四人のもとへ、そそくさと向かうのだった。    ~~~  「━━━あっははは! 慌てておる慌てておる」  「翔ちゃん……も、もしかして本当に……?」  「んー、そこはまぁ、つぐみのご想像にお任せって事で」  足早にグラウンドを去っていく翔登の背中を目で追いながら、つぐみと夏燐の二人は言葉を交わしていた。口角を上げてニヤつく夏燐に対し、つぐみはちょっと惚けた顔で目をパチパチさせていた。  練習道具を取りに体育倉庫へ向かう陸上部の集団が前を通りすぎていく。その列が過ぎさった頃にはもう、翔登の影は校舎の中へと消えてしまっていた。  「つーぐーみ! いつまでボーッとしてんの」  「……ハッ!? あ、いや、何でもないよっ! さっ、戻って練習練習っ!」  「あー……その、練習戻る前にさ……」  照れ隠しに、わざとハキハキした声をあげて練習に戻ろうとするも、夏燐のその微妙な反応を見て、つぐみはふと足を止めた。ん? と疑問符を頭に浮かべて首を傾げる彼女に、夏燐はどうしてか目を合わせようとしない。  「ちょっと、来て欲しいんだよね。 多分、そんなに時間は取らないと思うけど」  「それって、練習抜け出してって事……? いやいや、部長がそれ言っちゃう?」  「や、そうじゃなくて。 ……これ、部長命令なのよ。 顧問の島田先生に呼ばれてんだよね、アタシら」  え……? と、つぐみの口から声が漏れる。予期せぬ展開にたじろぐ彼女に、夏燐は無言でついて来るよう促した。フェンス沿いに歩いていく二人。グラウンド一帯を射していた太陽が、一瞬、横長の雲に遮られて翳った。  「つぐみ先ぱーいっ♪ 次のピッチング練習、私も一緒に……って、あれ?」  桃子がメニューを終えて戻ってきた時にはもう、つぐみと夏燐の姿は無かった。雲の切れ端が、桃子の近くにひっそりと影を落としている。練習メニューは、まだみっちり残っていた。  ~~~  「━━━━単刀直入に言うぞ、和田辺。 ……お前には今大会の期間中、スタメンをはずれてもらう」  「…………え?」  各部活動が、備品などを入れたりする体育倉庫。その裏手に、つぐみたちは居た。学校と外とを隔てるフェンスを背にして、両目を見開いて茫然とするつぐみ。一方で、体育倉庫の壁に凭れかかる夏燐と、ソフトボール部の顧問である島田は、倉庫の屋根が作る影にすっぽりと身を収めてつぐみと対峙していた。  「……いやいや、ちょっ、そんな急に、何で……!」  「……お前には、WINGSの活動があるからな」  島田先生は、目を伏せながら言った。  「WINGSが、みらあい……とか何とかいう大会の一次予選を突破したという噂は、もう学校中に広まっている。 それぐらい、WINGSはウチの学校にとって大きな影響をおよぼす存在だということだ。 そんなホープに、ソフト部の大会で怪我なんかさせてみろ。 ……和田辺の夢だけじゃない。 聖歌高の生徒皆の夢を壊すことになりかねん」  「そ、れは…………」  戦力外通告を予想していたつぐみは、自分がソフト部にとって不必要な存在だという訳ではないと分かって、ひとまずホッとした。……だが、問題はそこではない。自分が夢見ていたステージによって、自分が夢見ていた別の舞台に立つことを阻まれる。……彼女はまさに、そのような境遇に面していた。  「……実を言うと、前々から島田先生に相談されてたんだよね。 このままつぐみを練習に参加させるべきなのか否か、ってさ」  「でも……」    「いや、分かってるつもりだよ? つぐみの気持ちはさ。 ……でも、さっき先生が言ったことも分かるでしょ?」  「……」  遂に、つぐみは俯いて黙り込んでしまう。先生や、夏燐の話が受け入れられないのではない。受け入れられるからこそ、彼女は全力で葛藤しているのだ。  「……私もな、出来ることならばお前に頑張らせてやりたいと思ってる。 実際、お前はそうしてアイドル活動とソフト部とを両立させてきたからな」  ただ……と、島田先生は口ごもる。  「それは彼女を酷使しすぎだと……そう、校長先生から指導を受けてな。 お前が無理をして壊れたりしないよう、ブレーキをかけてやるのが我々教員だ。 お前の意思も大事にしたいが、それよりも前に……お前の体とお前の本当の夢を大事にしたい」  「先生……」  ショックを受けていたつぐみの心に、島田先生からの言葉は強く響いた。何故、校長先生が私のことに口出しするのだろう、という疑問はあったが、島田先生がちゃんと私のことを考えてくれているというのは伝わった。優しい先生だな……と、つぐみは心の中でそう感謝した。  (でも……)  すぅ、と静かに深呼吸をするつぐみ。彼女の心は、もう決まっていた。  「気遣ってくれて、ありがとうございます。 ……でも、私は頑張りたいです! WINGSの活動も、ソフト部の大会も、両方! だって……どっちも私の夢ですから!」  つぐみの脳裏には、一週間前に自分を送り出してくれたアイドル研のメンバーの顔が浮かんでいた。皆が、自分のことを信じて送り出してくれたのだ。皆の期待があるのに……私がここで折れる訳にはいかない。そんな熱い思いが、自然と胸の奥から沸き起こっていた。  島田先生は、面食らった顔で立ち尽くした。しかし、すぐに落ち着きを取り戻し、果てには薄く笑みを浮かべて見せた。  「……何故だろうな。 話を切り出した直後は、はち切れる程に胸が痛かったのに……和田辺の言葉を聞いた今は、不思議と胸が熱くなるような感じがするんだ。 やはりお前の言葉には、人を感化させる力があるみたいだ」  『惑聖恋(マッドセイレーン)』。つぐみにかかっているその呪いは、彼女自身が抱いた感情を周囲の人間と共有する力を持つ。すなわち、島田先生が感じた"胸の奥が熱くなる感じ"はまさしく、つぐみ本人が抱いていた思いであった。  かつて、つぐみはこの力に悩まされていた時期があった。けれど、翔登と話して、WINGSの活動を続けて、彼女は変わった。自分の感情を抑え込むことを止めて、ありのまま明るく在ろうと考えるようになったのだ。  「先生、お願いしますっ! 私にソフトボール、頑張らせて下さい!」  真剣な面持ちで、つぐみは頭を下げた。きっと、先生に思いは伝わっている。嘘偽りのないこの熱意を、先生はきっと分かってくれる。そう信じたからこそ、つぐみは誠意を込めて頭を下げたのだった。  グラウンドでは、各部活動の生徒たちが声を張り上げて練習に励んでいた。その喧騒の中で、島田先生は意を決して言い放った。  「……分かった。 和田辺の思いを尊重しよう。 明日、私から校長先生の方に掛け合━━━━」  「━━━━駄目だよ」  丸く収まりかけていた会話が、何者かによって遮られる。「え……?」と思わず声を漏らすつぐみ。二人の合意に待ったをかけたのは、彼女たちのすぐ側にいた人物……篠田 夏燐だった。  「かりりん……?」    「つぐみはそうやって、何でもかんでも全部やろうとする……そんなんじゃ、いつガタが来てもおかしくない……!」  夏燐の声音は、いつもの気の抜けた感じのものとは打って変わって、真剣そのものだった。それが、余計につぐみの調子を狂わせる。  「で、でも! これは私の意志で……」  「だからさ、それが駄目なんだって言ってんの! 好きなことなら何でもやり通せる……? ふざけんな!! そんな綺麗事がいつまでも通用すると思うの!?」  激昂する夏燐を目の前にして、つぐみは言葉に窮してしまう。ソフト部のキャプテンとして、彼女が後輩の部員たちに激を飛ばしている姿は、何度か見たことがあった。でも……その怒声が今、自分に対して向けられている。自分のことを一番理解してくれていると思っていた、夏燐が……。そのことが、つぐみにとってはパニックでしかなかった。  「なんで……? かりりん、私のこと応援してくれてたんじゃ……」  「……この際だからハッキリ言わせて貰うけど。アタシは、つぐみがWINGSの活動しばらく休むって言った時、イラッとしたんだよね。 ソフト部が忙しくなったらWINGSは休んで、んで終わったらまたWINGSに戻って……そういう、どっち付かずで中途半端なの、止めて欲しい」  「……っ!?」  グサリ、と夏燐の言葉が深く突きささる。流石のつぐみも、顔をしかめずには居られなかった。パニックとショックとが、つぐみの胸中を渦巻く。  「おい、篠田! いくら何でも言い過ぎだぞ……!」  「元々は先生が言い出したことじゃないっすか! つぐみに何て言われようが、つぐみの為を思って心を鬼にして、大会に出させない。 それが顧問としての務めだったんじゃないんですか……?」  「それは……」  思わぬ反論に狼狽する島田先生。そして……事件はその直後に起こった。  「……うぐっ!?」  「先生っ!?」  突然、島田先生が頭を抑えて苦しみ出したかと思うと、そのままゆっくりと踞ってしまったのだ。つぐみが慌てて近寄ると、島田先生は、虚ろな目をしてカタカタと小刻みに身体を震わせていることに気がついた。  「な、なんだ……? 急に、胸が締め付けられるように痛んでッ……」  「は、早く保健室に……!」  「いや……大丈夫だ。 多分、身体の不調じゃない。 ……でも、何故だ? すごく心が重いというか……そんな感じがする。 今一番辛いのは、和田辺のはずなのにな……」  「……っ!!」  つぐみは、冷や水を浴びせられたかのようにハッとした。  『惑聖恋』だ……! 直感的に、そう気がついた。島田先生は今、つぐみ自身が感じているショックをそのまま受け取っている。唐突にショックに襲われたことで、先生の身体までもがパニックを起こしてしまったのだ。  「……決めなよ、つぐみ」  しゃがんだ姿勢から、つぐみは顔を上げる。傾いた太陽を背に受けた夏燐の顔は、逆光になっているせいで上手く見えない。……それでも、その震えた声音と肩、そして、右手でユニフォームの胸の辺りをギュッと握りしめている様子から、彼女の浮かべている表情は、容易に想像できた。そして、なぜ彼女がそんな表情をしているのかも、つぐみは理解した。  考えてみれば当然だ…………夏燐にも、『惑聖恋』の力は行き届いているのだ。  「ソフト部の大会か、ミラアイか。 ……どっちもじゃなくて、どっちか。 ちゃんと考えて、決断して」    ピーッ!! という、どこかの部のけたたましいホイッスルが鳴り響く。夏の日差しに打たれ汗を流す運動部員たちの中に紛れて、一人の少女の頬を、汗とは違う、苦い水滴が流れ落ちていった。 ~~~ 「━━━━5、6、7、8。 ……よし、良い感じだな。 じゃあ、曲のテンポはこのままでいこう」    「はぁっ、はぁっ……結構、ハードですね……」  「仕方ないわ。 これ以上テンポを落とすと、曲が5分を越えてしまうし」  「もうちょっとadagioな曲にすれば良かったかなぁ……皆ゴメンね~」  「問題なっしんぐ。 もしキツそうだったら、振り付けを改良すれば良い」  ミラアイ二次予選用の楽曲も、だんだん仕上がってきた。つぐみを除いた四人のメンバーは、振り付けやフォーメーションの研究に日々没頭し、熱心にその練習に取り組んでいた。つぐみが帰ってきた時、ちゃんと皆でリードしてあげられるようにしておこうと、これまで以上に気合いを入れて励んでいるのだ。  「歌詞の方は、今どうなってるんだっけ?」  「い、一応完成したわ。 それで今は、絵美里さんに見て貰っているの」  「はい! 明日か明後日には、完成版を出せると思います」  「了解。 じゃ、つぐみにはそのことだけ伝えとくよ」  時計を見ながら呟く。そろそろ、例の日課のソフト部見学の時間だ。……まぁ、別に毎日行く必要は無いのだが、一応、つぐみが毎日頑張ってる様子を見るという意味でも、この日課は欠かせないものになっていた。  「あ……翔登くん!」  ふと、部室を出ようとした所で、音色に呼び止められる。振り返ると、音色は少し不安げな表情で、  「えっと、ね……つぐみちゃん、何だか今日一日ずっと元気なさそうだったから……もし、練習でつぐみちゃんが辛そうにしてたら、その……励ましてあげて欲しいな、って……」  元気なさそうだった……?  席が遠いのであまり意識していなかったが、確かに、今日は一日つぐみの声を聞かなかったような気がする。いつも活発な彼女が、寡黙に席に座っていたことを考えると……いや、でも昨日様子を見に行った時には、特に変化はなかったような……。親友ならではの音色の気配りに感心しつつ、俺は一抹の不安を抱いていた。  「……分かった、一応気にかけとくよ。 まぁ、何かあったとしたら夏燐が気づくだろうし、アイツが傍にいたら大丈夫だろうからさ」    「……うん、ありがとう。 よろしくね」  音色の不安を解いてから、改めて部室を後にする。  ……夏燐のことだ。きっと、音色のようにつぐみの変化にいち早く気づいて、サポートをしてくれているに違いない。つぐみと夏燐とは、それぐらい付き合いが長いのだから。  なんてことを考えながら廊下を歩いていると、ドンッ! という音と同時に、誰かにぶつかってしまった。前方不注意だったな……痛みはないものの、少し後ろによろめいてしまう。  「っとと……すいません、前見てなく……て…………」  やっと目線を前方へとやった俺は、その瞬間息を飲んだ。ぶつかったその相手に、見覚えがあったのだ。  白くて長い髪……澄んだ灰色の瞳……そして、右手に握られたタロットカード……。  間違いない……握手会の時、そして生徒会選挙の開票日に出会った、あの白い髪の少女だ。  「君は……」  「……お久しぶりです。 ショウトさん」  少女は、表情を少しも変えないまま立っていた。その、全てを見透かしたかのような瞳が、俺の心の内に言い知れぬ不気味さを感じさせる。  「ジークムント・フロイト氏は言いました。 ……自ら進んで求めた孤独や他者からの分離は、人間関係から生ずる苦悩に対してもっとも手近な防衛となるものである、と。 蓋し、人はそれをハリネズミのジレンマと呼ぶ。 カードが指し示す未来は、自由と拘束のジレンマを……」  「いや待った待った待った!! いきなり話展開すんなっての……!」  彼女が話しだすと、いつもペースを乱される。俺は、彼女がまた小難しい話を始めようとする前に、声をあげてそれを遮った。……話したいことがあるのは、こちらも同じなのだ。  「なぁ……そろそろ教えてくれよ。 お前は一体何者なんだ? どうして、呪いのことを知ってるんだ? それに、『業奉糸』の事件の時、お前が敦生くんに呪いのことを教えたって……」  「……?」  少女は、白々しく首を傾げる。今更とぼけても無駄だ。生徒会室で審議会を行った時のこと……『業奉糸』の呪いの力を持っていたことを白状した敦生くんは、『よく知らない白い髪の先輩』にそそのかされたと言っていた。白い髪で、なおかつ呪いのことを知る人物なんて、コイツしか居ない。  「……論理狩(ロンリー・ガール)への啓示はしました。 けれど、それ以外に私は何もしていませんよ?」  「いや、でも敦生くんが……」    「……私は、零浄化(ゼロ・ジョーカー)と継承者の前にしか現れませんから」  「え……?」  意味深な言葉に、またペースを崩されてしまう。継承者……? と尋ねるよりも前に、彼女はまた、いつものように俺の眼前に一枚のタロットカードを突きつけてきた。カードは、この前の時と同じく逆向き。旅人のような格好をした男が、崖の上で空を仰ぐ絵が、そこには描かれていた。  「THE FOOL。 ……逆位置の『愚者』。 軽率さが招く失敗・失望を意味します。 地に足の付かない判断は、崩れ落ちる崖の先で楽観を唄う愚者のそれです」  「……それが、今の俺に対する啓示ってか?」  眉を潜めながらそう尋ねる。しかし、彼女は俺の予想に反して、首をふるふると横に振った。  「このカードは、『惑聖恋』への天啓。 ……彼女は今まさに、光と陰の狭間に立ち尽くしているところですよ」  「な、に……!?」  音色の言葉が、あの時感じた一抹の不安が、最悪の意味を持ってフラッシュバックする。つぐみに何かあったのでは……そんな疑惑が、今、この一枚のタロットカードによって確信へと変えられた。  「ッ……!」  白髪の少女への問いかけなど、とうに忘れていた。俺は、鬼のような形相のまま、彼女の横を走り抜けた。急がないと……! 不安は焦りへと変わり、廊下を蹴る足に力を込めさせる。階段に差し掛かる時、一瞬だけ、走ってきた廊下の方に視線を向けられるタイミングがあった。しかし、そこにはもう白い髪の少女の姿はない。ただ、床にポツンと落とされていた一枚のカードがあるのみであった。  ~~~  「……あれ、秋内先輩?」  グラウンドへ向かうと、丁度休憩中だった欅さんに出くわした。休憩時にはいつもつぐみにベタベタしている彼女が、今は一人でいる。ということは……  「なぁ、今日つぐみ来てないのか?」  え? と、欅さんは首を傾げながら、  「今日は、WINGSの練習に参加してるんじゃないんですか? 私、てっきり今日はそっちに行ってるんだと……」  欅さんの顔が僅かに曇る。俺の質問と表情から、何かを察したらしい。  「……探してくる」  「あの、私も一緒に行きます!」  グラウンドを去ろうとして、引き止められる。つぐみが関わっているからか、欅さんの目は真剣そのものだった。  どうする……? 彼女を一緒に連れていくべきか……? しばらく悩んだのち、俺は彼女に言った。    「……分かった。 けどお前、練習勝手に抜け出して大丈夫なのか?」  「平気です。 夏燐先輩に怒られるのなんて、いつもの事ですから。 それに、私にとってはつぐみ先輩のことの方がよっぽど大事なんです!!」  説得力があるのか無いのか分からないが、とにかく、桃子さんは俺とともにつぐみを探す気満々らしい。ここで彼女を置いていく方が、むしろ酷だろう。  俺は、彼女に何も語ることなく、ただくるりと背を向けて彼女について来るよう促した。遠ざかっていくグラウンドから、部員らしき女子生徒の声が聞こえてきた気がしたが、無視した。ほとんど逃げるような足取りで、俺と欅さんは歩調を合わせて走っていくのだった。 つづく
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