WINGS&アイロミームproject(仮)
第十章 『熱意と先制の涙救歌』(後編)
   「……で、欅さんはつぐみの行きそうな場所に心当たりとかある?」  「そんなのあったらとっくに探してますよ! ……っていうか、先輩こそ何か見当とかついてないんですか?」  「いやまぁ、無いことはないんだが……」  グラウンドを抜け、体育館の脇を通り抜けたところで、そんなやり取りを交わす。念のため欅さんに聞いてみたものの、やはり居場所は知らないようだった。かくいう俺も、つぐみが今どこに居るかなんて分からない。  ……つまり、俺に唯一残されているヒントは、白い髪の少女が口にしていた、"あの言葉"だけであった。  『……彼女は今まさに、光と陰の狭間に立ち尽くしているところですよ』  (光と陰の狭間……)  いつも難解な言い回しで俺に混乱を誘う彼女だが、もしも、あの言葉が揶揄ではなく、言葉通りの意味であったならば……。  校舎を出て、下校中の生徒たちを掻き分けながら進む。ほとんど藁にすがるような気持ちで向かった先は、家からすぐの場所にある、神社。幼い頃、俺とつぐみがよく訪れていたその神社は、この時間帯になると、差し込む夕日を木々が遮って、ちょうど"光と影"とが入り乱れるような場所になる。白い髪の少女は、その場所のことを言っていたのではないかと思ったのだ。  「はぁっ、はぁっ……」  境内へと続く階段を掛け上がる。息を切らしながら進む俺とは対称的に、欅さんは単調なリズムで軽々と階段を二段飛ばししていた。そして、俺より先に境内の鳥居をくぐった欅さんは、そこで叫んだ。  「つぐみ先輩……っ!!」  肩で息をしながら、俺も漸く階段を登りきる。鳥居のその先……お社の屋根の下には、俺の予想通り、つぐみが制服姿のまま影に紛れて座り込んでいた。  「翔ちゃん……ももっち……」  つぐみは俺たちの姿を認めると、慌てて袖口でゴシゴシと目元を拭った。……泣いていたことを悟られたくなかったのだろうか。  「……ひょっとしたら来るんじゃないか、ってちょっと思ってたけど……まさか本当に来ちゃうなんて……」  「先輩、一体何が……?」  「……ゴメンね。 気持ちの整理がついてから、皆にもちゃんと話すつもりだったんだけど……」  徐に、社から降りるつぐみ。その表情は悲痛に濡れていたが、それでも、以前のような"作り笑い"じゃないだけマシだと思った。今のつぐみは、もう自分の感情を偽りで上塗ったりしないだろう。  ……つぐみは、昨日の出来事を洗いざらい話した。顧問の先生の言葉も、夏燐の言葉も、全て。  彼女はあくまで出来事を語るだけで、夏燐や顧問の先生を責めるような主張はしなかった。ただの愚痴じゃない……ちゃんと客観的に自他の意見を汲み取って、その上で語っている。……自分にも非があるということを、彼女は認めているのだ。  「そんな……じゃあ、大会は!?」  「……分からない。 けど、このまま私が何も言わなかったら、自動的にスタメンからは外されちゃうと思う」  俯くつぐみに、問いかける。  「……お前自身は、どうしたいんだ?」    ビクッ、とつぐみの肩が震えた。良くも悪くも、つぐみは俺からのその質問を待ち構えているようだった。  「……そりゃ決まってるよ。 インターハイも、ミラアイも、両方頑張りたい。 ……けど、それは駄目だって、かりりんに念押しされちゃったからさ」  「そうか……」  ここで、つぐみの背中を強く押してやることが出来ないのが、ひどく口惜しかった。つぐみの願望も、夏燐の怒りも、どちらも間違っている訳じゃない。きっと、誰もが皆それを分かっている。だからこそ、これが正しいという最適解を、皆が導き出せずにいるのだ。  「……ももっちは、どう思う?」  「へっ?」  突然つぐみから問い質された欅さんは、ひどく狼狽して目を見開いた。  「……私は」  それでも、欅さんはつぐみの質問から逃げようとはせず、グッと眉間に力を入れながら、  「……私は、つぐみ先輩がアイドル活動をやるよりも前から、ソフト部で活躍するつぐみ先輩に憧れてました。 部活体験の時に、優しく接してくれたり、部活と勉強の両立ができるか不安だった私に対して、真摯にアドバイスしてくれたり……」  欅さんの声に力が込もる。俺とつぐみは、ただ黙って彼女の声に耳を傾けた。  「……でも、アイドル活躍を始めた後の先輩も、キラキラしてて、素敵だなぁって思って……。 ソフト部のつぐみの先輩も、WINGSのつぐみ先輩も、私にとってはどっちも憧れなんです……!」  だから……と、言葉を続ける欅さん。しかし、その声は次第に震えを伴い、彼女の目からはポロポロと涙が溢れ出て来ていた。  「だから、私は……どっちもやって欲しい、です……! 我が儘だって分かってるけど、でも……私は、先輩がソフトボールかアイドルかを諦める姿なんて、見たくない……!」  遂には、欅さんはつぐみの身体に顔を埋めてわんわんと泣き出してしまう。いつもはくっつかれることを嫌がるつぐみも、今回は優しく欅さんを抱き止め、そっと頭を撫でていた。  「ありがとね、ももっち。 私のこと、一生懸命に想ってくれて」  そう言って微笑むつぐみだが、依然としてその瞳は悲しみに濡れたままだ。と、程なくしてその瞳が俺の方へと向けられる。  「……翔ちゃんは、どう思う?」  ……来た。  真剣な眼差しを向けるつぐみを、俺は真っ直ぐに見据えた。俺は、俺なりの答えを彼女に提示してやらねばならないのだ。 ふぅ、と一呼吸置いた後、俺は言った。    「それは……俺が答えを出すべきものじゃない。 つぐみが、自分自身で結論を出すべきだ」  ザアッ、と木々が揺れる。耳の横を滑り落ちていく汗の粒を拭いもせず、俺は真っ直ぐにつぐみを見つめたまま言葉を繋げた。  「でも……これだけは言っとく。  俺は、つぐみがやりたいと思うことを全力で応援するために、今までこうしてアシスト業をやってきた。 だから、たとえ周りから非難されようと、つぐみがぶっ倒れようと……俺は、お前の願いを叶えるために全力でサポートする! そう決めてるんだ!」  「……っ!」  つぐみの目に溜まっていた涙が、スウッと頬を伝って溢れた。木々の間をすり抜けてきた赤い光が、キラキラとその跡を照らす。  ソフト部かアイドルかなんて関係ない。俺は、つぐみの身体ではなく、つぐみの想いを最優先事項として考えていた。自制を促すことが間違っているとは言わない。むしろ、それが大人としての正しい在り方なのだろう。  ……けど、俺はそれに納得がいかなかった。子供が怪我をするのを恐れて、子供を家から出さないようにしてるのと一緒だ。そこに、本人の意思は介在しない。  「お前が本当にやりたい事は何なのか、どうしたいのか……それを自分でちゃんと考えるんだ。 俺や欅さんは、お前が出したその答えを応援する。 ……俺たちは絶対、お前の味方だから」    「私も……私も応援します! 私は絶対、絶対、絶~っ対!! つぐみ先輩の味方ですからっ!」  「翔ちゃん……ももっち……! ありがとう……二人が来てくれて良かった……!」  木漏れ日が、目尻に涙の粒を乗せて笑うつぐみを照らす。影は東側へと飲み込まれ、神社の一帯は明るくなっていた。わんわん泣きながらつぐみに抱きつく欅さんの姿を横から見つつ、俺はつぐみと共に笑みを溢すのだった。  ~~~  「……愚者の旅路は、こうしてwheel of fortuneの軌跡へと繋がった。 彼女はもう、惑でありながら惑わない……」  彼女は、森の奥深くから翔登たちの様子を見守っていた。手に握られた三枚のカードは、『愚者』『運命の車輪』と、順にその手を離れ、消えていく。最後に残った一枚を片手に持ったまま、彼女は視線を鳥居の方へと動かした。その影には、ユニフォーム姿で佇む、茶髪の少女の姿があった。彼女はふぅ、と息をついた後に、人知れず神社を後にしていった。唯一、カードを持った彼女だけが、その背中を目で追っていた。  手に握られたカードには、逆さまになった男の絵と、『吊るし人』の文字。  ~~~  「━━━━明日はいよいよソフト部のインターハイ初戦だ。 そういう訳だから、俺たちも応援に行くぞ!」  時間というものはあっという間に過ぎるものらしい。気がつけば、7月ももう終わりに近づいており、夏休みも目前であった。  そんな夏の最大のイベントとして、各部のインターハイが幕を開ける。汗水流して特訓してきた運動部員たちが、その成果を大会で発揮するのだ。そして……我らが和田辺 つぐみ、篠田 夏燐の二人が所属するソフトボール部も、大会に出場する。アイドル研も、明日は練習を休んで皆で応援に行こうということになったのだ。  「試合は確か、10時半からだったわよね」  「夏燐さんは先発で出るとのことでしたし、楽しみです……!」  「ひょっとしたら、つぐみちゃんの出番もあるかもしれないね~」  「ベンチのつぐみ氏に手を振る準備しとかねば」    「そうだな……つぐみも、ベンチで皆と一緒に応援してるだろうし」  あの日、つぐみが出した結論は「両方とも諦めない」だった。  スタメンから外されることはもう仕方がない、と、そこは案外あっさり譲ったつぐみ。  でも、せめて部員として試合には参加したい。もしもの時には交代で出られるよう、最低限の準備はしたい。だから……やっぱりソフト部の練習には参加する。加えて、WINGSの方にも迷惑をかけないよう、歌と振り付けはせめて覚えた上で合流できるようにもしたい。それが、つぐみの答えであった。  ハッキリ言って、一番大変な選択だと思う。ソフト部と、WINGS……そのどちらもを背負い、かつ大会という大舞台に挑まなければならないのだから。  でも、つぐみはそれをやりたいと言った。その為に必死になって練習をするとそう言ったし、実際、今日までその努力を絶やさなかった。本当に……つぐみはすごい奴だ。ここまで来た以上、俺は、つぐみの成し遂げたいことを全力で応援してやらねばならない。……いや、応援してやりたいと思っていた。  「よし、準備も整ったことだし、ひとまず解散だな。 皆、明日は遅れないように会場に集合して━━━━」  ━━━━ピロリロ、ピロリロ♪  突然、俺のスマホの着信音が鳴り響いた。何だよこんな時に……と小声で悪態を付きながら、スマホに表示された名前を見て、俺は思わず「え……?」と声を漏らした。  「……もしもし?」  皆が見つめる中、静かに電話に出る。受話器越しに聞こえる声は、つぐみのものだった。彼女の声は、どこか不安を帯びたように緊迫していた。  『も、もしもし翔ちゃん? ……ねぇ、そっちにかりりん来てない?』    「は? いや、来てないけど……。 ……てか、ソフト部の部員はもう試合会場近くのホテルに到着してる筈だろ?」  試合は、俺たちの学校からかなり離れた所にある、県立の運動公園で行われる。つぐみを始めとしたソフト部部員たちは、前日のうちに近隣のホテルにバスで向かい、ホテルに宿泊する手筈になっているのだ。一緒にバスに乗って向かったのなら、少なくとも俺たちの所にいる訳がないだろう。  「ホテルのどっかに居るんじゃないのか? アイツ、すぐフラフラどっか行ったりするし━━━━」  『━━━━居ないの』  「…………え?」  つぐみの声は、電話越しにも分かるぐらい震えていた。    『居ないの! 自由時間前の最後のミーティングで点呼を取った時に、かりりんだけ返事がなくて……皆で探したけど、見つからなくて。 それで、私とかりりんが泊まる筈だった部屋を見たら、かりりんの荷物だけ無くなってて……!』  「お、おい……それって……!?」  スマホから漏れる声を聞いていた皆も、唖然としていた。胸のザワつきを核心的なものにするかのように、つぐみの一言が放たれる。  『かりりんが…………試合会場から、逃げちゃったの……!』 ~~~  試合当日は、心地よい快晴であった。薄い雲が太陽に時折かかるので、比較的暑くもないし、湿度も高くない。試合する側にも、応援する側にも、良好な天候と言えた。  『ウウウゥゥゥーーーーー!!!』  試合開始のサイレンが聞こえてくる。観客の声やメガホンを叩く音も、それに混ざって響いてきた。  「始まったな……じゃあ、後は俺に任せてくれ。 皆、ちゃんとつぐみの事応援してやってくれよな」  そう言って、通話を切った。受話器越しに響いていた歓声とサイレンの音が、ピタリと止んだ。途端に、アイドル研の部室は静寂に包まれる。快晴の空から降り注ぐ太陽は、部室の窓から鋭角で入り込んでくるのみで、部屋の奥の方の暗さとくっきりコントラストを浮き立たせていた。  「……試合、始まったみたいだぞ」  「……そっか」    椅子の背もたれに肘をつき、ぼんやりと青い空を眺めながら、夏燐は答えた。いつも、ソフト部の練習に真剣に打ち込んでいた彼女からは想像できないほど、素っ気なくて簡素な返事だった。  「なぁ……どうしてこんなこと……」  「……決まってんじゃん。 つぐみを試合で登板させてあげる為、だよ」    「そういうことを言ってるんじゃない! 何で……何でこんな方法しか取れなかったんだよっ!」  「つぐみをスタメンから外させたのはアタシだよ? それが手の平返して「やっぱつぐみ出させま~す」なんて出来ると思う? 部長として示しつかないでしょ、そんなの。  ……ま、今こうやって大会初日すっぽかしてる時点で、威厳もへったくれも無いけど」  ハハハッ、という乾いた笑いが虚しく響く。窓の側を向く夏燐の表情は、こちら側からは窺えなかった。  「……何となくだけどさ、分かったよ。 メンバー皆の……自己犠牲ってヤツの気持ち」  「え……?」  「自分の呪いが発露した途端、周りから距離を取って孤独になろうとする。 憎まれ役を買って出て、それでも正しい人であり続けようとする。 友達の後を追って、自分も呪いによる死を受け入れようとする。 以下諸々。  ……アタシさ、こーゆうのを今までずっと間近で見てきて……それでも分からなかったんだよ。 なんでそこまでして頑張れるのか」    徐に椅子から立ち上がり、振り返る夏燐。逆光が、彼女の表情を影で包んだ。  「でも、分かった。 自己犠牲は、単なる自己欺瞞なんかじゃない。 自分を犠牲にしてでも守りたい何か……大切にしたい誰かの為。 そのために、皆あんなに頑張れてるんだね」  「……皆が皆そうじゃないさ。 誰もが皆強い訳じゃない。 俺も、お前も……」  「はははっ! 自己犠牲の代表みたいな奴に言われたくないっての」  夏燐は笑うが、俺は納得がいかなかった。自分は別に、自己犠牲の代表選手になったつもりはない。……それに、夏燐はさっきから、俺からの質問をはぐらかしてばかりいる。  もう一度、改めて夏燐を問い詰めてやろうとした時だった。  「私にとって一番大切なのはさ……つぐみを先制させてやることなの」  「先、制……?」  「そ。 先制、リード。 自分よりもつぐみを優先して、傷つきやすいあの子のことを誰よりも大切にしてやること。 つぐみの幸せを願う気持ちだったら、アタシ、翔登にだって負けないつもりだからさ」  「優先って……それこそ、ただの自己犠牲じゃないかっ!」  「そーかもね。 ……でも、アタシは今の今まで気づかなかったんだ。 自分が無意識のうちに、つぐみのことを優先してるって事実に。 つぐみの幸せが、アタシの幸せだって……そう言い聞かせるみたいにしてた」    気丈に振る舞っていた夏燐の声が、僅かに震えを伴っていた。夏燐は、目線を足元に向けながら続ける。  「けど……今回は、全然上手くいかなかった。 アイドルをやりたいっていうつぐみの気持ちを尊重してあげたつもりが、逆に傷つける結果になった。 それで、やっぱり試合に出してあげようとしたら、こうなった。 ……翔登はちゃんとつぐみの気持ちを理解してあげられてたってのにさ、アタシだけ空回りして……本当、何やってんだろうね」  ……きっと、夏燐は不器用なだけだったのだろう。彼女なりにつぐみを大事にしてやろうとした結果が、裏目に出てしまっただけなのだ。夏燐がつぐみに対して放ったという、あの罵声。その時、夏燐は何を思っていたのだろうかと考えると、いたたまれない気持ちになる。彼女はただ、つぐみを守ってやりたかっただけなのだ。  「…………」  どうすれば良いか分からなかった。いつもなら、相手の間違いに気づき、それを叱ってやれるのに。今回ばかりはどうしても夏燐を責める気になれなかった。解決策すら見出せず、ただ、悲しそうに笑う夏燐と対峙して、口をパクパクと動かすだけしか出来ない。そんな自分が、情けなかった。  「……ゴメンね、アタシの我が儘に巻き込んじゃって。 ほら、アタシのことはもういいからさ、早いとこつぐみの応援行ってあげなよ。今ならまだ間に合うっしょ?」  「でも……」  「つぐみには、翔登が必要なの」  ハッキリと、夏燐はそう告げた。それこそ、確固たる意志がそこにあるかのように。  「お願い……つぐみの側に居てあげて。 今、あの子の心の支えになってあげられるのは、アンタしかいないんだからさ」  「そんな事ないだろ! お前だって、つぐみの心の支えで……」  「いいから! 早く行ってこいよ!! もうアタシにかまけてないで、つぐみの所に━━━━」  ━━━━ピロリロ、ピロリロ♪  「……え?」  電話だった。机に置いていた俺のスマホから、軽快な着信音が鳴り響く。険悪な表情のまま、二人同時に画面を見た。そして、二人同時に驚愕した。  「つぐみ……!? え、なんで……!?」  目を疑った。つぐみは今、試合の真っ最中。電話をかける余裕なんてある筈がない。それなのに、どうして……!?  「……」  無言のまま、夏燐と目を見合わせる。俺が恐る恐るスマホを手に取ると、夏燐は電話口からの声が聞こえてくるぐらいの距離まで顔を寄せてきた。  「……もしもし?」  『もしもし、翔ちゃん? ……ゴメンね、急に電話して』  電話の向こうの声は、間違いなくつぐみだった。彼女の声に混じって、ノイズのように歓声や拍手の音が聞こえてくる。……やっぱり、今は試合の最中らしい。  「お前、何やってんだよ!? 今試合して━━━━」  『━━━━今さ、そっちにかりりん居る?』  俺の声に被せるように、夏燐がそこに居るという事を見抜くつぐみ。夏燐は一瞬ギョッとしていたが、まぁ、つぐみが知っているのも当然といえば当然だ。  だって……夏燐を探して見つけてきて欲しいと俺に頼んだのは他でもない……つぐみだったのだから。  『今、一年生の子が先発で出てくれてるんだけどね。 流石にずっと投げさせる訳にもいかないから、四回の表から私が出ることになったんだ。 で、今ちょうど三回裏に入ったところだから、私の出番まではあとちょっと時間があるの』  「いや……だからって、試合中に電話するかよ普通!?」  『あはは……ゴメンね? でも、どうしてもかりりんに言っておきたいことがあったから』  電話の向こうで、「つぐみ先輩! もう2アウトですよ、次の回始まっちゃいますよ!」と喚く声がする。多分、欅さんだろう。しかし、つぐみが電話を切る様子は全くない。はぁ……とため息をついてから、俺はスマホを耳から離し、隣にいた夏燐の耳に乱雑に押し当てた。  「うぇっ!? ちょ、ちょっと翔登……!」  「……お前と話したがってるんだ。 だから、お前が相手してやれよ」  「……」  睨まれるが、動じない。これは、道を見失って途方にくれていた夏燐を救ってやる為でもある。……つぐみの言葉が、きっと彼女の道標となってくれる筈だ。  『……かりりん?』  「……あ、えと……何?」  『いやいや、「何?」って言われても……かりりんの方から言わなきゃいけないこと、あるんじゃないの?』  まるで姉のように、夏燐を諭すつぐみ。いつもの二人とは違う空気というか、形勢が逆転しているような、そんな雰囲気だった。  「……ごめん。 私、逃げちゃった。 つぐみの気持ち理解せず、自己欺瞞で試合放っぽりだして……皆に迷惑かけた」  『……でも、それは私のためだったんでしょ? スタメンから外れた私を、試合に出せるようにって』  「うん……だけど、そのせいで私━━━━」  『……ありがとう、かりりん』  「……え?」  予想外の言葉に、目を丸くして固まってしまう夏燐。隣で聞いていた俺も思わずビックリしてしまったが、一方で、つぐみらしいな……なんて思ったりもしていた。つぐみは、落ち着き払った声で続ける。  『そりゃあ、かりりんがやったことは良くないかもしれないけどさ……それでも、かりりんが私の為を想ってやってくれたんなら、私はそれに感謝しなきゃ。 今までだって、私、かりりんにいっぱい支えて貰ってたもんね』  「そ、んな、事……」  『……あのね、かりりん。 私、もう昔みたいに弱くないよ。 皆から貰った力を、私自身の力に変えて、私は一歩前に踏み出して見せるから。 ……だから、見てて』  先輩!! と、今までで一番多きな声でつぐみにお呼びがかかった。どうやら、三回裏の攻撃が終わり、守備に入るらしい。つまり、いよいよつぐみがマウンドに上がる時が来たという事だ。  ズザザザ……という音が電話口から響く。つぐみをはじめとした部員たちが、ゾロゾロとベンチから出ていっているのだ。通話は、その音の途中でプツンと途切れた。  「……っ。 くっ……うっ、ううう……」  ボロボロと、夏燐の目から涙の粒が零れ落ちる。確か、つぐみと夏燐は、共にピッチャーだった。夏燐が抜けたことで、必然的にメインのピッチャーがつぐみになったのだ。……これが、夏燐の行動の結果。しかし彼女は、こんな形でつぐみを試合に出させてやろうなんて、本当は思っていなかったに違いない。彼女は、自分を犠牲につぐみを救ったのだから。  そうして、救われた側のつぐみは、ちゃんと夏燐に「ありがとう」と言った。怒るのではなく、感謝を述べた。その言葉は、夏燐の奥底に閉じ込められていた『後悔』という感情を呼び起こし……そして、同時にその感情を癒してくれた。夏燐は、きっと救われたはずだ。  「……なぁ、夏燐」  机に手をつき、すすり泣く夏燐の傍に歩み寄る。夏燐の思いを……そして、つぐみの思いを、俺は受け取ってやらねばならない━━━━    ~~~  「……俺だって、いつも器用に人付き合いをこなしてる訳じゃない。 ぶつかって、失敗して、後悔して……それを何度も繰り返してる」  プレイボール! という主審の声がマウンドに響く。クイッと帽子を下げて、つぐみはキャッチャーミットに意識を集中させた。球は勿論……直球ストレートだ。  「……でもさ、人はそれを繰り返す中で、最適解を見つけていくんだと思う。 俺たちはまだ未熟なんだ。 失敗して当然だよ」  「でもっ! そのせいで誰かが傷つくのは!? 自分のせいで悲しんでる人の前で、「今のは失敗したからもう一回」なんて出来る訳ないでしょ!!」  轟! と唸るような音と共に、ボールがミットへと吸い込まれる。つぐみの気迫は、いつも以上のものだった。「ストライーク!」という審判の声と同時に、つぐみは額の汗を拭った。  「ああ。 だから、失敗したら謝らなきゃいけない。 傷つけたことを謝罪して、許し合って、また試行錯誤して……それも全部含めて、経験なんだ」  大きく一回転させた腕から、強烈な球が撃ち出される。バッターボックスに立つ相手選手は、目を見開いたまま動けずにいた。「S」のランプが二つ灯り、応援席の熱気も高まっていく。  「夏燐……お前は、ちゃんと謝れたじゃないか。 自分の非を理解して、認知して、「ごめんなさい」って言えたじゃないか。 だからこそ、つぐみはお前のことを許したし、感謝さえしてくれたんだ。 ……それで良かったんだよ」  「翔、登……」  カァン! という音がして、つぐみはハッとした。打球は、まさに跳ね返されたかのように直線の軌道を描きながら、つぐみの左側を走り抜けていく。  しかし、すぐさま彼女が振り返った時にはもう、ズザザザァ……! という音は止んでいた。桃子が、一二塁間を抜けたライナーに身を呈して飛び付いたのだ。体の前面を土にまみれさせながら、桃子はつぐみの方を見てニッと笑った。ボールは、ちゃんと桃子のグローブに収まっている。「S」のランプが消え、代わりに「O」のランプが一つ灯った。  「ただ……一つだけ言いたいことがある」  つぐみは、大きく深呼吸をした。指先や、足の震えを外へと押しやるように息を吐き、意識を集中させる。頭の中で、大切な親友の笑顔を思い浮かべながら。  「夏燐……お前は、つぐみに構いすぎなんだよ。 アイツも言ってただろ? 『もう昔みたいに弱くない』って。 ……アイツだって日々成長してるんだ。 だから、"先制"なんて言ってないで、俺たちもつぐみに追いつきに行こうぜ」  ビシュッ!! と風を切って、つぐみの腕からボールが放たれる。負けじと打者も迎え撃とうとするが、振るわれたバットはまさに空を切って一回転した。その間に、ボールは勢いよくキャッチャーミットへと収まる。「ストライーク!」の声と同時に歓声が上がった。振り向いたつぐみの顔から、笑みが溢れた。  彼女の自己最速球速記録が更新されていた。  ~~~  「……先制、か」    フッ……と笑いながら、夏燐は天井を見上げた。明るく照りつける日射しは次第にその照射範囲を広げ、俺と夏燐の足元にまで及んでいた。  「そっか……アタシ、母親ヅラしてたんだ。 そのくせ、つぐみがもう一人立ち出来るぐらいに成長してたんだって事に気づかなかった。 ……馬鹿だな、アタシ」    夏燐の笑いは、まだ自嘲の笑いのままだ。でも……きっと肩の荷は下りたんだと思う。「つぐみのため」という、自分でかけた呪縛から解き放たれた夏燐は、ようやく自分自身へと目を向けることが出来るだろう。そうすればきっと……その先で待っているつぐみと、本当の意味で肩を並べて歩んでいける筈だ。俺は、夏燐が自身のために生きていくのを、心から応援してやりたいと思った。  「なんか、スッキリしたよ。 本当言うとさ、今までずっと自己矛盾というか……モヤモヤしたのを抱えて生きてたから。 つぐみを優先することが自分の望みだって言い聞かせながら、心のどこかでは、それを望まない我が儘な自分が居て、それで、結局何が自分の本心なのか分からなくなって……」  「……でも、もう目は覚めただろ?」  「……まぁ、ね。 自分を犠牲にして先制させてあげたとしても、あの子は喜んだりしない。 私は、私のままあの子とぶつからなきゃいけなかったんだ。 ……それを受け止めてくれるぐらい、あの子は……つぐみはもう強いんだって分かったからさ」  ニッと歯を見せて微笑む夏燐。……うん、これは"いつもの"笑顔だ。モヤモヤの落とし所を見つけて、夏燐はようやく元の自分に戻れたようだった。  「……ねぇ、翔登」  目線をつま先へと落としながら、夏燐が呟く。  「ついで……って訳でもないんだけどさ。 ……私のモヤモヤ、もう一つだけ解消させてくんない?」  どういう意味だ? つぐみの事に関して、まだ何か言い残したことがあるのだろうか? ……ともあれ、俺がここで首を横に振る筈もなく。  「あぁ、何がモヤモヤして━━━━」    ━━━━言いかけた俺の唇が、夏燐の唇で塞がれた。    「……っ!?」    柔らかい感触と、重ねた唇の隙間から漏れる熱い息。ゼロ距離の位置に、夏燐の閉じた瞼がある。あまりにも唐突な出来事に、俺は目を見開いて硬直した。  「んっ、ちゅっ…………ぷはっ。  ……ふふっ、これで私のがつぐみより先制、ってね♪」  「い、いや……おまっ、お前……な、なんで……!?」    訳が分からない。思考がまとまらない。俺は、紅潮する顔を隠すような格好で、触れた唇に手の甲を押し付けながら狼狽えていた。対して、夏燐はいつも通りの余裕そうな表情。……いや、でもよく見ると、耳が赤く染まっているようにも見える。  「……私さ、ずっと前から翔登のこと好きだったんだよね」    「なっ……いや、でもそんなの……っ!」  駄目だ……! と、反射的にそう考えてしまった。それは、夏燐の思いに答えることは出来ないということ。俺には、俺を慕って付いてきてくれている5人のアイドル達がいる。俺にとって皆は、大切な存在だから。……けど、それは夏燐の気持ちを蔑ろにする理由になるものなのか? 俺は一体、どう答えれば━━━  「……やっぱりね。 アンタには、つくみや詩葉、音色、舞、絵美里が居るもん。 アタシは、翔登の恋人になるなんて出来ない」  「ま、待てよ! 誰もそんな事言ってないだろ……!」  「……じゃあ、OKしてくれる?」  「それは…………」  胸が押し潰されそうになる感覚に顔をしかめながら、俺は長いこと黙って……そして結局、首を横に振った。クスッと、夏燐の笑う声が聞こえた。  「やっぱりね。 大丈夫だよ、全部分かってたことだからさ。 ……けど、ちゃんと言えて良かった」  振られた立場であるはずの夏燐は、何故か清々したような表情で笑っていた。    「告っといてなんだけどさ……私はやっぱり、翔登にはあの5人のうちの誰かと結ばれて欲しいなって気持ちがあるんだよね。 さっき『自分のことも大切にしろ』って言われた手前だし、矛盾してるって思われるかもしんないけど……それでもさ、アタシにとってWINGSの皆は、それぐらい大事なんだよ」    「でも、それじゃあお前は……」  「……ねぇ、ちょっと嫌な話するけど、良い?」  夏燐の表情が真剣なものに変わる。その雰囲気に圧され、俺は静かに口を閉じてゴクリと唾を飲み込んだ。  「アタシは、翔登のこと信じてる。 皆のことも信じてる。 ……けど、もしも『聖唱姫の呪い』のタイムリミットが来てさ、その時に"全員を助けられる方法"が見つかってなかったとしたらさ……その時は、翔登が5人の中から誰か1人を選んで、救ってあげなきゃいけない訳じゃんか」  「っ……!」  見ないようにしていた現実。考えることはしながらも、その先をどうしても考えたくなくて避けてきた真実。それが今、夏燐によって眼前に突きつけられる。息が詰まるような感覚に、俺は思わず苦い顔をしていた。  「誰か1人を生かす……それって要するに、その子を運命の相手として認めるのと一緒じゃん? だったらさ、私が翔登の運命の人になっちゃうと、それは誰も救わないことになるよね。 ……救えたかもしれない命を見捨てさせてまで、私は翔登の隣に居たいとは思わない。 そんな事させたら……多分、自分が一生自分を許せないだろうし」  「夏燐……」  夏燐は昔から、冷静な思考が出来るヤツだった。今までもきっと、呪いのことや皆との関係のことを必死に考えてきたのだろう。多分……夏燐は俺に想いを伝える予定なんて全く無かったに違いない。最悪の事態を想定して、たった一人だけでもいいから助けたくて、その為なら、自分の想いをドブに捨てたって構わないと、彼女はきっとそう願ったんだと思う。皆を和ませるムードメーカーであったはずの夏燐の笑顔が、今だけは、悲痛に歪ませられた仮面の顔のように映っていた。  「私は、翔登が好き。 けど、それ以上に……あの子たちに生きて欲しいの。 ……だから、お願い」  夏燐はそう言って、俺の制服の袖を掴んだ。こんなにもしおらしい彼女の姿を見たことは、今までに一度もなかった。  「最後の日……もしも翔登が5人の中から誰か一人を選ばなきゃならなくなったら誰を選ぶのか。 ……それを、決めといて欲しいんだ」  夏燐の声は震えていた。俺は、胸の苦しみに耐えながら夏燐のその声に耳を傾けていた。  「……つぐみじゃなくても良いよ。 アタシは、つぐみの事を第一に考えちゃうぐらいつぐみを大切に思ってるけど、それを翔登にまで強制したりする気はない。 ……アンタが本当に守りたいと思った子を……他を犠牲にしてでも救いたいと思う子を、ちゃんと決めてあげて」  この時ほど、俺は自分の運命を呪ったことは無かった。『零浄化(ゼロ・ジョーカー)』という数奇な呪いによって引き起こされる最低最悪の運命に、俺は吐き気さえ催すほど胸を締め付けられた。  俺には、そんな重荷を背負うことなんて出来ない……そう弱音を吐きたくても、目の前で悲痛に訴える夏燐の姿を見ると、どうしてもそれは憚られた。夏燐が自分自身の想いに決着をつける覚悟を決めたように、俺も……いつかは覚悟を決めなければならないのか……。  ━━━━ピロリロ、ピロリロ♪  スマホの着信音が、重い沈黙を断ち切った。画面には、江助からのメッセージが表示されている。一回表からの試合結果を逐一記録して送ってくれているらしい。今、四回の裏が終わって、2対2の同点だそうだ。  「……そんじゃ、行こっか。 流石に試合には間に合わないかもだけど、ちゃんと皆の所行って謝んないとだし」  今度こそ、夏燐はいつもの様子に戻っていた。ただ……今までにもずっと、その表情の裏に苦しみや葛藤を隠しながら過ごしていたのかと考えると……夏燐の笑顔が、笑顔でなくなっていくような、そんな錯覚を感じてしまう。  「あ、言っとくけど……今の話とかは全部ナイショだかんね? 特に、WINGSの皆には」  机に置いてあったスーツケースのようなデカい鞄を持ち上げて、夏燐は部室を後にしようとした。呪縛が解き放たれたかのように、空気の緊張が解ける。その勢いのまま、俺はもう喉を震わす準備を終えていた。  「……夏燐ッ!」  無言で立ち止まる夏燐。静かなその背中に、俺は━━━━    「……ありがとう。 お前も、めちゃくちゃ勇気出して言ってくれたんだよな。 俺自身、ちゃんと嬉しかったし、お前の覚悟もちゃんと伝わったからさ。 ……だから、ありがとう」  言葉で飾ろうとはせず、ただ、ありのままの思いを伝えようと思った。色んな感情が、ゴチャゴチャになって俺の中を渦巻いている。……けど、多分それは夏燐も一緒だ。だから、有耶無耶になる前に、ちゃんと俺自身の気持ちは伝えておこうと思った。  「…………そりゃこっちの台詞だよ、馬鹿」  ボソッと呟くような声が、夏燐から返される。そうして、示し合わせたかのように、二人して笑みを溢した。  「ほら、早く行くよ翔登! つぐみの応援」  「……ああ!」  ダッ、と駆け出す俺たち。鍵の開けっぱなしになった部室は、眩しいくらいに日差しが入り込んで……そして、キラキラと輝いていた。  ~~~  会場に着いた時には、もう12時を回っていた。江助たちが居る無料の観覧席へ駆け込む俺と夏燐。驚くことに、試合はまだ続いているらしかった。  「翔登さん、夏燐さん! 間に合ったんですね……!」  「試合は!? どうなってんのっ!?」  「2対2の同点のまま。 今は延長戦の最中で、十二回裏、聖歌高の攻撃中」  「多分、もうすぐつぐみさんに打順が回ってくるはずよ」  詩葉の言葉通り、三振してベンチに戻っていく打者に代わって、つぐみがバッターボックスへと入っていった。ここからだと遠すぎて、つぐみの表情までは窺えないが、それでも、全身にピリッと力が込もって緊張している様子は読み取れた。……あるいは、惑聖恋(マッドセイレーン)の力によるものかもしれないが。  「さっき、7番打者がヒット打って二塁に出たから、もしここで和田辺が打ってランナーが返れば、逆転サヨナラだ……!」  「でも、もうアウト2つだし……うぅ、緊張するよぉ~……!」  まるで祈祷でもするかのように、皆が力を込めてメガホンを振っている。俺も加わろう……! そう思ってメガホンを手にした時だった。スッ……と夏燐が席の通路側へと出た。彼女は、手にしたメガホンを顔の前まで持っていくと、キョトンとしながら見つめる俺たちの前で、スゥゥ……と息を大きく吸い込み━━━━  「つぐみぃぃぃぃぃ!!! 打てぇぇぇぇぇ!!!!!」  応援席の視線が、一気に夏燐の方へと集まった。吹奏楽部や、応援団の声すら掻き消すほどの声。その声は、球場全体を揺るがすほどの勢いで響き渡り━━━━  ━━━━その時、バッターボックスに居たつぐみが、確かにこちらを向いた。  つぐみは、大きく頷くような動きをしてから、グッと力を込めてバットを構え直した。審判が手を上げ、相手のピッチャーが構える。ブルンッ、と勢いよく回転させた腕から放たれたボールは、真っ直ぐにミットへと向かっていく。皆が固唾を飲んで見守る中、つぐみは、初球からバットを大きく振るった。吸い込まれるボール……風を切るバット……そして━━━━  カキィィィン!! という快音が、球場一帯にこだました。    ~~~  試合が終わり、観客や関係者らがゾロゾロと球場を後にしていく。その列に混じって、聖歌高のソフト部員たちが球場の外へと出てきた。  皆が疲弊しきった顔でバスへと向かう中、ただ一人、つぐみは、外の売店前で待っていた俺たちの存在に気付き、顧問の先生と何か言葉を交わしてから、すぐに俺たちのもとへと駆け寄ってきた。  「皆、来てくれてありがとうね……!」  「お疲れさま~! 今日のつぐみちゃん、とってもフォルテッシモだったよ~♪」  「最後のサヨナラ二ランヒットは爽快だった。 まずは初戦突破おめでとう」  「うん! 皆ありがとう! ……それで…………」  チラ、と、つぐみが奥の方を覗き込む。俺のちょうど真後ろには、気まずそうな顔をして俺たちの影に隠れる、ソフト部部長の姿があった。  「……ほら、行けよ」  「え、ちょっ……!?」  強引に、夏燐の腰を押してやる。無理やりつぐみの前に対峙させられた夏燐は、僅かに顔を赤くしながら、恨めしそうに俺の方を睨んでいた。  「……かりりん」  つぐみが呼び掛ける。それで、夏燐は嫌でもその場から引き下がれなくなった。彼女の存在に気づいたソフト部部員のうちの何人かが、足を止めてこちらへと注目している。その視線も、夏燐の居心地を一層悪くさせているようだった。  「えっと、その……ア、アタシ……」    「……届いたよ、かりりんの応援」  ゴニョゴニョと言い淀む夏燐の声に被せるようにして、つぐみが囁く。  「かりりんは、やっぱり私のことみててくれたんだって思った。 私のこと考えて、私のために……不器用だけど、支えてくれてるんだって」    「……不器用は余計でしょ。 ま、自覚はあるけど」    「えへへ……でも、その方がかりりんらしいなって思うしさ」  二人は、ほぼゼロ距離で見つめ合っていた。そこには、誰の介入も許さないような、二人だけの空間が形成されているようだった。  「……私、先に引退しようと思うんだ」  「えっ……?」  唐突に告げられた言葉に、夏燐のみならず、俺たちも驚きの声を挙げる。  「かりりんのお蔭で、私は高校三年生の最後の夏に、大会でマウンドに立つことが出来た。 だから、もう悔いはない。 かりりんや島田先生の言う通り、これからはWINGS一本に集中しようと思う。 それで……ソフト部の残りの試合は、かりりんと皆に任せようと思ってさ」  「……それが、つぐみの答えな訳ね」  うんっ! とつぐみがにこやかに頷く。  夏燐や、顧問の先生の言いなりじゃない……つぐみが自身で考えて、自身で出した結論。それは、今までずっと夏燐らに支えられてきたつぐみの、ある意味での成長と言えるだろう。その決意を大事にしてやりたい。夏燐と俺たちの思いは、きっと一致していたと思う。  「……分かった。 つぐみが今日投げてくれたみたいにさ、アタシもちゃんとチームの中心に立って頑張るよ。 今度はアタシが、ソフト部の皆をつなぐ。 だから、つぐみはこれから思いっきり、アイドルやりな」  「うん……ありがと、かりりん……! ……うっ、うう……」    涙を堪えていたつぐみだったが、この時、瞼の内から漏れ出た一滴を皮切りにして、つぐみの涙腺は決壊した。  「うううぅぅ!! かりりん……かりりぃん……! うわあぁぁん!!」  「ちょっ、何で泣くの! 別にもう泣くトコなんて無いでしょーが!」  「分かんない……分かんないよぉ……!!」    「ったく……グスッ……本当につぐみは、まだ子供なんだから……うぐっ、うううっ……!」  そんな事を言いながら、つぐみの涙に誘われてモロにもらい泣きする夏燐。こうして見ていると、二人は完全に、純粋で無垢な子供みたいだ。それも、固い絆で結ばれた、姉妹のような……。    「……ねぇ、翔ちゃん」    一頻り泣いてから、つぐみが真っ赤に腫らした目をこちらに向ける。突然名前を呼ばれて、俺は「えっ?」という間抜けな声をあげた。  「……ありがとうね、かりりんを呼んできてくれて。 二人がどんな話したのかは分からないけど……でも、多分翔ちゃんがかりりんのこと救ってくれたんだろうなって。 翔ちゃんのおかげで、かりりんがこうして戻ってきてくれたんだしさ」  「いや、俺は別に…………」  はにかみながら視線を逸らしたその先に、夏燐の唇があった。突如、あの柔らかい感触が口元に蘇る。ハッとして口を抑えるのと同時に、夏燐が言ったあの言葉がフラッシュバックした。  『最後の日……もしも翔登が5人の中から誰か一人を選ばなきゃならなくなったら誰を選ぶのか。 ……それを決めといて欲しいんだ』  (この5人の中から、誰かを……)  ぐるり、と周囲を見渡す。キョトンと首を傾げる、5人のアイドル達。もし、俺がこの中から一人を選びとるとするならば、それは一体誰なのだろうか。疑念と不安、それらが渦を巻きながら胸の奥に重くのしかかる。キョトンと小首を傾げながらこちらを見る5人の視線が刺さる。俺は……夏燐の残した最後の願いを、ちゃんと聞き届けられるのだろうか。  試合会場は、すっかり夕暮れの赤に染められている。焼けつく斜めの日射しは、苦い顔をする俺の心までジリジリと焦がすかのようにじんわりと降り注いでいた。  END
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