治療魔法でも癒やせない君の心11
大島さんが停学になってから、ちょうど一週間になる。私、綾瀬桃華が大島さんにヒステリーを起こしてしまった、数日後だ。
いつもなら私の後ろの席で、恋塚君と大島さんが馬鹿みたいな話をして、私の休み時間にちょっとした安らぎをくれるはずだった。だけど今はそれもなく、恋塚君もどこか退屈そうにしている。私は変わらず、ひとりぼっちだった。
その間に、事件らしい事件といえば、まあ、起こっていた。
それは告白だ。大切な想いを伝え、上手くいけば幸せを掴むことができる、学生における大イベントだ。
だけど私は既にそれを数十回繰り返していて、正直、またか、という感想だった。知り合って……というか知り合ってすらいないようなものでも、彼らはやってくる。
そんな私だけど、その日に受けた告白もなんでもないようなものだった。好きです、付き合ってください。彼らの貧相なレパートリーには、苦笑するしかない。しかし彼は本気だった。本当に私のことを好いてくれているんだな、とはなんとなく感じた。
だけどそれも断ってしまった。私は男の人が苦手だし、そもそも、私のようなメンヘラと上手く付き合ってくれる人なんて……少なくとも高校生には無理だと思っていた。もしそれができる人がいるならば、それはきっと……。
頭の中に浮かんだピンク色の妄想を首を振って霧散させる。彼にはもう嫌われてしまっただろうから。
「ねえ、綾瀬さん。ちょっと話があるんだけどいい?」
そんな時、私はクラスの女の子に話しかけられた。悲しいことに、私にとってはそうやって普通に話してくれることの方が大イベントなのだ。むしろ、告白よりもテンションがあがっていたかもしれない。
呼び出された先は、今はもう使われていない旧校舎だった。埃の匂いが充満したそこには、五、六人の女の子の集まりがあった。
私は友達が少ない故に、彼女たちの素性を知らなかった。むしろこれをキッカケに友達になれるんじゃないかなんて、そんな夢まで見ていた。
そんな私を迎え入れたのは、嘲笑だった。私としては、またか、という感想しか持てなかった。なんだか最近、こういうの増えたなあ、なんて。いいんだ。囲まれることになんてもう慣れた。そういうものなんだと納得できた。ただ、そういう日はひどく体が痛むから、勘弁してほしいんだけど。
ついこの間も別の先輩に殴られたばかりだ。あの時は特に辛くて、つい冬川先生に愚痴を漏らしてしまった。そして、その後は大島さんと……だめだ、今思い出すことじゃない。
「うーわ、まじで来ちゃったよ」
「ウケるー。ねえ、とりあえずトイレにでもいかない?」
声をかけられたという昂ぶりのままに来てしまったが、彼女らは私を歓迎するつもりはないようだ。それでも私は受け入れる。こんなの、いつものことだから。ただ、心を殺す。
「ねえ、あんたさあ。森田先輩をフったんだっけ?」
「サッカー部のエースが玉砕したって、噂になってるよー?」
サッカー部のエース……確かそんな人もいたと思う。自信はないけれど。
「ちょっと……趣味が合わなかったていうか」
「趣味! あの先輩から告られてまだ求めるの? ていうかー、私も先輩なんだけど。敬語は?」
「あっ、ええと……すみません」
名前も知らない少女は高笑いをした。その陰に隠れ見えした悪意に気付かないほど、私は鈍感じゃない。
「ねえあんたさ、なんか調子に乗ってない? アメリカ人でもカナダ人でも何でもいいけどさあー」
「えっと、私はハーフで……」
「んなことどうでもいいっつってんの。ちょっと目立つ格好してるからっていい気になってんじゃねえっつってんの。分かる?」
壁際まで追い込まれて、どん、彼女は私の頬を殴るように腕を突き出した。それは髪を撫でて背後の壁に強い衝撃を与えた。
殴られてもいないはずの肩がズキリと痛んだ。それを後押しするように全身に痛みが広がっていって、どんどんその痛みは大きくなって。もうどうにもできなくなってしまった。
腕が、手首が、足が、腰が、膝が、首が、これ以上無いほどの痛みを訴えていた。鎮める方法はない。人体に害を及ばさないギリギリの強さの痛み止めは服用している。その上で、この痛みなんだから。
ああ、これ終わったら保健室にでも行こうかな。でもあの先生、私のことよく分かってないみたいだったしな……。
その時、私の脳裏に彼の姿が思い浮かんだ。いつでも私の手を握ってくれて、一緒にいると心安らぐ、それでいて時にはドキっとさせてくれる、そんな人。
「聞いてんの? あんた」
私より少し背の低い、派手なメイクですごんでくる彼女。私はこういう濃いメイクが苦手だった。まるで仮面を被っているようで、その内にある感情が見えない気がするのだ。
心が見えない人は怖い。愛想笑いは嫌い。心の底で馬鹿にされているような気がするから。病気持ちだって同情されているような気がするから。勝手に私を品定めして失望されるのが怖いから。私を……理解しようとなど、してくれないから。
「何とか言ったらどうなのさ。ほら、謝って。知ってる? この子、森田先輩に憧れてたんだよ。それをあんた、アッサリふっちゃって、悪いと思わないの?」
しかし、それより怖いのはそもそも相手を見ようとしない人だ。自分の言い分しか持たず、理解を示そうとしない。そんな人はきっと、私を見てはくれないから。
「はい、水責めの刑ー」
突然、それまでニマニマと笑って見ているだけだった先輩の一人がバケツになみなみと注がれた薄汚れた水を私にむかって振りかぶせた。全く予想もしていなかったために私はもろにそれを被ってしまい、へたり込んでしまった。
「ちょっと、あんたやりすぎ!」
「ウケるー! 綺麗な顔も台無しね」
ああ、最悪。鼻に入った。なんか、臭いし……。一体私が何をしたっていうの。
……なんて、言いはしない。この程度の理不尽、私は散々味わってきた。毎日続く拷問のような痛みと、私を殺そうとする私と戦ってきた。何を今更、この程度で怯むことがあろうか。だが、身体は変わらず痛みを訴えてくる。
「……うっ……くっ……!」
「あーあー、泣いちゃった?」
違う、私は違う。お前らなんかに負けたわけじゃない。ただ、この体が……。くそう、動いてよ。私の体!
そう強く念じても、私は立ち上がることができない。それだけの痛み、苦しみだった。
「どうせ今まで顔だけでちやほやされてきたんでしょ? 言っとくけど、うちらの間じゃそんなの、通用しないから」
ケラケラと笑う彼女たち。大島さん曰く、痛みの使徒たち。そんな姿に、かつての父の姿を思わせる。私を殴って、蹴って、母と喧嘩ばかりして家を出てしまった父と。
「……大島さん」
無自覚にその名前を呼んでしまった。いつだって私の隣にいてくれた人。受け入れて、私のために頑張ってくれた人。男の人なのに、なぜか安心できてしまう人。
そして、私に愛想を尽かしてしまった人。つい先日彼にひどい言葉を浴びせたというのに、この期に及んで私は彼に助けを求めてしまっていた。
だが、ここは旧校舎の女子トイレ。停学処分中の彼が来てくれるわけがない。そうだ、大島さんだ。彼は言っていた。辛い時に辛いと叫べと言ってくれた。ならば、それは今じゃないのか。
私は大きく息を吸い込んで、トイレの外へ向けて勢い良く吐き出した。
「誰か! 助けて!」
「なっ」
ぽかんと、先輩の口が開かれる。怯んだ隙を逃さず私はトイレの外へ向かって痛む体に鞭打って駆け出した。
「襲われてるの! 誰か!!」
「てめえ、ふざけんなよ。戻れよ!」
「きゃあっ!」
しかし、いくらなんでも複数人の力には敵わない。私はあっさりとまたトイレの床に投げ出された。
「本当、いい根性してるよね。でも残念だったね。こんなとこ誰も来やしねえよ!」
長い棒が振るわれるのを視界の隅でとらえた。それはきっと、掃除用のモップか何かだった。しかしそれが分かったところでどうしようもない。私はただそれが私の体を打ち付けるのを待つばかりで……。
だが、いつまで経ってもその瞬間は訪れなかった。私は恐る恐る目を開ける。
「……そんなことない。聞こえた」
鈴を転がしたような、綺麗な声だった。その声を聞いただけで、私は今暴行を受けているという現実を一瞬忘れてしまったほどだ。
「な、なんだよこいつ」
「これ以上やるなら。私が相手になる」
視界に大きく広がったまばゆいほどの銀髪。後姿しか見えなかったからよく分からないが、先輩の打撃を止めてくれたのはその女の子らしい。背丈もそう大きくは見えないのに、立っているだけで他を圧倒する不思議な雰囲気があった。
「あんたには関係ないでしょ。どこの誰だか知らないけど。ちょっとそこどいてよ」
あからさまに気分を害したような女生徒が彼女の肩を押そうとしたその瞬間、何かに弾かれたように跳ね飛ばされた。
「痛みの使徒を。私は許さない」
静かな、だけど確かに怒りの感情がこもった声だった。明らかに異常な事態に混乱したのは先輩たちだけではない。助けられたらしい私でさえも、怯えてしまっていた。
「ワケ分かんないこと言ってんじゃないよ!」
震えた口調で、また殴りかかる別の生徒。でも私から見れば、まるで猛獣を噛みにいくような蛮行だった。
その先輩も、同じように強い衝撃を受けたように後ろに跳ね飛ばされ、体をくの字にまげてうめくことになった。
「ま、待って。もういい、もういいから!」
私はようやく自我を取り戻し、慌てて立ち上がって恐る恐る彼女の肩に手を置いた。何が起こってるのか分からないけど、私は弾かれもせず触れることができた。
制服越しにも感じる体温。その温かさになんだかホッとしてしまった。
「ん……。綾瀬桃華がそういうなら」
えっ、私の名前を知ってる? でも、こんな目立つ……私が言うのもなんだけれど、こんな子なら一度見たら忘れるはずはないんだけどな。
「お前たち。今後綾瀬桃華に手出ししたら。私が許さない。覚えておいて」
「な、なんなのよあんたは!」
「ん。私は、エル。綾瀬桃華の友達」
やっぱり、聞いたこともない名前だ。どこの国の名前だろう……。
「名前なんか聞いてないわよ! こんなことして、絶対に後悔させてやるんだから……!」
もう、先輩たちも意地になっているのだろうか。若干の涙をたたえた瞳で一歩後ずさりをした。その瞬間、この場における勝敗は決まったような気がした。
「ん。何度でもくればいい。そのたびに叩きのめす」
その言葉にさっと顔を青くした先輩は、倒れてる仲間を引きずりながらトイレから去っていった。後には、遠くグラウンドから野球をしている音が空間内に漂ってくるのみだった。
「綾瀬桃華。大丈夫?」
「え、うん……ありがとう。でも、えっと、私はあなたのこと、知らないん、だけど」
振り返った彼女はまるで精巧なお人形のような顔立ちをしていた。きゅっと結ばれた口元が小動物めいていて、まっすぐ私を見つめる大きな双眸は髪の色と同じ、シルバーだった。
「私は天使。あなたの声を聞いて、やってきた」
「天使……?」
「もう死にたいという、あなたの叫びを聞いた。その魂を救うのが、私の役目」
その日、私は天使と出会った。それは今まで見た何よりも美しい、白銀の少女だった。そして、まるで地震のような衝動が私を襲う。ぐらぐら、ゆらゆらと視界が歪み……って、嫌、本当に地震!?
立っていられないほどの揺れの中、天井や床が軋む音を聞いた気がした。
「もしもの時は……楽に、逝かせてあげる」
声は遠く、私は足場を失って宙へ投げ出された。全てがコンマ刻みに動いているような、じれったいほどゆっくりと岩盤が落ちてくる。周囲が崩れていく音がやけにうるさくて、私は耳をふさいだ。
そして、一際大きな岩盤が落ちてくる。ああ、ちょうど私の真上だ。あれはダメだろう。きっと助からない。この異常事態だからか、普段付きまとっていた痛みなんて感じる暇はなかった。
走馬灯なんてものはなく、私は地面に叩きつけられるより先に、意識が遠のいていくのを感じた。
「……大島さんに、ごめんって、言ってないや」
そこに慈悲はなく、強烈な振動と共に意識が覆い隠された。
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