WINGS&アイロミームproject(仮)
絵美里② 『図書室 編』
 朝休みは、図書室にほとんど人が来ないゴールデンタイムである。  というのも、昼休みや放課後といった時間帯は、どうしてもテスト勉強や友達とのおしゃべり(本当はよくないけど)のために図書室を訪れる生徒が多くなってしまうのだ。そうなると、自分のように静かに読書をしたいような人間にとっては都合が悪い。だから、朝早くの図書室は、静かな読書にうってつけの空間……いわば、自分しか知らない最高の世界なのだ。  今日も、いつも通り早起きをして学校にやって来た。朝の7時ということもあって、学校にはまだ教職員や運動部の生徒ぐらいしか来ていない。唯一、野球部とソフトボール部だけはかなりの人数が集まって朝練の準備を始めていたが、特に読書の支障になるようなことは無いだろう。靴を履き替え、ひっそりとした廊下を進み、図書室へと向かう。……今日で、読んでいたライトノベルも一区切りつくだろうし、読み終わったらまた新しい本でも探してみよう。頭の中でいくつか読みたい本のラインナップを考えつつ、図書室の扉へと手をかけた。  ……ガチャッ、ガチャッ。  ……あれ? まだ開いてない?  スライド式の扉を遮る感触に、首を傾げる。昨日、同じ時間に来たときには開いていたのに……。もしかして、今日は図書室が使えないのだろうか?  図書室の扉の前で不思議がっていたその時だった。後ろの方から、トタトタと誰かが走って来る音が聞こえてきた。音に気づいて何気なく振り返った自分は、その目を大きく見開いた。  「はぁっ、はぁっ……すみません! 今開けますので……!」  小走りで、銀色の髪を揺らめかせる女子生徒のことを、自分は知っていた。  彼女は、櫻井 絵美里。ウチの学校を拠点に活躍をしている人気アイドルグループ、WINGSのメンバーの一人である。控えめな感じでありながら、他のメンバーに負けず劣らずの存在感を持つ彼女は、知名度も高く人気も高い。かくいう自分も、WINGSを密かに応援するファンの一人だ。  そんな、天の上の存在とも言うべき櫻井さんが、どうしてここに……? しばらくポカンとしながらも、彼女の右手に握られている図書室の鍵を見て、ようやく状況を理解した。……そういえば、櫻井さんは図書委員なんだった。何回か図書室で顔を合わせている筈なのに、すっかり忘れてしまっていた。  「お待たせしてしまってすみません……。 さぁ、どうぞ」  ガチャン、と音がして図書室の扉が開かれる。当たり前だが、中には誰も人が居ない。正真正銘の一番乗りだ。少し緊張した顔のまま軽くお辞儀をすると、櫻井さんはニコッと微笑み返してくれた。その可憐な笑顔にますます顔を緊張で強張らせながら、自分は図書室の奥側にあるライトノベルコーナーへそそくさと向かっていった。遠くの方では、朝練を開始した野球部の声がこだましていた。  ~~~  それから、数分。お目当ての『ブレードワークス・オンライン』第10巻を読み終え、スッと席を立つ。一時間目の授業まではまだまだ時間があるし、何か別の本でも探して読んでみよう。そう思い、本棚の間を縫うように進んで適当に見て回ることにした。ウロウロと歩いている途中、またしても櫻井さんの姿が見えた。彼女は、返却された本を本棚に戻す作業に没頭しているようだった。  「……」  本を探し歩いていた筈の自分の足は、いつの間にか止まってしまっていた。そうして、作業を続ける櫻井さんの姿に、無意識のうちに釘付けになっていた。  おさげに、眼鏡。いかにも"文学少女"というような地味な見た目。それなのに、どうして彼女はここまで人の心を惹き付けるのだろう? アイドルをやっているから……なんて単純な理由じゃない。もっと特別な理由が……彼女に強く意識を持ってしまう理由があるような気がする。しかし、それが何なのか理解するよりも前に、彼女の方から自分に声が掛けられた。  「あ、あの……どうか、されましたか?」  えっ!? と思わず頓狂な声を上げてしまう。気づけば自分は、随分長いこと櫻井さんを凝視してしまっていた。櫻井さんの方も、それが気になったのだろう。彼女はどこか困惑したような、あるいは少し恥ずかしそうな表情でこちらを見つめていた。  すっかり慌ててしまった自分は、口をパクパクさせ、謎の身振り手振りをしながらその場を誤魔化そうとした。彼女に上目遣いで見つめられれば見つめられるほど、顔が紅潮して頭が真っ白になっていく。散々慌てた末に自分が絞り出したのは、「大変そうだから、何か手伝おうかと思って」という、陳腐な言い訳だった。  「えっ……?」  彼女は一瞬、ビックリしたような表情になった。が、すぐに両手を振って慌てたように、  「そんな! これは図書委員の仕事なんですし、これぐらい心配には及びませんよ……!」  彼女はそう言うが、ここまで来たら自分も引き下がれない。ぎこちなく言葉を詰まらせながら、何とか手伝わせて欲しいと頼み込む。意地になって食い下がろうとするその姿は、きっと滑稽に映っていたことだろう。  それでも、櫻井さんはそんな自分を受け入れてくれた。しばらく空いた間を破ったのは、彼女がクスッと笑う声だった。  「ふふっ……。 あ、その、すみません……そんなに一生懸命頼まれるなんて思ってなくて。 ……私、そんなにか弱く見えますか?」  ふふ、と今度は悪戯っぽい笑みを浮かべられる。なんだか恥ずかしくなって黙り込んでいると、今度は彼女の方から自分に声が掛けられた。  「お心遣い、ありがとうございます。 ……じゃあ、ちょっとだけお言葉に甘えさせて貰っても、良いですか?」  櫻井さんはそう言って、側に積んでいた本の一冊を手に取って差し出してきた。数秒の間ポカンとする自分だったが、やがてその意図を理解すると、自然と笑みが込み上げてきた。本を受け取り、大きくコクンと頷く。それから、二人でクスクスと笑い合った。まだ人気のない図書室の中に、二人の微かな声だけが響いていた。  ~~~  「……そういえば、前にもこんな事ありましたよね」  作業を始めてすぐに、櫻井さんがポツリとそう呟いた。向かい側の本棚で黙々と作業をしていた自分は、いきなりのことに「え……?」と声を出すことしか出来なかった。  「覚えてませんか? ……あ、そっか。 あれは、私がWINGSに入るよりも前の話だから……」  独り言のようにボソボソと呟く櫻井さんを、本棚越しに眺める。「前にもこんな事が……」と彼女は言うが、自分の頭の中には、思い当たる節が見当たらない。仮に櫻井さんがWINGSになるよりも前のことだったのだとしても、こんな貴重な経験をしているのなら、記憶の中に厳重に留めている筈だ。  何のことだか分からず首を傾げる自分に対し、櫻井さんは、昔を懐かしむように斜め上を見上げながら、以前経験したという"その事"について話し始めた。  「私、一年生の時からずっと図書委員だったんです。 なので、その時からずっと、今日みたいに入り口のカウンターに居たり、本の整理をしたりしていました」  一年生の時からずっと、か……。きっと、彼女はそれぐらい本が好きなのだろう。図書委員になるぐらいなのだから当然か、とも思いつつ、自分との共通点が見つけられたのか少しだけ嬉しかった。  ただ、疑問に思う所もある。今ほど頻繁にではないが、自分も一年生の頃はよく図書室に足を運んでいた。それなのに、櫻井さんが図書委員として仕事をしている姿を見た記憶が無いのだ。何故、自分ばかり思い出せないのだろう……? まるで、自分の中にあった筈の彼女に関する記憶が欠落しているかのようだった。  「あの日も……確か、朝休みの時間帯でしたね。 一年生だった私は、朝の内に仕事を終わらせてしまおうと思って、返却された本を抱えながら作業をしていたんです。 まだ朝だし、誰も来ないだろうと思っていた矢先、静かに図書室の扉を開けて入ってくる生徒さんが居ました。 ……それが、貴方だったんです」  櫻井さんの語りは、母親が子供に読み聞かせをしているかのように優しく、丁寧なものだった。  その時のことを思い出してもらう為に、情報を断片的に並べていきながら、「あぁ、あの時の事か!」と言う反応を引き出す。……それが、本来の"過去の出来事"の話し方であると思う。しかし、彼女の語りはそれとは違う。物語を語るみたいに、何も知らない人に対して一から説明をしていく。「本来、その出来事を覚えていて然るべきの自分が、それを全く思い出せない」という今の自分の状態を完全に理解しているかのような立ち振舞い。自分は、記憶の引き出しを辿っていく作業を中断して、新しく手に取った本を楽しむかのように、彼女の語りに意識を傾けた。  「貴方は、大量の本を抱えながら歩く私を見るや否や、慌てた様子で駆け寄ってこう言ったんです。 『そんなに無理しちゃ駄目だよ。 自分も手伝うから』って。 あの時も私、突然のことでビックリしてたと思います」  ふふふ、と櫻井さんが小さく笑う。思い出せない出来事とはいえ、これは自分の話。そんなギザなことしてたのか……と若干恥ずかしくなり、手にしていた本で軽く顔をパタパタと扇いでしまう。そんな自分の様子を見て、櫻井さんはまた微かに笑っていた。  「勢いに推された私は、そのまま『お願いします』って、貴方にお手伝いをお願いしたんです。 そしたら、貴方は嬉しそうに笑いながら『ありがとう』って。 ……お礼を言うべきなのは私の方なのに、貴方はそう言ったんです」  話を聞けば聞くほど、今しがたの出来事とそっくりだなと感じた。けど、櫻井さんの話の中の自分の方が、今よりも落ち着いているような気もする。  「それから、貴方は一生懸命私のお手伝いをしてくれました。 私、本当に嬉しかったんです。 私の為に、こんなに一生懸命頑張ってくれる人が居るんだ、って。  作業が終わった後にも、貴方は『何かあったら、またいつでも呼んでね』なんて言ってくれて……。 あの時の言葉は、今でも強く印象に残っています」  櫻井さんがこんなに覚えているというのに、何故自分は何も思い出せないのだろう……? 不思議を通り越して、何だか申し訳ない気持ちになった。  ともあれ、彼女の語りはこれで終わりのようだ。まるで、本を一冊読み終えたかのような充足感が、自分の心を満たしていた。……その時の記憶が呼び起こされる事はついぞ無かったのだが。  「……あれから、私は図書室で貴方のことを見かける度にワクワクするようになったんです。 貴方の姿を目に留める度に、あの時助けて貰ったことを思い出しては、ずっと……」  そこまで言ってから、櫻井さんの口が止まった。どうしたのだろう? と、本棚の隙間から覗き見てみると、彼女はみるみるうちに頬を赤く染めていき、  「あ、あのっ! 今のはその……違うんです! 決して変な意味とかじゃなくて、ただ、軽く気にかけていたというだけで……! ……ああっ! き、気にかけていたというのも、別に変な意味じゃなくてっ!」  さっきまでの優しい口調とは打って変わって、早口でまくし立てるように言葉を並べる櫻井さん。その様子を見て、何だかさっきまでの自分を見ているみたいに感じ、思わず笑ってしまう。  「わ、笑わないで下さい! うぅ……」  赤い顔のまま、櫻井さんは此方を睨んでくる。悪いことしちゃったかな……。請け負った分の最後の本を片付けてから、自分は罪滅ぼしのつもりで、彼女に向けてこう言った。  「色々教えてくれてありがとう。 また、こうして櫻井さんのお手伝いをさせてくれたら嬉しい」と。  櫻井さんが語った中の自分に感化されたのか、自分でもビックリするぐらいのキザっぷりだった。でも、これで痛み分けかな……そんな風に思いながら櫻井さんの反応を窺う。すると、彼女は少しの間ポカンとした表情のまま立ち尽くし、そして、微かに頬を染めた。  「……本当に、優しい方ですね」  ━━━━キーン、コーン、カーン、コーン……  呟くような彼女の声は、授業開始5分前を告げる予鈴と重なって消えた。時計を見てから、いつの間にか一時間近くが経過していたという事に気づく。  「もうこんな時間……。 でも、貴方のおかげで朝のうちに仕事が片付きました。 本当にありがとうございます」  本棚の向こうで、櫻井さんがペコリと頭を下げる。釣られて自分も頭を下げると、彼女はまたふふっ、と微笑んだ。それから、また囁くような声で自分に向かって言った。  「またいつか、貴方の言葉に甘えさせて貰うかもしれませんので……その時は、よろしくお願いしますね。   ……私、ずっと待ってますから♪」  ~~~  起立ー、気を付けー! という号令が響き、一時間目の授業が始まる。その間もずっと、自分の頭の中は櫻井さんとのあの会話でいっぱいになっていた。  読書は出来なかったけど、今日はいつも以上に良い日だった気がする。今日のことを、自分はずっと忘れられないだろう。思い出す度に、自分の頬が緩んでしまうのを感じた。  ……それにしても、今日と似たような経験を過去にしていたという事だったが、どうしてそんな大事なことを忘れてしまっているのだろう? それだけが、今もずっと不思議でならなかった。先生の話など上の空で、そのことばかりを考える。その途中でふと、あれ……? とまた新たな疑問に突き当たった。  ……自分が朝休みに図書室に通うようになったのって、いつからだったっけ……?  図書室 編 END
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