「よーし! ランニング終わったら、10分休憩入れるぞー!」
真夏の日射しが突き刺さるグラウンドに、顧問の先生の声が響く。 ミンミンとけたたましく鳴くセミ達に負けじと、長身の二年生を先頭に走るソフトボール部員達は、声を張り上げながらランニングに勤しんでいた。
夏といえば、大会。 野球部やサッカー部などと同様に、ソフトボール部も、お盆休み前に行われるインターハイ予選に向けて毎日キツい練習をこなしていた。
「━━よし! じゃあ休憩だ。 水分補給忘れるなよ! ……それと、今日は三年生が模試で不在だ。 メニューはいつもと変わらないが、今日は篠田に指示を出してもらう。 篠田、頼んだぞ」
「はいっ!」
顧問の島田先生が、部員達に指示を出す。 名前を呼ばれた篠田 夏燐(しのだ かりん)は、二年生の部員の中心的存在であり、皆のリーダーとして尊敬されている人物だった。 休憩の指示が出てからしばらくして、一年生たちが水筒の水をがぶ飲みする中、夏燐が皆に声をかけた。
「じゃ、一年生は休憩時間のあいだに、倉庫からタイヤ引き用のタイヤ、人数分出しといてー」
「えぇーっ! こんな暑いのに、またタイヤ引きですかーっ!? ってゆーか、筋トレじゃなくて試合しましょーよ、しーあーいー!!」
「はいはい、文句言う元気あるんなら早く準備しなー」
ぷくーっと頬を膨らませて抗議する一年生━━欅 桃子(けやき ももこ)。 周りの一年生たちも、口には出さないが桃子と同じ考えのようだ。 しかし、それに動じる事なく、夏燐はちゃんと指定されたメニューをこなすよう、部員たちを促す。
「そ・れ・に……タイヤ引きぐらい軽ーくこなして貰わないと、つぐみ先輩のハートはゲット出来ないぞー?」
「うぐ……! つ、つぐみ先輩のハート……!」
"つぐみ先輩"というキーワードで、過剰な反応を見せる桃子。 うむむ……と悩んでいる様子の彼女に、夏燐は最後の一手を仕掛ける。
「ほらほらー、つぐみ先輩が見てるよー? 『率先してタイヤ引き頑張るももっち、素敵……!』って」
「……よっしゃあああ!! 私、タイヤ引き頑張ります! 見てて下さいつぐみ先ぱぁぁぁぁい!!!!!」
うおおぉぉぉぉ!!! と物凄い声をあげながら、桃子は倉庫へとダッシュしていき、その後を追うようにして、他の一年生たちも倉庫へと向かっていった。
悪い笑みがこぼれそうになるのを抑えつつ、ほのぼのとした笑顔で一年生たちを見守る夏燐のもとへ、先ほど名前を使われていた和田辺つぐみ(わたなべ つぐみ)本人が近づく。
「かりりん、私のことダシに使うの止めてよ……」
「え? いーじゃん別にぃ。 実際、あんだけ積極的になってくれてるんだし。 これもつぐみ先輩の力なんだし、感謝してるんですよー?」
「なーんか釈然としないなぁ……」
キラキラと太陽を反射して輝く汗を、首に掛けたタオルで拭いながら、つぐみは夏燐が座るベンチの隣に腰かけた。 マネージャーから受け取った水を喉の奥へと流し込むようにして飲むつぐみを横目に見ながら、「それにさ……」と夏燐が呟く。
「ああ見えて、あの子は一年生チームの中心人物なんだ。 あの子が率先してメニューをやれば、自然と他の子もやってくれる訳よ。 つまり、一年生を動かすには、まず欅 桃子を動かせ、って事」
「へぇ、ももっちが……」
つぐみは感心していた。 一年生を自然に引っ張っているという桃子に対しての感心も勿論あるが、部員全体をよく見て、その様子をしっかりと把握している夏燐のそのリーダーシップを、つぐみは素直に評価していたのだ。
つぐみと夏燐は、中学の頃からずっとソフトボールをやってきた。 その中でも夏燐は、持ち前のリーダーシップを遺憾なく発揮し、中学時代はずっとキャプテンを勤めていたのだ。 今も、その"人を動かし、ひきつける才能"が彼女の中にあると分かり、つぐみはなんとなく嬉しかった。
「それで、つぐみの方はどーよ?」
「へ? 何が?」
「何が、って……決まってるでしょ? アイドル活動の事」
あぁ、と思い出したように返事をしてから、つぐみは顎に手を置いてしばらく考えて、
「うーん、まだガッキー……あ、いや、副会長が入ってきてから間もないし、あんまり本格的な活動には入れてないかなー。 今は、有名なアイドルグループの曲をマネして練習してる、って感じ!」
つぐみ達が、新生WINGSと銘打って活動を初めてからもう3ヶ月半は経つ。 しかし、未だに本格的な活動には移れていない。 それでも、WINGSの活動がどんなものかを語っている時のつぐみの瞳は、まるで無垢な子供のようにキラキラと輝いていた。
夏燐は、熱心にWINGSの事を話すつぐみを眺めていたが、遂に耐え切れなくなって、思わクスクスと笑みをこぼしてしまった。
「ふふっ、その様子なら大丈夫そうだね~。 ……ま、他ならぬ翔登の頼みなんだし、それもそうか」
「……な、なんでそこで翔ちゃんの名前が出てくる訳?」
「さぁ? 何でだろ~ね~?」
もぉ~っ!! と、つぐみにポカポカ叩かれながら、ニヤニヤ笑ってからかい続ける夏燐。 中学の頃からの馴染みである二人だが、その関係はもはや幼なじみ以上に深く、こんな風に心置きなく話す事のできる親友のような間柄なのだ。
「……ねぇ、つぐみ。 一つ聞いていい?」
と、急にトーンを落として真面目になる夏燐。 それを見て、つぐみは少し驚きながらも、夏燐を叩いていた手を下ろした。
「私はさ……つぐみがやるって決めた以上、つぐみのアイドル活動応援したい、って思ってる。 親友として、出来る限りのサポートをしたいって思ってる。
……でもさ、私どうしても心配なのよ。 つぐみは本当に大丈夫なのか、って」
「かりりん……?」
いつになく真剣な声音で語る夏燐を見て、つぐみも少し緊張し始める。 さらさらと、風に揺れる木々から出る音が、けたたましいセミの声を掻き消していた。
「つぐみさ、無理してない? 呪いの事も、ソフト部と掛け持ちでやってる事もそうだけど……その苦労は、本当につぐみ自身が受け入れてる事なの?」
「どういう事……?」
「……あんまり、こんな事言いたくないんだけどさ。 私、つぐみが翔登に無理矢理付き合わされてアイドルやってるんじゃないか、って心配で……。
勿論、アイツに悪気があるなんて思ってないし、つぐみの意思もちゃんと分かってるつもり。 ……でも、つぐみの事だから、無理してアイツの言う事に乗ってあげてる部分もあるんじゃないか、って。 呪いの事、アイドル活動で有耶無耶にしちゃおうとしてるんじゃないか、って。 ……そんな風に思っちゃってさ」
そう話す夏燐の目は、どことなく悲しそうだった。 太陽が雲に隠れ、一瞬だけグラウンドが影につつまれる。
夏燐は、不安だったのだ。 つぐみの事をずっと側で見てきたからこそ、彼女が無理をしているのではないかと勘繰ってしまうのだ。 しかも、つぐみは『卒業式前日に死ぬ』などという呪いに脅かされている。 普通だったら、怖くて耐えられないような境遇の中で、彼女はアイドル活動を通して笑顔を作ろうとしているのだ。
そんなの……辛くない筈がない。
「私だって、つぐみの事本気で応援したいよ! ……でも、もしもつぐみが、無理をしてまでアイドル活動をやってるんだとしたら……私は、素直に応援できない」
ごめんね、こんな話して……と、笑いながら誤魔化そうとする夏燐だったが、その瞳にはまだ悲しみが残されたままだった。 辛いのは私じゃない。 辛いのはつぐみの方なのに、私が弱気になってどうするんだ……! そうやって、夏燐は心の中で自分を責めていた。
ザワザワと、木々の葉が擦れ合う音だけが響く。 気まずい沈黙が続く中、夏燐はもう一度口を開いて、
「ねぇ、つぐみ━━」
「━━なーんだ、そんな事か!」
明るい声でそう言い放ち、つぐみはスクッと立ち上がった。 予想していたものとは異なる返事に、夏燐は驚いて目をパチパチさせながらつぐみの方を見る。
「確かに、ソフト部の練習とアイドル活動の両立は辛いし、ちょっとは無理してる部分だってある。 ……勿論、呪いだって怖いよ」
でもね……と、目を閉じて語りかけるように言葉を紡いでいくつぐみ。 丁度、雲の切れ間から再び太陽の光が差しこみ、スポットライトのようにつぐみを照らしていた。
「そういう辛い事をぜーんぶ塗り替えてくれるぐらい、アイドル活動って楽しいものだと思うんだ! まだ、始まったばかりで実感は湧かないけど……でも、努力する価値は絶対にあると思う!」
そう話すつぐみの瞳は、まるで太陽の光のようにキラキラと輝いていた。
「それに私は、『どうせ死ぬなら』みたいな気持ちで、アイドルをやりたいって言った訳じゃないよ。 死ぬのは怖いし、死にたくなんかないけど……でも、そういう不安な気持ちを振り払ってくれる仲間が、すぐ側にいる。
翔ちゃんやガッキー、江ちゃん……それに、かりりんもね。 皆がいるから、頑張れるんだよ!」
ニコリと笑って、手を差し伸べる。 言葉を失くしてただ茫然とそれを見ていた夏燐は、つぐみに手を引かれて、強引に太陽の光が差す場所まで連れられた。
「心配してくれてありがとう。 でも、私は大丈夫!
だって私、アイドルになるんだもん!!」
夏燐の手をとったまま、満面の笑みでそう宣言するつぐみ。 木々を揺らしていた風はいつの間にかおさまり、またカラッとした夏らしい気候がグラウンドを包んでいた。
「……はぁ、つぐみにゃ敵わないなー」
呆れたような、しかしどこか安心したような声音で、夏燐が呟く。 それは、夏燐の本心から出た言葉だった。 夏燐が思っていた以上に、和田辺つぐみは強い。 そう実感させられたのだ。
「それなら、最後まで全力で頑張りな? 私も全力でサポートするからさ」
「うん! ありがと、かりりん!」
手を取り合って、微笑む二人。 それから、堪えきれず二人一緒に吹き出して笑い合った。 二人の友情は、WINGSの活動を介してまた一つ強くなったようだった。
「━━先ぱぁぁぁぁい!! タイヤっ、持ってきましたよぉぉっ……!!!」
「おうっ、ご苦労様……って、コレ全部一人で持ってきたの? どんだけ元気なのよ……」
えへへ~っ、と計5個のタイヤを引きずりながらつぐみたちの元へと戻ってきた桃子に、夏燐は思わず顔を引きつらせる。 どうやら、休憩時間ももう終わりらしい。
「さて、そんじゃあ練習に戻るとしますか! つぐみ、グローブ用意しといて」
「え……もしかして、つぐみ先輩は別メニューなんですか!? 私と一緒にタイヤ引きしながらキャッキャウフフするんじゃないんですか……!?」
「あはは……ごめんね、ももっち。 でも、ももっちが頑張ってる姿、横からちゃんと見てるから! 一緒に頑張っていこう! ね?」
「あ……ふぁい! 頑張りまひゅ!!」
ニコッと笑い、エールを送るつぐみの眩しい笑顔を目の前にして、桃子はうっとりした様子でコクコクと頷いていた。 その様子を、夏燐は苦笑いで見守っている。
「よし……それじゃあ行きますか!」
真夏の暑い日差しが降り注ぐ中、つぐみは意気揚々とグラウンドへ飛び出した。 その姿はまるで、スポットライトが輝くステージへと踏み出す、一人のアイドルのようだった。
(アイドルなんて、そう簡単になれるものじゃない。 これから先、たくさんの苦労が待ってる……)
ライトの位置に立ち、守備練習に入るつぐみ。 その頭の中には、様々な不安が渦巻いていた。
「和田辺ー、まずは10本いくぞー!」
「お願いします!」
顧問の先生の打った球は高く上がり、つぐみへとグングン迫ってくる。 太陽と一瞬重なり、眩しくて打球が見えなくなってしまう。
(それでも……!)
……それでも、つぐみは高く跳び上がり、ボールの方へとがむしゃらに手を伸ばした。
(絶対に、このチャンスを掴んでみせる……!)
パシィッと軽快な音が響く。
着地に失敗し、膝をついてしまったつぐみ。 しかし、そのグローブの中には、しっかりとボールが握られていたのだった。
ソフト部編 END