第一章⑨ 諸刃の剣
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「あっるっく~! あっるっく~! アチキは~ふんふふ~ん」
日本国民の大半が知っているであろうアニメの主題歌が、幻想的洞窟内に響き渡っている。
一体この洞窟はどこまで続いているのかと思うほど、その広さに限りが見えない。
安直な表現として使用される『東京ドーム何個分』で教えて貰えたらどんなに気が休まるか。
「で~んで~んい~く~よ~!」
短い手足を前へ振って、後ろへ蹴って。色の落ち始めたアレンジボブがふわりと舞い踊る。
弾むように行進していく様には誰もが心癒される事間違い無いだろう。
親バカ文化があまり浸透していない日本ではともかく、欧米なんかだったら声高に俺は叫んでいるだろう。
──うちの娘は世界一可愛い、と。
そんな事を考えて、太陽のような笑顔を称える愛娘の姿をボーっと眺める伊吹の姿がそこにはあった。
『ドラゴンの間』とは違う場所。ここはその先にある未踏の地の一角だ。
「そろそろどうだ~? イブキ」
ようやく進む事が出来た場所において、伊吹はその体を横たえていた。
少し開けた場所にぐったりした状態で寝たまま、おぼろ気な眼差しをカスミに向けている。
「──ぼちぼち……」
そんな伊吹の横に座っているシャロニカからの言葉に、力無い返事しか出来ない。
未だに体の調子は完全ではないようだ。
「やれやれね……まぁ、説明不足だったのは謝るけど、まさかこんな反動が酷いなんて思ってもみなかったからねぇ……」
彫刻のように美しい顔にも皺は入るものなんだな、とそんな事を思わせるシャロニカの眉間。
悩ましい表情もやはりどこか扇情的と言わざるを得ない。
「……はぁ……ようやく起き上がれるわ……」
40度近い発熱に見舞われたかのように重く感じる体を、細かく震える腕と、感覚が戻りつつある脚力とを併せて持ち上げた。
ゆっくりと態勢を変えて胡坐をかく状態で落ち着くことに決めた伊吹。
「──で、一体どうやってあのドラゴンから逃げ切ったんだ?」
ドラゴンが衝撃波を放つ直前に目を瞑って、次に開けた時にはここに居た伊吹。
その間に一体何が起こったのかまだ知らなかったのだ。
「眠らせた──で、イブキとカスミちゃんを連れてこっちまで抜けてきただけ」
淡々と語るシャロニカ。
呆気に取られる程それは淡泊な物言いで、あたかもだから何だ?と言われてるようにも聞こえる。
「それも魔法、だよな……凄いな……あんなのを眠らせたのか」
「ちょっと舐めすぎてて一発で仕留められなかったからそうした、ってのもあるけどね」
宙を眺めながら話すその声は、あまり抑揚を感じられない。
「落ち込んでるのか?」
「……はー? べっつにー」
今までの調子と少し違うな、と感じてふとそんな言葉を掛けてみたがやはり否定された。
「……あの個体の耐久力が私の想像を超えてたってだけよ。タフネスさだけは竜種の中でもトップクラスなのは知ってたけど。想定外だったわね」
気持ちを見透かされたのを嫌うかのように、矢継ぎ早に話が続く。
「まぁ久々だったし? 準備運動にもなってなかった所にイブキの声も聞こえてきたし、あの場面だとあれが最適解だったわ。どんなに耐久力が高かろうが、所詮は獣。精神感応系魔法には滅法弱いのもセオリー通りだったわね!とはいえあのレベルのドラゴンを一発で眠らせられるのも女神である私だから出来た事よ?」
気付けば肩で息をしながら伊吹の目の前まで詰め寄っているシャロニカの姿がそこにあった。
「わ、わかったから……ちょっと落ち着け」
「分かったならいいわ! まぁ私に感謝しときなさい」
ふん、と鼻息を鳴らしながら元の場所に居直るシャロニカ。
「……ありがとうな。シャロニカが居なかったらどうにもならなかったよ。命の恩人だ」
色んな事が起こり過ぎて忘れてしまいそうだった感謝の言葉を改めて口に出す伊吹。
本当にこの女神が現れてくれなかったら自分達は一体どうなっていたのか想像が出来ない。
この奇跡の出会いに感謝しかなかった。
「……カスミちゃんの為だからな! イブキはついでだ」
気まずそうな表情を隠すかのように手をひらひらとさせた後、意地悪気に笑って見せるシャロニカ。
その言葉の真意をとやかく言うつもりもなく、伊吹はまだ痺れの残る体で深々と頭を下げた。
「……わーかったから、もう頭上げろって。まだ話も終わってないだろう?」
「……そういえばそうだな」
まだここに至る全容全てを聞き終えて居なかった事に気付いてシャロニカに視線を戻すと、少しだけ気まずそうな表情を浮かべていた。
「ざっくりと説明すると、イブキ、お前のその状態は私が使用した魔法の影響によるものって事だ」
「なるほど……三番目の考察が正解だったってわけね」
「三番目?」
「俺なりになんでこうなったか考えてたんだが、 『シェアルマ』 によるものって事だろ?」
「お、察しがいいな。その通り!」
徐々にいつもの調子に戻ってきたシャロニカに少し安堵する伊吹。
「……シャロニカが魔法を使うときに俺のエネルギーを使ってるって感じだろ?」
ファンタジー作品で見たことがあるのを当てはめてみたが全くの見当外れという訳でもないだろう。
大体のこういった強力な力にはデメリットが存在するのが常なのだ。
「いや、イブキの何かを使用してる訳じゃない。使った事による反動が現れただけだ」
「反動?」
「そう、反動は魂に影響を及ぼし、それが体にも現れる」
真剣な眼差しのまま、いいか、と言葉を続けるシャロニカ。
「私が使用する力は、『共有者』のレベルによって上限が変わってくるんだ。この上限ってのは、別に私が使えない、という訳じゃなく、どれ位反動が出てしまうか、という事になる」
「・・・つまり?」
「『共有者』のレベルが高ければ、例えばさっき私が使った『上級魔法』の反動が出る事はまったく無いって事。イブキに反動が出ない程度の魔法を使おうと思ったら……そうね、『初級魔法』位なら出ないかもって感じ」
「ふーむ……なるほど。で、その反動が今の体の状態って事か」
自分の体をまじまじと見降ろしてみると、目立った外傷と言えるのはドラゴンから逃げた時にできた擦り傷や、ちょっとした切り傷。
痛みで最たるものは左脇腹だったはずだが、今はほとんど薄れている。
残っているのは気怠さと全身の痺れだが、これももう少しで消えてくれそうだ。
「おっと、そこは誤解の無いよう訂正しておくけど、反動の種類は『それ』だけじゃないからな」
ピッと伊吹を指刺しながらシャロニカの口調が強く引き締まった。
「……他にも色々あるって事か?」
「そ。種類は様々。正直どんな事になるか私も全部は知らないけど、例えば……」
「なんか聞きたくないな……」
今回は緊急事態だったから良かった、というか、突然の出来事だったからまだパニックで誤魔化された所もあるが、今後もこれが起こるかもしれないのかと思うと結構ストレスだ。
「まぁそう言うなって。必要になる事もあるかもしれないだろ?」
「必要になる事……ねぇ」
シャロニカの言う事は正論かもしれない。
ここが『異世界』であるならば、ここからすぐに帰る事が出来ないのならば、俺にはここを生き抜いていく手段が無いと思う。
この洞窟を抜けれたとしてもその先はもっと危険かもしれないし、そもそもどうなっているのかさえ未知数だ。
そうなればこの女神の力に頼らなければならないのは明白だった。
「……教えてくれ。分かるだけでも」
「オッケー。反動で現れる状態をいくつか挙げるわ」
そう言ったあと左手を広げると、シャロニカの眼前辺りに絵のような光が浮かび上がってきた。
「──ホログラム!? いや、これも魔法……か」
浮かび上がってきたのは丸と線で描かれた人体で、限りなくシンプルだ。子供が描いたようにも見える。
それが少しづつ変化していくようだ。
「反動その1、体にダメージを負う。程度は私が使用したレベルに応じて変化するけど、軽ければちょっと打撲とか、筋肉痛とかそんな程度ね。酷ければ、骨折とか内臓破損とか……」
「マジかよ……」
宙に浮かび上がったホログラム風魔法の人間が次第にボコボコになっていく。
「ちなみに今回のは反動その2。体調不良、麻痺、貧血、嘔吐なんかは状態異常に分類されるわ。他の状態異常だと、混乱、睡眠、発狂、呪い、重力……などなど、ね」
ホログラム君、とそう呼ぶ事にした丸と線の人間が今度は寝たり、暴れまわったりしている。
「……拷問のレパートリー見てる気分になってきた」
「その3、死ぬ!」
ホログラム君はその短い命を全うして消滅した。光の粒子がその名残を残しつつ煌めいた。
「ホログラムくーーん!」
「はー? なんだよそれ?」
「いや、そこに浮かんでたキャラクターに名前つけてたんだ」
「いや、『エオス』ちゃんなんだけど」
「え、エオスちゃん?」
「勝手な名前で呼んでんじゃねーよ」
まさかの公式で名前がありました。
そしてエオスちゃんなんて可愛らしい名前をつけてるなんてまたイメージと違う事が面白い。
「エオスちゃん、ね。ププ。」
「超級魔法使ってやろうか? あぁん?」
右手に異様な威圧感を収束させながら、残った手で伊吹の胸ぐらを鷲掴みにしてくるシャロニカ。
美貌は般若の様相に変わり、背後から物々しいオーラを放っている。
「……ごめんなさい。私が悪かったです……」
「ったく、気をつけろよな! エオスちゃんバカにしたら許さねーから!」
「……」
よくよく考えたら俺の命はこの女神の気分1つで左右されかねないって事か。
現実味が無かったけど、もし本当に反動で『死』んでしまったらカスミが1人残されてしまう。
そんな事は絶対にあってはならない。
ポップな表現で伝えられた反動の内訳だったが、実際には震える程恐ろしい内容だった。
その恐怖心を振り払うかのように無理をして明るく振舞ってみたものの、やはり心にしっかりと刺さった 『死』 という言葉。
大きな代償を払う代わりに伊吹はこの『異世界』で生き抜いていく力の1つを手にしたのだろうか。
「……話を戻すが、死ぬっていえば俺が死んだらシャロニカ、お前もやっぱり死ぬのか?」
魂の共有、とまで銘打ってるのだからその名の通りやはり死すらも共有するのだろう。
『死』というキーワードが出たのをいい機会に確認しておく事にした伊吹。
「そうだ。イブキが死ねば私もその瞬間に死ぬ。私が死んでもお前は死なないけどね」
あっけらかんとした表情から放たれる言葉の意味はやはりどこか現実離れしている。異世界なのだから当然といえば当然なのだが。
「え? シャロニカが死んでも俺は死なないの? なんでそこだけルール違うんだ?」
「ってかそもそも私は、私だけじゃ『死なない』ってのが正しい。『神の眷属』だからな……って、多分これもよく分かってねーんだろうけど」
見惚れる程美しい横顔が次に訪れた問題をどう解消しようかと苦悶の表情へ変わる。
「あー……まぁ、あれ、か。神とか魔とかって種族は死の概念が無いってやつ?」
現実世界の創作物知識で申し訳ないが、これもそこからの引用の1つだ。
「そうそう! そうゆう事! 死って概念が無い! だんだん頭良くなってきたんじゃないか? イブキ」
けらけらと少女のように笑いながらイブキの肩を何度も叩くシャロニカ。
「だんだん分かってきたな」
要約すると、『シェアルマ』によって共有化された魂によって、俺とシャロニカの魂は1つになったような物というわけだ。だから人間である俺が死ねば、それを共有しているシャロニカも死ぬ。
けど元々『死』の概念がない『神の眷属』は死ぬ事が無いから、シャロニカがそうなったとしても共有している人間の俺には影響は出ないって事か。
「あ、つまり元々『魂』が俺にしか無い……って事なのか」
共有というのは、俺の魂を女神であるシャロニカと共に分かち合うって意味だったのか。
と、ここで1つの疑問が湧き上がってきた。
「なぁ、でもこれってさ、シャロニカにはデメリットしかな──」
「──つーまーんーなーいーよー!」
また新しい質問を投げ掛けようとした所にカスミの駄々が割り込んできた。
伊吹とシャロニカが座ってる所から数メートル離れた先に、小さい花が揺れているのが見える。
「ごーめ~んカッスミちゃぁ~ん! イブキのやつが延々とつまんない話ばっかり続けるから長くなっちゃったね~よちよち~」
目の前からカスミの元へと風のように移動していくシャロニカの姿を横目に、続けようとした言葉をそっと飲み込むことにした伊吹。
頬を餅のように膨らませている愛娘の姿を見たら、これ以上続けられる訳も無かった。
「ごめんなカスミ。待たせちゃったな。そろそろ先へ進もうか」
ようやく自由を取り戻した体でゆっくりと立ち上がり、バックパックを背負いなおして埃を払った。
心なしかバックパックが重くなっている気もするが、まだ体調が万全では無いからだろうか。
「わーい! いぶきげんきになってよかった! いこっ! きっともーすぐおそとでしょ?」
満面の笑みを浮かべるシャロニカに抱き上げられながら、同じように満面の笑みを浮かべるカスミ。
その笑顔を見ていると、頭の中がごちゃごちゃとしていたのが嘘のようにクリアになっていく。
「どーだろうなー? こんな時に頼りになるのはそこの女神だと思うぞー?」
「どーかなー? むに シャロ―? むに おそともーすぐでれそー? むに」
「むにむにむにむにむにむに……ん~? お外~? そうねぇ……」
自分の頬をカスミの頬に押し付けながらその感触を楽しんでいた女神が、唐突なフリに頭を巡らせ始めた。
振った本人伊吹は、出来れば彼女の口からその答えが出るのを期待している。
「……うん、大体分かったわ。じゃ、さっさと行っちゃいましょうか!」
しばらく瞑目した後に出た言葉は期待以上だった。その台詞を聞いて一気に歓喜の音が胸からこみ上げてきた。
「本当かっ!? マジで分かったのか出口」
「わぁ~! シャロってほんとすごいー!」
「ふっふっふ~任せてよカスミちゃ~ん。この女神中の女神にかかればこんな洞窟の探索、ちょちょいのちょいよ~!」
探索、という言葉からして何かの魔法を使用したのだろうか?
実際どんな手法で出口を探り当てたのか伊吹には知る由も無いが、ここまで頼れる事を証明した女神の言葉を疑う事は無かった。
「ンナ~ォ」
今まで姿が見えなかったヒマワリの鳴き声がして、辺りを見やると少し離れた岩陰にその姿を確認できた。こちらを見つめながら毛繕いをしている。
「さて、じゃぁ後は任せるよ? ヒマワリ」
抱き抱えたカスミをそのまま宙に浮かせて、ヒマワリへ声を掛けるシャロニカ。
「ヒマワリに任せるって?」
「その猫ちゃん、洞窟下見してきたんだろ? きっと道案内してくれるはずさ」
「ニャ~オゥ」
その通り、と言いたげな眼差しでヒマワリが一鳴きした後すぐに踵を返して洞窟の先へと歩いていってしまった。それを追うように空中遊泳中のカスミが後を追う。
「んまてまてー! わたしがさきにいくのー!」
まるで平泳ぎをしているかのようにスイスイと洞窟内の先へと進んでいく。
「まってよ~カスミちゃ~ん」
花の香りを後に残して金髪の女神もそれに続いて消えていった。
「……え、ほんとに? ヒマワリが案内してくれるの?」
頼もしい女神の魔法で見えた洞窟脱出の経路かと思いきや、いつも一緒に居る銀色の猫の不思議な道案内便りになるとは思ってもみなかった。
「……まるで映画かおとぎ話だな」
ヒマワリの恩返しと考えればそれも有るかもしれないと思う伊吹であった。