第二章② 森の蝶
「──カスミー!」
「カスミちゃ~ん──!」
不慣れな環境の中を歩かなければならない焦燥感を掻き消すかのように2人は声を上げ続けている。
元々薄暗かった森がより一層不気味さを増したのは陽が落ちてきたせいだろうか。
それとも自身の心情が気付かぬうちにそう感じさせているだけなのか。
忽然と姿を消したカスミとヒマワリを探し始めてしばらく経っていた。
見知らぬ森をただ闇雲に探すのは途方も無いので、探す取っ掛かりはやはりシャロニカの魔法という結果になった。
森の中は人が通れるような整った道は無い。
それでも所々通り易く細道が開けているのは俗に言う『獣道』なのだろうか。
カスミとヒマワリもそこを通りながら森を進んだと考えられるので、『獣道』を2人して進んでいる。
先頭を体の大きな伊吹が進み、後方からシャロニカが探索魔法で痕跡を探し、その方角へと進む。その繰り返しだ。
その道中で何か手掛かりが無いか注意しながら進んでいると、伊吹が何かを発見した。
「――――シャロニカ、これ見てくれ。ひっかき傷だ」
一本の細い木に、目線より少し下に付けられた不自然な傷跡があるのを伊吹が見つけていた。
「……お? これは~新しい傷ね……なんだろう?」
傷を指でなぞりながら思案するシャロニカだが、伊吹はすぐに答えを提示した。
「これはヒマワリがつけた物に違いない」
「ちょっと待てよイブキ。そう思いたい気持ちは分かるけど、傷が出来る理由なんていくらでも──」
「──分かるんだ。この傷の付け方は何度も見てきた。間違いなくヒマワリだ」
力強く断言する伊吹に若干気圧されるシャロニカは言葉を詰まらせた。
「──そ、そうか……そこまで言うなら……」
「……傷がここにあるって事は方向は合ってるはず。シャロニカ、探索の方は?」
辺りを見回しながら矢継ぎ早に話を進めていく伊吹の雰囲気はいつもと違って見える。
焦りは感じつつも、それでいて冷静に物事を見据えながら状況判断しているようだ。
最短に、効率的に、それでいて確実に。
伊吹はそう頭の中で繰り返し自分に言い聞かせていた。
「……! 反応あり、だね! この先の方だ!」
数秒目を閉じ集中した後、シャロニカが獣道の先を指刺した。
「よし、急ごう」
木々が生い茂る森の中ではいくら多少開けている獣道といえども進むには時間がかかる。
目の前を遮る草木、葉っぱ、蔦などを手で掻き分け切り開いていく。
鉈があればもっと早く進めるのだろうが、今は自分の両手だけでそれをするしか無かった。
腰より下辺りは動物などが頻繁に通る為か、そういった障害物は少ない。
おそらくカスミやヒマワリにとっては通り易く出来ているのだろうと、伊吹は思った。
獣道を掻き分けながら進むと、再びヒマワリの傷跡を発見した。
同じように細い木に付けられたそれは、伊吹の住む家の壁に付けられていた形とそっくりだ。
何度対策を取っても付けられてしまう爪研ぎ痕に、最終的には伊吹が折れた。
──さすがヒマワリだ。教えてくれてるんだろう? カスミの行先を……
『あっちの世界』から頭がいいとは思っていたが、『こっちの世界』に来てからそれをより如実に感じている伊吹は、ヒマワリをただのペットではなく、七種家の一員として頼りにし始めていた。
「キャーーー!!!!」
突如として森へ響き渡る甲高い叫び声が伊吹とシャロニカの足を止めた。
「──カスミ!?」
「──カスミちゃん!!」
声の方に目を凝らしてみると、数十メートル離れた辺りにカスミの姿を捉える事が出来た。
「──!? あれは?」
カスミの元へと一目散に駆け出した伊吹とシャロニカの目に飛び込んできたのは、今にもカスミを呑みこまんと大口を開けている巨大な蛇の姿だった。
「──俺を飛ばせ! シャロニカ!」
「──!?」
「──早く!!」
全力で草木を掻き分け、走りながら交わした刹那の会話にどれだけの思惑が交錯していたのか。
それを分かり合えるのはこのコンビだけだ。
フォーショック
「 『中級衝撃魔法』 !!」
金髪金眼の女神が魔法を唱えると、目の前の伊吹を前方へと大きく吹き飛ばした。
掻き分けなければ開く事の無かった木々に覆われた空間を乾いた衝撃音と共に猛スピードで進んでいく伊吹の体。
「──うおああああああああ!!!!」
未だ数メートル程あったカスミまでの距離を一瞬で縮めたその体は、そのままの勢いで迫りくる敵目掛けて突っ込んだ。
「──っだあああああ!! カスミ逃げろっ!」
「いぶきー!」
体当たりの形で巨大な蛇をカスミから引き離すように押しつぶした伊吹だったが、すぐさま蛇が反撃に出る。
しなやかにうねる胴を翻したかと思うと、凶悪な威嚇音を発生し、間髪入れずに突如現れた邪魔者の腕へその牙を深く付き立てた。
「こんのやろっ……!!」
痛みを感じるより先に、残った右腕で反撃に出る伊吹。
思い切り拳を蛇の側頭部目掛けて叩き込むと、たまらずその口を離した。
一方、後から駆け付けてきたシャロニカは、蛇と伊吹から少し離れた場所で戦況を伺っている。
「──クソっ……危ないか……!」
狙いをつけた右手から魔力の波動を感じるが、それを放つのを躊躇っているシャロニカ。
伊吹と巨大な蛇の距離が近すぎる為に援護が出来ずにいるのだった。
「イブキ! そいつから離れてくれ!」
そう必死に叫ぶシャロニカだが、肝心の伊吹の動きに変化は見られない。
その間にシャロニカの元にカスミが駆け寄ってきていた。
「シャロ―! いぶきがへびさんにたべられちゃうよ! たすけて!?」
「──!?」
足元のカスミへ顔を向けた後、すぐにハッとなって視線を伊吹へ戻すシャロニカ。
そこには今まさに丸呑みされている途中の伊吹の姿が飛び込んできた。
「イブキーーーー!! ────!?」
と、その時。
シャロニカが叫ぶと同時に、伊吹を呑みこもうとしていた蛇の姿が大きな影と共に消え去った。
あまりの突然さに目を疑うシャロニカ。
慌てて辺りを見回すも、影はどこぞへと姿を消してしまっている。
「いぶきー!!」
一目散に倒れている伊吹の元へと駆け寄っていくカスミの姿が目に入り、自身もそれに続くシャロニカ。
「おい、イブキ! しっかりしろ! 大丈夫なのか?」
倒れる伊吹を抱き起してその表情を伺う2人。
「……いてて……な、なんとか……でも体が上手く動かないな……」
頭の先から胸あたりまで蛇の唾液にまみれ、左腕には噛まれた傷跡が残る伊吹の様子は一見大丈夫そうには見えない。
少し前から体が上手く動かなかったのはまず第一に、反動の蓄積。
フォーショック ヒ ュ ー ン
直前に使用された『中級衝撃魔法』と、その前の『自由飛行魔法』のせいだろう。
フォーショック
二つ目が、『中級衝撃魔法』による物理的ダメージ。
こちらはクリスタル入りバックパックが多少緩衝剤となっているとはいえ、ある程度ダメージを負っていた。
いくら中級とはいえ、女神級が放つ攻撃用魔法なのだから当然といえば当然である。
そして三つ目の原因が伊吹の体を徐々に蝕んでいる事には誰も気付いていない。
「──うぇーんえーん」
「──ごめっ……ねっいぶっ……きちゃったっ……いだよっね……ごめっ……ね……」
「──カスミっ……んのせいっで……ヒマっ……ワリもいぶきもっ……うぅ……けがしちゃった……うえぇーんえ~ん──」
倒れた伊吹の体に突っ伏しながら泣き喚いているカスミ。
それを痛みに耐えながら起き上った伊吹が宥めている。
「……よしよし。カスミが無事で良かったよ……もう1人でどこかに行っちゃダメだぞ?」
「っひぐっ……うっ……うん……もうっ……しないっ……よっ……うぐぅっ……」
ぽんぽんとカスミの頭に手をやりながら姿の見えないヒマワリを探す伊吹を察したかのように、シャロニカの声が聞こえてきた。
「ここに居たよイブキ」
先んじて動いていたシャロニカが、だらりとしたヒマワリを両腕に抱えてやって来ていた。
「……ヒマワリ! 大丈夫なのか……?」
隣に寝かされたヒマワリの様子を急いで確認する伊吹と未だ涙が止まりきらないカスミ。
シャロニカ主導の元確認していくと、銀色の猫はどうやら失神しているようだ。
パッと見目立った外傷などは見当たらない為、胸を撫で下ろす一行。
「へびさんが……うぐっ……ヒマワリをきにバーンって……ぐすっ……それでヒマワリが……」
嗚咽混じりなので若干分かり辛いが、大体の話は把握できそうなので、事のあらましを聞いてみる事にした伊吹。
カスミが1人で森の奥へと進んでしまったのは、珍しい蝶々を見つけた為だ。
夢中で追い掛け、気が付いた時にはすでに今の場所まで来てしまっていた。そこに居たのが先程の巨大な蛇。
そして襲われそうになった所へヒマワリが助けに現れたのだそうだ。
──会話に集中しすぎた俺が悪いな……
子供の行動に常識なんてものは無い。
カスミに至っては更にそれが無いのを分かっていたはずなのに、こんな異世界の何も分からない森で目を離してしまうなんて……
──父親失格だな……
可能であればシャロニカにぶん殴って欲しい気分の伊吹だったが、これ以上ダメージを増やしてしまうといつ動けるようになるか怖かったので止めておいた。
「またシャロニカに助けられたな……ありがとな」
危機一髪の所を救ってもらった女神に対して礼をしていない事に気付いた伊吹。
シャロニカの方に顔を向けて感謝の言葉を述べる。
「……いやーそれなんだけどな?」
うーん、と難しい顔で唸っているシャロニカがこちらを見ている。
「何か問題でも?」
「問題ってわけじゃなくてだな……あの蛇どうにかしたのは私じゃない、って事なんだ、よね?」
「そうなのか? え、じゃぁあの蛇何で急に居なくなったんだ? 俺が不味すぎたとか?」
「……一瞬だったからよく分からなかったけど、大きな影のような物が連れ去ったように見えた……?」
「……影?」
シャロニカの話だけではいまいち要領を得ないが、その『大きな影』がどうやら俺の命の恩人のようだ。
「まぁとにかく皆生きてて良かったって事でさ! 細かい事はいいんじゃないか……い? って、イブキ?」
シャロニカが場の空気を変えようと明るく振舞おうとした瞬間、伊吹の表情が急激に曇り出した。
その苦悶の表情にカスミとシャロニカが狼狽える。
「──っぐあ……!!」
「いぶき!?」
「──お、おい!? イブキ…………?」
突如として苦しみだした伊吹の姿から、魔法の反動のせいかと考察したシャロニカだったが、まじまじと観察する事でそれが主だった原因では無さそうだと気付いた。
そう思わせたのは紫色に変色を始めている左腕だ。
「──あのクソ蛇……毒持ちだったのか!!」
反動による状態異常、物理的ダメージ。それらも恐らくあるだろう。
フォーショック
しかし今回使用した『中級衝撃魔法』はそこまで大きな反動を伊吹に出さぬよう加減した物だ。
ここまで苦しみが大きくなるのは他に原因がある、と考えるのがシャロニカの中では自然だったのだ。
しかし、原因を推察出来た所でシャロニカが出来る事は無かった。
女神中の女神と自称している彼女だが、『解毒魔法』の知識が無かったのだ。
「──うっ……うぅ……ぁ……」
そんな事を考えている間にも伊吹の体調はどんどん悪化していく。
苦悶の表情はより一層色濃く表れ、寒そうに体を震わせ始めた。
素人目に見てもこのまま放っておいたら命の危険が伴うのは分かっていた。
「シャロ……! なんとかっ……ひっく……ならないの……?」
そんな伊吹に覆いかぶさるようにしながら泣きじゃくるカスミに対して、唇を強く噛みしめる事しか出来ないシャロニカ。
何か解決策は無いかと模索する最中に、ぞくりと背筋に何かを感じた。
「────!?」
唐突な違和感の正体は、無意識に発動していたシャロニカの警戒網が反応を感知した為だった。
シャロニカは即座に態勢を整えた。
ざわざわと森が揺れるようにざわめきが走り、シャロニカ達を暗いカーテンが覆った。
真上に何かが居るのを確かに感じながら、緊張感が辺りを埋め尽くしていくようだ。
すると、張り詰めそうな空気を切り裂くように、颯爽と影の正体が姿を現した。
森の上空から木々の間をすり抜けてシャロニカ達の元へと舞い降りる大きな影の正体、それは……
「────クカァー!」
けたたましい鳴き声と共に、背中から伸びる大きな羽を何度かはためかせるのは鷲の頭と、獅子の体を持つ野獣の一種だ。
その大きさは数メートル程も有り、翼を広げたら十メートル近くになるのではないかと思われる程だ。
猛禽類特有の鉤爪が大地を力強く掴んでいるのを見て、先程の大きな影の正体がこのグリフォンだと理解したシャロニカ。
巻き起こる風が草木や細い枝を宙へと舞い踊らせる。さながら小さな竜巻のようだ。
「──おーい、そこの人、大丈夫かー?」
「──??」
はためく翼から巻き起こっていた風が落ち着いた所に、聞きなれない声が降ってきた。
シャロニカが顔を向ける先にあるのは今現れたばかりのグリフォンだ。
「……誰か居るのか?」
やや逆光気味なのもあって、全体が陰っていてよく見えない。
仕方なく手で光を遮りながらもう一度見直してみるシャロニカ。
するとその巨躯の背に人影が見えた。
「驚かせてしまったかな? いやなに、そこの人だが、蛇に咬まれたんじゃないかと思って戻ってきたんだ……が、って、やっぱり……!」
声の主はグリフォンの背中から俊敏な動きで下りてくると、すぐさま伊吹の元へと駆け寄ってきた。
「……思いっきり咬まれてるなぁ……早く処置しないと危険だ……!」
「──な、なぁあんた、すまないが助けてもらえないか? 私には解毒出来なくて……」
「……よし、分かった。じゃあすぐに村へ戻って治療しよう! 皆こっちへ乗ってくれ!」
そう言ってグリフォンの方を指さす声の主の合図を聞いて、すぐさま伊吹とヒマワリの体を浮遊魔法によって移動させるシャロニカ。
「カスミちゃん! こっちに!」
「──うん!」
飛び込んできたカスミをしっかりと受け止めながら、自身もグリフォンの背中までゆっくりと浮かび上がり座る位置を確認するシャロニカ。
グリフォンの背中は想像以上に広く、大人が2~3人は余裕で座れそうな広さがある。
手綱のような物を手にしながら、先に座っている声の主の後ろに伊吹を置き、それを挟むようにしてカスミを抱えたシャロニカが座る事にした。
「……これで大丈夫かい?」
「ああ、ちょっと揺れるから落ちないようにしっかり押さえててくれ」
「……わかった。よろしく頼む……あー、えっと……」
突如として現れた声の主に救いの手を差し伸べられるという展開に、少々気が動転しつつあった女神が、ようやく少しだけ平常を取り戻しつつあった。
そうした時にふと見えた声の主の背中は、人間にしては大分小さく感じる。
「──ユードだ。ユード・ジャーテニンズ。よろしくな」
そう名乗りながらこちらへ振り返る姿を見て、シャロニカの中にあった違和感に答えが出ていた。
「──ユード・ジャーテニンズ……よろしく頼むよ……」
彼は『ハーフリング』の少年だったのだ。