第一章⑦ 女神シャロニカ
「だーかーらー! 契約しただろ? 今更何言ってんだよ」
「いや、魂なんて目に見えない物をどーのこーの言われても……」
「見えてないなら別にいいんじゃね? 気にするなよ」
「いや気にするわ! そして何だその喋り方っ!!」
「はー? 別にいいだろもう、すましてるのは性に合わないんだよね」
「うわー酷いな……契約結んだ途端に態度豹変とか……」
「うっさいなぁ! 別にお前何にも損してねーだろー? 文句言い過ぎなんだよ」
「じゃぁ魂がお前のモノになったってのはどういう事なのか説明してくれよ!」
「カスミちゃんに説明してたの聞いてなかったのか?」
「5歳児が小難しい話分かる訳ないだろ! 改めてお前が説明しろ!」
「あー……まぁ、それもそっか……それは悪かった。ごめん。」
「……む、いやまぁ、分かってくれたならいいんだけ──」
「──ってか『お前』って言うなよ! 頭にくるんだけど?」
「はぁぁ? 名前も名乗ってないそっちが悪いんじゃないんですか?」
「うわーウザー。人の事『お前』とか言っちゃう人ってやっぱこんな感じよね」
「……というか、お前も『お前』って言ってんじゃねーか!」
こんなやり取りがかれこれ5分近く続いている。
その声色に心浮かれ、姿が露わになればその美貌に息を呑み、
まさに天女のような美しい女性を前に伊吹はほんの少しだけ闇雲にしてしまった契約がむしろ幸運だったのではないかと思ってしまう程であった。
しかし蓋を開けてみたらどうだろう。
見た目に反した粗暴な言葉使いに、人を小馬鹿にしたかのような態度。
リスペクトの欠片も感じられないその物言いは温厚なはずの伊吹の言葉使いすら荒げさせている。
「はいはい、分かりましたよ。 で、名前なんだっけ?」
「イブキだ。サエグサイブキ」
「イブキね。オッケー。覚えたよ」
「呼び捨てですか……まぁもういいけど……」
肩をすくねて見せる姿は一旦休戦しようという合図に見えた。
「そっちは?」
「シャロニカだ。まぁ改めてよろしく頼むよ、イブキ」
白く細い美しい指が宙を流れて伊吹に差し向けられた。
一瞬それを掴むのを躊躇ったのは、言い争っていたからでは無く、
単にその手が美しすぎて見とれてしまったからだ。
「……改めて、よろしくシャロニカ」
この洞窟に来て初めて頼もしさを感じた瞬間だった。
それが華奢に見える絶世の美女だったとしても、伊吹はどこか安堵感に満ち溢れていた。
それだけプレッシャーに押し潰されそうだったのかもしれない。
その為か、不思議とさっきまでの言い争いすらどこか心地よく感じている。
「じー」
握手したまましばらく経った時に、小さな視線を感じた。
感じたと言っても擬音を声に出されていたので気付かない方が難しいのだが。
「カッスミちゃーーーん!」
「わわっ!」
じっと眺めていたカスミに気付いたシャロニカが、その手をいつ放したのか分からない程の速さでカスミを抱きかかえていた。
「やっとこうして触れ合う事が出来てお姉さんほんっとに嬉しいなぁ~!」
「えへへ~わたしもうれしいよ! でれてよかったね!」
「カスミちゃんのお蔭よ。本当にありがとうね」
「うん! おねぇちゃんたすかってよかった!」
何だかすでにやたらと仲良しな2人を眺めていると、
シャロニカの事が今会ったばかりとは思えないように感じてくる。
それは彼女の距離感の近さ故に感じる事なのか、また別の何かなのか。
それでも今はその底抜けに明るい振る舞いに救われた気がしている。
「で、だ。本題に戻させてもらうよシャロニカ」
しばらくこの温い空気に浸っていたかったのも事実だが、
それよりも諸々話したい事が多かった。
「ん~チュッチュ~カスミちゃ~ん」
「やめてよー! くすぐった~い」
「……」
伊吹の声はまったく聞こえていないように、
シャロニカとカスミの戯れが続いている。
「おおいっ!!」
「──っなんだよー邪魔するなって……」
いつまで経っても終わりそうもなかったので、カスミをシャロニカからから引き離して強引に話をさせる。
「いいから、ほら、本題を進めてくれ」
「……ったく、せっかちだな人間ってのは」
「シャロニカも人間だろ?」
「いや? 私は『女神』だ」
「へー、女神ね。はいはい。で?」
「ふぅん……珍しいね。『女神』って聞いても驚かないなんて……まぁそれもそうか。『契約』の時点ですでに普通じゃないもんねぇ」
物珍しそうな顔で伊吹を眺めるシャロニカ。
少し間を置いてから言葉を続ける。
「私とイブキが交わした『契約』は、『シェアルマ』と呼ぶものだ。聞いた事位あるだろう?」
「ないな。どんな内容なんだ?」
「まぁ簡単に言えば、私ら『神の眷属』と人間の魂をお互いで共有しましょうって事だな。あ、『魔の眷属』との場合も同じく『シェアルマ』って言うわよ」
「何度聞いてもさっぱり意味が分からんな。魂を共有ってどうやるんだ? って話だし、そのケンゾクってのもまた分からない単語だ」
「変わり者なのは最初っから分かってたけど、まさか『神の眷属』『魔の眷属』も知らないなんてねぇ……もうこうなってくると何を知ってるのか聞いた方が早そうだけど」
うーんと一つ唸ってから天を仰ぐシャロニカ。
「じゃぁ質問を変えるよ。魂が共有された場合は、具体的に何が変わるんだ?」
次から次へと疑問が増えていきそうなので、とりあえず1個づつ潰していく事にした。
「それね。基本的に人間側にデメリットは無いわね。むしろメリットの方が大きいんじゃないかしら? 身体能力も向上するし、何よりこの『女神シャロニカ』の加護が受けれるんだから垂涎ものでしょ?」
話が一向に進んでいない。
ぐるぐると同じ場所をループしているような錯覚すら覚える。
彼女から出てくる言葉はどれも釈然としない上に、知識としても聞き及んだ事すらないのだから。
そもそも言語が通じていなかった時点で、異文化なのは確定している。
今は何故かその障壁は無くなっているのだが、それもまた解決したい項目の一つでもある。
1つ1つ紐解いていきたい所だが、根本的に何かが食い違っている気がする伊吹であった。
「……とりあえず置いておくとして、ここってどこか教えて貰えるか? 日本は日本だよな?」
「……ニホン? 今はそんな国名になってるのか? 私がここに封印された時は『リナス』って名前だったはずだ」
「リナス……? どこだそれ……梨茄子? 辺境の土地とかか?」
「まぁ数百年前の事だし今はニホンと呼ばれてるのかもしれないわね」
「数百年前って……冗談だろ?」
伊吹は勘の悪い方ではない。むしろ全ての事象を柔軟に受け入れられる部類の人間だ。
普段から趣味で、ファンタジー系作品は数多く鑑賞しているし、職業もそういったエンターテイメント作品に携わったりもしてきている。
そんな彼が、ここまでの現状を整理していくうちに1つの仮説を打ち立てていた。
──これはもうあれだ。選択肢としては最後の最後まで残しておいたが……
「ここは……『異世界』なのか……」
不思議そうにこちらを見ているシャロニカや、ヒマワリと一緒に大人2人の会話終りを待つ暇つぶしにそこら辺を探索しているカスミの姿も、一旦全てが意識の外側へと追いやられた。
突拍子もない仮説なのは伊吹本人にも重々分かっていた。
だがここまで自分の目で確認してきた出来事は言葉にするだけで自ずとその答えに集約されていく。
突然目の前に現れた幻想的な洞窟。
頭に響いてきた聞いたことの無い言葉。
空想上の生物、ドラゴンに襲われる。
数百年前から封印されていた絶世の美女、女神シャロニカ。
「クリスタル、ドラゴン、女神……そして、リナス……」
これが自分の妄想ではないかという疑念はある。
現実逃避の末に辿り着いてしまった脳内イメージなのか、あるいは自分が知らぬ所で事故にでも逢い、
意識不明の状態に陥っているのか。
または自分の人生、最初から全てが虚構なのか────
考え始めてしまうと、とんでもない飛躍をしてしまうのが伊吹の悪い癖だ。
そんな迷宮入りしそうな思考を遮るかのように甘い匂いが鼻をくすぐった。
「──おーい。聞いてるかー?」
「──っ!?」
我に返ると目と鼻の先に眩い金色の瞳が迫っていた。
春の花畑を思い起こさせる香りはこの女神が纏っているものか。
「……近い」
「呼んでも返事がないからさ~ぁ? どうしちゃったわけ? 具合でも悪い?」
シャロニカの顔全体が視界に収まるよう、後ずさって調整する。
性格はともかく、ビジュアルだけはまっとうな男には刺激が強すぎるのだ。
ただそんな心の揺れを女神と称する彼女に悟られたく無い自分が居る。
「……大丈夫だ。少し考えを整理していただけだ。気にするな。」
「あっそ? で? 考えは纏まってきたの?」
「ある程度は……」
「じゃぁとりあえず問題無しって事でいい?」
「問題はありありなんだが、そこについてとやかく言ってても何も解決しない気がしてきてね……今はここから脱出する事が最優先だ。それについて話をしたい」
「オッケーいいよ。じゃぁさっさとここを抜けて外に出るとしようかね」
あっけらかんとした答えが返ってきた事で思わずこけそうになった。
「そんな簡単にいけば苦労しないんだけどな……知ってるか? この先に巨大なドラゴンが居るんだ」
「えぇ、知ってるわ。『クリスタルドラゴン』の成体でしょう? だから何だっていうの?」
「あんな化け物からどうやって逃げ延びる気なんだよ……」
「逃げる? ハッ! 笑っちゃうわね。私を誰だと思ってるの? あんな雑魚竜かるーく1発で倒せるわよ?」
虚栄かブラフか。はたまた本気なのか。
今の伊吹には判断する事は出来なかった。
ただ確実なのは伊吹には打破出来ない障害を、この女神は取って払うと、そう言い放っているのだ。
その自信を前に、積み重なっていた不安や焦燥感はどこかへ消え去ろうとしていた。
「……その言葉、信じるよ。女神シャロニカ」
何が自分の中で変わったのか分からないが、
でも確かに、契約を交わしてから感じている『何か』が自分の中にある。
それが彼女の言う『魂の共有』なのだろうか?
どこから湧いてくるのか分からない自信は、まるでシャロニカから流れ込んでいるかのように感じる。
「そうそう、それでいいんだよ。この女神中の女神であるシャロニカ様がついていれば、何だって出来るんだからね」
「すっごーい! シャロってかみさまなんだー!」
いつの間にか伊吹とシャロニカの間にぽつんと立っているカスミの姿があった。
「そうよ~女神様なのよ~すご~~く偉いんだからね~」
「わたしかみさまにあうのはじめてだよー!」
「そうよね~世の中は魔の眷属ばっかりだもんね~。嫌な世の中ねぇ」
「はー、もしかしてマノケンゾクって、『魔族』か」
カスミとシャロニカとのやり取りからようやくその言葉の意味が理解できた。
魔族と神族、という意味なんだろう。
──異世界感満載だな……それもそうか……異世界なんだから
ふと、先程流れ込んできたイメージを思い出していた伊吹。
ただそれはすぐに2人の可憐な音色によってかき消される。
「いぶきー! れっつごーだよ!」
「さっさとこんな狭苦しい所から出て、自由を満喫しようじゃないか」
「ンニャーア」
銀色のふわふわも賛同するかのようにそれらに加わっていた。
「……っし! じゃぁ、リベンジといきますか! 今度こそここから脱出するぞー!」
頭の中の靄を振り払うかのように、鬨の声を発する伊吹。
ノリだけで話が進んでしまっている気もするが、今は波に乗ってしまおう。
絶望しかけた絶対的強者へ、新たな光を手に入れ再び挑む。
艶やかに咲き誇る金色の華と、ささやかに力強く咲く白き花。
『両手に花』状態でちょっとした無敵感すら漂う今なら、向かう所敵なしだ。
三人と一匹は力強く天に向かって叫んだ。
「オォーーーーーーーーーーー!!!」
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